スーパーフード「ビーツ」と「ケール」のルーツを知る


海外では紀元前より親しまれてきた野菜であるが、日本では意外にもボルシチと青汁程度の認識のまま長い時間が過ぎた。近年生産量も増え、注目されつつあるものの、飲食店でのメニューの広がりは今ひとつのようである。家庭料理の研究のため、世界70カ国を巡ってきた料理研究家の荻野恭子さんは、この2つの野菜が、いかに日常野菜として根付いているかを各国で感じてきた。つまり、ビーツやケール無くしては作れない料理はわずかで、大方は、ニンジンや大根と同様、日常的に使われているのである。今回は、ビーツとケールのルーツから伝播、栄養素から調理法、各国の郷土料理までを特集する。ルーツから特性、地域による活用法まで、理にかなった調理と食文化を紐く。

ビーツとケールのルーツと広がり

ビーツとケールの栽培が始まったのは紀元前。ともに、長い歴史を持つ野菜であり、原産地や日本への伝播の時期、栄養豊富であることなど、重なる部分も大きい。ともに濃厚な味わいが特徴であるが、活用度の広さや健康作用なども合わせて捉えてみると、コロナ後の消費者の関心ともフィットする、優れた野菜であることに気づく。様々な視点からヒントを探ってみることにしよう。

日本にやってきたのは、ともに江戸時代

ケールとビーツの日本との関わりは意外に古く、 伝来はともに江戸時代と言われている。当時、貝原益軒によって編纂された本草書「大和本草」(1709年刊行)には、これら2つの野菜に関する記述が残されている。「暹羅大根.其種,暹羅より来る.京都にて近年隠元菜と云う。葉大に,根紅に,赤白の暈紋あり。うずのまいたるに似たりとて,うず大根とも云う.葉の心も紅し,味甘し.冬栄う」―葉が大きく芯が赤く甘い。断面はうずを巻いているとは、まさにビーツのこと。また、シャムロとはタイ国のことを指している。タイ国伝来ということだろうか? 「紅夷菘(オランダ菜)、葉大にて光無く、白けたり花は淡黄色にて葡萄花のごとし」―オランダ菜は葉が大きく、淡い黄色のブドウの花のような白い花が咲く、とあるが、実際にケールは春先に、菜の花のような花を咲かせるという(キューサイ広報取材より)。葉が大きいことにも言及している。オランダ菜とはオランダ伝来ということだろうか?

ルーツと広がり

ビーツの場合

ビーツは「テーブルビート」とも呼ばれ、ケール同様、地中海沿岸が原産と言われている。ヒユ科の根菜で大根の仲間であり、和名を「火焔菜(かえんさい)」という。紀元前1000年ごろから栽培されている古い野菜で、初めはヨーロッパで薬用として利用され、その後中東地域へも広まって食用になったと言われる。1世紀ごろになって根の部分も食用として栽培されるようになるまでは、葉の部分を食べていたという記録が残されている。これは「フダンソウ」と呼ばれ、ヨーロッパまたは西アジアから東アジアへ持ち込まれたと考えられている。中国では唐代(6世紀)までに持ち込まれたことが、文献で確認されている。
ビーツの根の部分は古くから利用されていたが、改良などが重ねられ、いわゆるビーツという品種が成立したのは16世紀頃のヨーロッパといわれている。種子は江戸時代に日本に持ち込まれたという記録が残っているが、食べ方についてはよくわかっていない。先出の「大和本草」に「シャムロ大根」と名がついていることを考えると、大根と同じように調理したものの定着しなかったのか、また、当時のトマトや唐辛子がそうであったように、観賞用であったのか、そのあたりはよくわからないようである。また、ビーツは油との相性が良く(P105参照)、江戸時代には既に天ぷらも登場はしていたが、油自体が高級品で庶民の口に入るものではなかった。炒めたり揚げたりして美味しさを試す機会はなかったのだろう。現在はアジア、ヨーロッパをはじめとするユーラシア各国から、北アフリカ、アメリカ、中南米に至るまで、実に世界各地で日常野菜として定着している。

