ここ数年、国産ナチュラルチーズに注目が集まっている。なかでも、北海道のチーズの評価は高い。東京にも、北海道産ナチュラルチーズ専門店ができた。清澄白河の「チーズのこえ」だ。北海道のチーズ工房が出資して店を立ち上げるスタイルは、日本国内には例がない。
店主の今野徹さんは言う。
「北海道には100を超えるチーズ工房があります。それらの工房が生み出す上質なチーズを、少しでも多く東京の人たちに知ってもらいたいと熱望したんです」
北海道庁農政部と農林水産省に勤務していた頃、今野さんは全国のさまざまな生産者と消費者をつなぐ活動を行っていた。役人という立場で、生産者と消費者を俯瞰的に分析していたおかげで、成功へのシミュレーションはできていた。誰もが挑戦し得ない不安よりも、「北海道のチーズの魅力を多くの人に伝えたい」という気持ちのほうが上回った。
かくして、今野さんは農水省時代に暮らした街にもほど近い、清澄白河に「チーズのこえ」を開いた。
今野さんは、「チーズという『商品』を単に売る店にはしたくなかった」と言う。
チーズの背景にいる作り手や乳牛から牛が食べる草にいたるまで、酪農王国・北海道のすべてと消費者の食卓とをつなげる「場所」でありたい。スタッフは、物言わぬチーズの代弁者。単なる「モノ売り」で終わらせるつもりはないと思っている。
だからこそ「いたずらに消費者ニーズに踊らされない」と心に決めた。「お客さまのニーズに応えることは大切ですが、皆さんの声を聞きすぎて平均的になり、この店の個性が失われるようなことはしたくないんです」
例えば、客との会話を大切にするのは、「チーズのこえ」の大きな特徴だ。客の好みや家族構成などを聞きながら、口に合いそうなチーズを選び、すすめる。一見、時代と逆行するかのような、時間をかけた接客スタイルに映る。
しかし、そこにこそ勝機があると、今野さんは考えている。
「今は人間関係がどんどん希薄になってきていますが、人間は人との関わりを求めていると思うんです。そこをサラリと埋めていきたい」
実際、「チーズのこえ」はオープンから2年半あまりで、「2号店を出さないか」という誘いがいくつも舞い込むほどの人気店になっている。
〝一般論〞に左右されず、今野さんは自分の信じた道を貫き通す。
店が繁盛すれば、2号店、3号店を出したくなるのは、世の常だ。事実、客からも「ウチの近くにも、こういうお店がほしい」という声はよく聞くという。
「でも、そういうお話はすべてお断りしています。僕の目の届かないところで、『チーズのこえ』が一人歩きをするのは嫌ですし、なにより『チーズのこえ』の
価値が薄まるようなことはしたくないんです」と今野さんは言う。清澄白河の路地裏に店を出したのも、人目につきにくいこの場所にわざわざ足を運んでくれる客を大切にしたいと考えたからだ。それこそが「チーズのこえ」の価値。あちらこちらに同じような店ができてしまったら、総売り上げは上がるかもしれないが、店の価値は下がってしまう。それは、絶対に避けたい。
「新しいことには、挑戦していきたい。でも、『チーズのこえ』と同じことをや
るつもりはありません。生活者の食卓全体に関わっていきたいんです」と話す今
野さんは2016年、農家から直接取り寄せた野菜や果物を販売する「清澄白河おやさい市場」も店内で始めた。
北海道出身。〝フロンティア精神”を胸に、今野さんは独自の発想で、強い志とともに前に進む。
Toru Konno
1976年北海道生まれ。帯広畜産大学大学院修了後、北海道庁農政部、農林水産省に勤務。2015年5月に退職。8月に「100年続くものづくり、1000年続く地域づくりをともに考える」ことを掲げ、「株式会社FOOD VOICE」を設立。同年11月「北
海道ナチュラルチーズ・コンシェルジュチーズのこえ」をオープン。2016年夏から「清澄白河おやさい市場」も運営。
Cheese no koe
北海道ナチュラルチーズ・コンシェルジュ チーズのこえ
東京都江東区平野1-7-7
☎03-5875-8023
●11:00~19:00
●不定休
http://food-voice.com/
山内章子=取材、文 依田佳子=撮影
本記事は雑誌料理王国287号の内容を本ウェブサイト用に調整したものです。記載されている内容は287号発刊当時の情報であり、本日時点での状況と異なる可能性があります。掲載されている商品やサービスは現在は販売されていない、あるいは利用できないことがあります。あらかじめご了承ください。