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【完全保存版】フランス料理はどう生まれたのか?


フランス革命後の19世紀初頭、新しい支配階級となった”勝ち誇るブルジョワ”の熱烈な支持を得て、フランス料理は、「ブルジョワ風グランド・キュイジーヌ」を頂点に、「パリ風料理」、「地方料理」が隆盛を誇った。

貴族社会の「高級料理(オート・キュイジーヌ)」を模範とする古典の誕生だ。それから200年以上。世界が認める無形文化遺産、フランス料理の歩みを紐解くと、「味覚という美の一部をなす不可思議なもの」への飽くなき探求の軌跡が見えてくる。

味覚とは何なのだろうか。
美の一部をなす この不可思議なものはーー
世紀フランスの文豪 ヴィクトル・ユゴー

 フランス革命によって没落した貴族の館のシェフたちは、巷へ出た。シャンティ城主コンデ公の厨房長だったロベールは、リシュリュー街104番地にレストランを開店した。新たな支配者・ブルジョワ層のお抱え料理人になったシェフも多くいた。

 その代表が菓子作りからこの道に入ったアントナン・カレーム。外交官タレーランのために腕を振るい、その後、ロシア皇帝アレクサンドル1世、イギリス国王ジョージ4世に仕え、晩年はユダヤ系の国際的資本家ロスチャイルド家の料理長となった。カレームは、18世紀のフランス料理に心酔し、その伝統を受け継ぎながらも、強烈なスパイスをやめ、今でも使われる調味料や、塩、コショウ、タイム、ローリエ、パセリを使った。

 やがて、美食家と呼ばれることは、人々のステイタスの証となり、グルメ・ツアーが流行する。

伝統と新しい技法の融合「キュイジーヌ・モデルヌ」

 そして1970年代。「軽いソースは、よく絡み合い、気分を浮き立たせ、心をすっきり、胃袋を軽やかにする」。「栄養への配慮を無視してはならない。したがって、蒸す、ゆでる、グリルする、ローストするなどの料理法を好む」。これは、1973年に発表された新しいスタイル「ヌーヴェル・キュイジーヌ」を宣言したシェフたちが「十戎」とした項目の一部だ。一世を風靡した彼らのテーマは「軽さ」。その筆頭ポール・ボキューズは、日本の懐石料理にヒントを得て、シンプルで軽妙な新感覚の料理を創造した。また、ベルナール・ロワゾーは「水の料理」と称し、バターやクリームを排除、素材から出るうま味と水だけでソースを作った。

 しかし80年代に入ると、ジョエル・ロブション、アラン・デュカス、ピエール・ガニェールなどから、エスコフィエの見直しなど古典回帰の機運が生まれた。

「伝統的なフランス料理を土台にしながら、新しい技法を調和させていく」という「キュイジーヌ・モデルヌ(現代料理)」が提唱されたのである。伝統と創造。この二つの柱がフランス料理を常に進化させていく。

フランス料理の500年

1533年
イタリア・フィレンツェの富豪メディチ家の娘・カトリーヌ・ド・メディシスがフランス王フランソワ1世の次男オルレアン公アンリに嫁ぐ。

カトリーヌ・ド・メディシス
カトリーヌは、フランス王となったアンリ2世の王妃となり、フランソワ2世、シャルル9世、アンリ3世の母后として、”文化先進国イタリア”の食文化をフランス宮廷に持ち込んだ。なかでもインゲンマメとアーモンドクリームは宮廷の人気に。

16世紀中頃
教皇ユリウス3世が四旬節(断食期)にバター、卵、チーズを許可する。

16世紀後期
アンリ3世の宮廷でフォークが使われる。

1651年
ラ・ヴァレンヌ「フランスの料理人」を著す。フランス古典料理の基礎がこの頃作られる。

17世紀中頃
イタリアからグリンピースがもたらされ、ルイ14世の宮廷に登場。テーブルクロスとナプキンのテーブルセットが登場。

1789(〜99)年
フランス革命勃発。
美食家で知られたシャンティ城主コンデ公が国外へ逃亡。その年の暮れ、厨房長だったロベールがリシュリュー街104番地にレストランを開店。

1833(〜34)年
料理の見栄えを重視し、フランス料理を芸術の域にまで引きあげたアントナン・カレーム「19世紀のフランス料理術」全5巻刊行。

アントナン・カレーム
1814年にはじまったウィーン会議の夕食会が大好評となり、「シェフの帝王」と称され、有名シェフの先がけとなった。コックのかぶる帽子は彼の発案。1833年48歳で死去。

1900年
『ミシュランガイド』発行。
30年代からレストランを星で格付けする方法が始まる。第二次世界大戦後の星による格付けは50年版から。

1903年
大ホテルの厨房で働きながら社会の動向に合う料理を作り上げたオーギュスト・エスコフィエ『料理の手引き』を出版。

オーギュスト・エスコフィエ
レストラン経営とレシピ集の著述を通じて、フランス料理の大衆化と革新に貢献した。1928年にシェフとして初のレジオンドヌール勲章(オフィシエ)を受章。この7年後、89歳で死去。調理技術の簡素化、過剰な装飾の廃止、調理場の組織の近代化など、エスコフィエの業績が現代代代料理の基礎となった。1930年代の花形シェフ、「ラ・ピラミッド」のフェルナン・ポワン、「ラ・コート・ドール」のアレクサンドル・デュメーヌに大きな影響を与えた。

20世紀初頭
ロシア式個人別サービス形式が普及しフルコースの形が確立。

1922年
旅と美食を結びつけた美食家キュルノンスキーが地方の美食巡りを始める。

1969年
レストランガイド「ゴー・ミヨ」創刊。

1970年代
「ヌーヴェル・キュイジーヌ」の時代

1980年代
「キュイジーヌ・モデルヌ」の時代

2010年
フランス料理がユネスコの無形文化遺産に認定される。


本記事は雑誌料理王国第224号の内容を本ウェブサイト用に調整したものです。記載されている内容は第224号発刊当時の情報であり、本日時点での状況と異なる可能性があります。掲載されている商品やサービスは現在は販売されていない、あるいは利用できないことがあります。あらかじめご了承ください。


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