ケールの場合

ケールに関しては、長年研究を続ける「キューサイ」の広報、岩永知佳穂さんに話を伺った。 ケールが生まれたのは4500年ほど前。今のトルコがある小アジアと呼ばれる地中海沿岸のあたり、世界の野菜の8大原産地のうちの1つと呼ばれるところで、前出の通り、ビーツと同様の地域だという。「紀元前にはギリシャで栽培されていたという記録もあり、野生のアブラナ科の雑草であったケールを羊が食べ、その後、羊が丈夫に育つことがわかったことから栽培を始めたといわれています。また、数学者のピタゴラスがケールの栄養素に着目したことも記録に残っていて、元気と落ち着いた気分をもたらす野菜だという記述が残されているようです」
ケールを普及させたのは、ヨーロッパの広範囲を行き来していたケルト人たちで、彼らは、ケールという名前の語源とも言われる。「もともとは、スペインに住んでいたイベリア人が野生のケールを利用して栽培していました。 そこにケルト人がやってきて栄養や効能に注目し、栽培を行なうようになったようですね」。彼らは移動民族であるため、大陸を移動するごとに、その土地土地でケールを広めることになったというわけだが、船で移動する際にも欠かせない積荷だったそうだ。「理由は、航海中のビタミンC不足を補うため。当時からケールの栄養の高さが重宝されていたことがうかがえますね」。この辺りのことに関しても、当時の記述が残されているが、食べ方はわからないようだ。

伝播に関しては、中国までは陸続きで渡ってきており、日本への伝来に関しては中国説、ポルトガル説、オランダ説など諸説ある。前出の「大和本草」の記述に「オランダ菜」とあることから、ポルトガルやオランダの交易船によってこのルートから来ているとすれば、食用での推奨が高い。だが、観賞用であったたという記述も残っており、その場合は中国から伝来した可能性が高いそうだ。「実は中国には当時、葉牡丹を鑑賞する文化があったようなのです。だとすると、仲間の野菜であるケールも同様に推奨されたと考えられますね」。現在はどうなのだろうか。「市場調査によると、ヨーロッパ、アメリカ、ブラジルなどではスーパーにも食卓にも日常野菜として普及しているようです」アジアでも韓国ほか各国に広まっており、一般的な料理食材であることがわかる。「一方で、日本での認知度は高いのですが、食べたことがある人は少ないようです。若い女性はスムージーやコンビニ、レストランなどが知るきっかけになってはいるようですが、買ったことがある人は少ないようですね。まだまだこれからです」。

※参考資料:独立行政法人畜産振興機構HP、農林水産省HP、北海道大学農学部応用生命科学科/農学院生物資源科学専攻 農学研究院応用生命科学部門 遺伝子制御学研究室 HP 内 ( ビートワールド )、大阪市立大学家政学部紀要・第17巻、全2巻復刻版・大和本草(白井孝太郎考証・有明書房)、益軒全集代6巻(益軒全集刊行協会)

料理監修 荻野恭子(おぎの・きょうこ)
東京・浅草生まれ。料理研究家。栄養士。70年代より、ユーラシア、中央アジアをはじめ、世界70カ国を巡り、現地のレストランやホテル、家庭の主婦たちに料理を習い、食文化を研究し続けている。点ではなく、歴史や風土の流れから食文化全体をとらえるスタンスは類を見ない。テレビの料理番組や雑誌他での活躍のほか、料理学校の講師や講演も行う。著書に「ビーツ、私のふだん料理(扶桑社)」、「おいしい料理は、すべて旅から教わった(KADOKAWA)」ほか多数。現在、朝日新聞GLOBE+にて「荻野恭子の食と暮らし世界ぐるり旅」を連載中。


edit&text 吉田佳代  photo 公文美和  illustlation かけひろみ
協力キューサイ、いしづあきこ、はるか農園、ファームベジコ、omefarm

本記事は雑誌料理王国2020年12月号の内容を本ウェブサイト用に調整したものです。記載されている内容は2020年12月号発刊当時の情報であり、本日時点での状況と異なる可能性があります。掲載されている商品やサービスは現在は販売されていない、あるいは利用できないことがあります。あらかじめご了承ください。


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