「江戸前の魚」って何ですか?その変遷と今


「江戸前」という言葉にはさまざまな解釈があるが、築地市場では日常的に使う産地名のひとつ。日本橋魚河岸時代から続く伝統的な呼び名で、かつては江戸の町の前に広がる、ごく狭い海域を指した。当時の漁場はとっくに失われたが、「江戸前の魚」というブランド力は、したたかに生き残っている。

産地呼称ブランドの始まり

江戸の前に広がる海が「江戸前」。どこからどこまでをいったのだろうか。

日本橋魚河岸時代の明治22年、当時の組合が『日本橋魚市塲沿革紀要』として、市場の歴史をまとめている。そこに残された安政2(1855)年、御肴御役所に提出した文書では「江戸前」について、こう記してある。

『江戸前ト唱ヘ候塲所ハ西ノ方武州品川洲崎一番ノ棒杭ト申塲所〜東ノ方武州深川洲崎松棒杭ト申塲所』の間。品川洲崎の外は羽田海、深川洲崎の外は下総海と呼んでおり、その内側の江戸海が「江戸前」だ、と。

「東京湾」という言葉を使うようになったのは明治時代に入ってからで、海は土地の名を添えて素朴に呼ばれていた。深川から羽田にかけての狭い海域、それが江戸海だった。

しかし狭いながらも、多摩川、大川(隅田川)、中川などの河川から流れ込む土砂がつくった「洲」と呼ぶ浅瀬、「澪」と呼ぶ深場が入り組んだすばらしい魚場。近年、東京湾奥に残る洲(干潟)、三番瀬が海資源のための重要な場として注目されているが、その何倍もの洲が広がっていたのだ。

沿岸には、幕府御用の漁をする「御菜浦(おさいがうら)」と呼ばれた本芝や芝金杉、品川などの漁師町、大川河口には江戸開府以来の歴史を持つ漁師たちのベース、佃島があり、東端の深川もまたさかんな漁師町。芝はシバエビ、佃島はシラウオ、深川はハマグリやカキで名を馳せた。そのほかキス、アナゴ、カレイ、ハゼ、クルマエビなど小魚類はいくらでも揚がった。江戸市中ではそれらを「江戸前小魚」と総称、そして生まれたのが、すしや天ぷらである。

それではいつから「江戸前」と呼び習わしたのだろうか。江戸市中で、初めて「江戸前」という冠付きで呼ばれたのは蒲焼だった。「江戸前蒲焼」の名で大流行。お客は「旅は好きだが、ウナギはべつ」と通ぶった。ウナギは生命力が強く、江戸近郊からの入荷も多く、それらは旅モノと呼ばれたのだ。客、つまり流通の末端にまで、江戸前という産地名は認識されていた。宝暦から天明年間(1751〜88年)にかけてのことで、流通を担う魚河岸では、もっと早くから使い始めていたのではないだろうか。

江戸前対旅モノ。産地によって品質を差別化する見方は、ウナギに限らず、小魚類にも使われるようになるが、それだけ流通が盛んになってきた証拠だろう。比較するものがなければ、ことさら江戸前という言葉は使わない。実際、江戸が繁栄するにつれ、魚の入荷地は増えていった。しかし、当時の流通技術を思えば、江戸海に対抗できる鮮度などまったく期待できなかったはず。また江戸海は人口の増加とともに河川からの生活排水によりプランクトン豊富な海となり、魚介類をおいしく育てた。旅モノとは比較にならない江戸前のうまさ。江戸前という産地呼称は、今に通じるブランド意識の始まりといえる。

現在の「江戸前」マップ(右)
東京湾は、地図でみるとおり、真ん中あたりでくびれた形になっている。くびれを境に平均水深も違うし、太平洋側は黒潮の影響を受けるなど、海の環境は異なってる。そのため、内湾外湾といった見方があり、築地市場での「江戸前」といえば、内湾を意味している。ただし、内湾外湾の線引きは、一般論とはやや異なるものとなっている。

江戸時代の「江戸前」マップ(左)
現在は埋め立てのために、ほとんど姿を消したかつての江戸前漁場。多くの河川からの土砂によりできた洲があちこちにあり、貝類や小魚のかっこうのすみかとなっていた。漁師たちは、それぞれの洲に名前をつけ、季節ごとの獲物を追った。地図のなか、浦とついた地名は幕府御用の魚を納める特権を持つ漁師町。佃島は、浦という言葉こそ付いてないが、江戸開府のおり、大阪から家康の命で移ってきた漁師たちの住む土地で、浦以上の特権を持って漁をしてきた。

江戸前という海の広がり

しかし、豊饒の漁場もやがて陰りを見せる。幕末の黒船対抗策として設けた台場により、品川沖の潮流が変わった。さらに明治末からの精力的な埋め立て事業の結果、大正、昭和にかけて漁場は沖へ沖へと押し出され、東京湾一円にと広がっていった。

現在、築地市場では、江戸前というと東京湾内湾を指す。しかし、実は外湾と内湾を分ける線引きは、一般論と市場では多少違う。広く言われているのは「神奈川県観音崎〜千葉県富津岬」を結ぶ線だが、築地市場の場合、「千葉県側は鋸山(のこぎりやま)の山頂」、竹岡漁港や金谷漁港まで含む線となっている。これは、昭和(1953)年、築地市場のすしネタや天ネタを扱う仲卸の組合(特種物業会)や東京湾岸の漁師さんたちが考えた線引きだが、確かに竹岡はキスやメゴチやクルマエビ、金谷は黄金アジと、大切な江戸前ネタの供給地。市場人にとっては、ゆずれない線引きなのだ。

現代の江戸前ネタ、そしてこれから

広がった江戸前の海。しかし価値観は今も変わらない。「羽田のコチ、なんたって最高」と活魚担当。どこの産地より厚みがあって高値をつける富津や竹岡のマコガレイ。江戸前という言葉を添えて、ブランド力を高めている小柴や子安のアナゴ。内湾育ちのイワシは、金太郎と呼ばれてムックリ太り、体つきからしてうまそうだ。全国に産地を広げたコハダも、高値をつけるのはやはり江戸前である。

しかし、いっぽう1950年代後半に公害で海は汚染された。現在はきれいになったというが、汚れた海というイメージは強い。また近年は過剰な生活排水による赤潮、青潮の問題も取り沙汰されている。

江戸前は、やがて滅びるのか。

私は、そうは思わない。昨年から、築地市場には江戸前のハマグリが入荷している。東京湾から消えて久しいハマグリだったが、木更津の漁師さんたちの熱心な稚貝放流のおかげで蘇ったのだ。海が汚れると、真っ先に姿を消すはずのハマグリが。

東京湾は、実は再生力のあるしたたかな海。それを後押しするのは人の力。江戸前を滅ぼすとしたら、人以外にはありえない。

ふくちきょうこ
出版社勤務を経て、食を中心とした編集ライターへ。知り合いのシェフを通じて、仲卸「濱長」のチラシ作りを頼まれたことをきっかけに、1997年より、「濱長」で働く。著書に『築地魚河岸猫の手修行』。

福地享子=文、伏木博=写真、NDS=図版

本記事は雑誌料理王国2008年12月号の内容を本ウェブサイト用に調整したものです。記載されている内容は2008年12月号発刊当時の情報であり、本日時点での状況と異なる可能性があります。掲載されている商品やサービスは現在は販売されていない、あるいは利用できないことがあります。あらかじめご了承ください。


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