ヌーベル・キュイジーヌの鬼才「アラン・サンドラス」からはじまる。フランス料理の輝かしい系譜


アラン・サンドランスが起こした3つの革命

フランス料理界で「ムッシュ」と呼ばれるサンドランス氏が起こした革命は3つある。

料理における劇的な革命

ひとつは料理における革命。「素材に忠実な料理」「食材を活かす料理」といったフレーズは、現代の料理人には聞き飽きた言葉だが、「アルケストラート」がオープンした60年代後半はたいそう斬新だった。間もなくヌーベル・キュイジーヌの到来。

先駆者フェルナン・ポワン氏に次ぎ、ミシェル・ゲラール氏を始め、ポール・ボキューズ氏、トロワグロ兄弟、アラン・シャペル氏、ロジェ・ヴェルジェ氏たちがフランス料理を劇的に変えた時代だ。そしてアラン・サンドランス氏。厚めに切り分けたテリーヌ、蒸したフォワグラや燻製の鮭。料理は塩で決まる。最高のゲランド産の塩(フルール・ド・セル)を数粒仕上げに。今なら当たり前のようなこの仕上げが革命的に新しかった。

さらにサンドランス氏は、「甘い(スュクレ)」と「塩辛い(サレ)」をきっちり分けていた当時のフランス料理のルールを破る。代表的な料理が、古代ローマの美食家「アピシウス」に捧げた「アピシウス風の鴨」だ。中世やルネサンス以後は忘れられていた「甘い」と「辛い」が両立する料理。

トゥール・ダルジャンの「鴨のオレンジ風味」など、限られた果物と肉の組み合わせしか知らなかったフランスの料理界に、いきなりこってりと甘い、ロゼに焼いた鴨を突き付けた。この甘味をフランスではまだ珍しいクミン、コリアンダー、コショウの大きな粒にまぶして食べさせる。

ヌーベル・キュイジーヌに、実は日本が大きな影響を与えていたことも忘れてはならない。サンドランス氏は何回も中国を訪れて中国料理に感心しながらも、魅力は感じなかったと言う。彼は、人間と自然とが強く結ばれた日本、小さな野菜でも大切に使う日本、魚を生で食べさせる日本、に魅了された。

70年代後半にサンドランス氏は「アルケストラート」で「ソーモン・シズオ」を出す。辻静雄氏への敬意を秘めたこの鮭料理は、醤油風味のブールブランソースで仕上げてあった。醤油やワサビなど、日本の食材をフランス料理に初めて使ったのもサンドランス氏だ。

史上初の「ワイン・ペアリング・メニュー」を提案

ふたつ目はワインとの革命的マリアージュ。60年代末のことだった。ミシェル・ゲラール氏が来店し、ひと言発した。「アラン、君の料理はすばらしいんだが、ワインがなんとも、まずい」。深く傷ついたサンドランス氏は、ワインに取り組み、80年代にワイン学者のジャック・プイゼ氏と出会う。87年には史上初の「ワイン・ペアリング・メニュー」を提案。各料理に合わせて、違うワインをグラスで提供したのだ。

トゥレーヌ産の山羊チーズとヴヴレのドライな白ワインとのマリアージュは、「チーズには赤」と決め付けていたフランス社会で、ちょっとしたスキャンダルになった。今や「チーズに白ワイン」はクラシックだが、サンドランス氏の時代は革命だった。結果、サンドランス氏は、優秀なソムリエにも神のように尊敬されたのだ。

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