ユネスコの無形文化遺産に指定された「和食」。文化庁によると「日本の国土は南北に長く、海、山、里と表情豊かな自然が広がっているため、各地で地域に根差した多様な食材が用いられている」という。和食、日本料理をどうとらえ、地方から世界へ発信するか。山形県鶴岡市は、その答えを導き出そうとしている。
山形県西部、庄内平野の南部にあたる鶴岡市は、江戸時代以来、東北一の米どころ庄内藩にあって、藩主の酒井氏が鶴个岡城を置いた庄内の中心地だ。2014年12月には、ユネスコの「創造都市ネットワーク」のひとつ、食文化(ガストロノミー)部門に、日本で初めて加盟が承認された食の都でもある。
鶴岡市の食のキーワードは、4つ。ひとつは、信仰のなかから生まれた食文化であること。羽黒山(はぐろさん)、月山(がっさん)、湯殿山(ゆどのさん)からなる出羽三山(でわさんざん)は、古来、山伏(やまぶし)が駆ける修験道(しゅげんどう)の地で、庄内には、自然と人間の深い関わりから育まれた食文化が息づいているのだ。2つめは、庄内藩主、酒井氏のもとで育まれた「農」への敬意。そして3つめは、国の重要無形民俗文化財にも指定されている「黒川能(くろかわのう)」に代表される行事食・郷土料理が継承されていること。そして4つめは、50種類以上が継承されているといわれる庄内固有の在来作物の存在である。
それらは、ときに細い糸となり、切れそうになりながらも、市民の手によって幾度も紡ぎ直され、連綿と受け継がれてきた。まさに「生きた文化財」といえよう。
日本各地の郷土の食文化に世界から光が当たることは、グローバルな時代の日本料理を考えるうえで、大きな意味を持つ。懐石料理や寿司、てんぷらだけが日本料理ではない。
地方性豊かな日本列島で食されてきた日本料理とは何か。それを紐解くために、1400年前の鶴岡市に、時空を超えて降り立ってみよう。
全国でも珍しい神を祀る五重塔
出羽三山の五重塔は、日本最北にある国宝の五重塔だ。羽黒山山頂にある出羽三山神社への参道に、ぽつんと建つ。羽黒山は江戸時代まで、神と仏が共存する神仏習合の地だった。しかし、明治時代の神仏分離令によって、寺院の機能はことごとく取り壊され、残された仏教関係の建物も神社のなかに組み込まれた。この五重塔もそのひとつで、本来ならば塔内に仏像が安置されるが、この塔内にはご神体が安置される。全国でも珍しい神を祀る五重塔である。
北に鳥海山、南東には
出羽三山の羽黒山、月山、湯殿山がひかえる
庄内地方は、三方をぐるりと山に囲まれている。庄内平野の中央部を東から西へ、田畑を潤し肥沃にしながら日本最大級の一級河川、最上川が横断し、日本海へ注ぐ。さらに鳥海山や月山といった2000m級の山々には一年中雪が残り、春になると、山からの豊富な伏流水が海へと流れ込み、庄内の海を豊かにしている。
庄内地方南部の鶴岡市は武家の町
鶴岡市は、江戸時代の庄内藩の城下町だった。1805(文化2)年に創設された藩校「致道館」は有名。武士を主人公にしながら、「農」の尊さを描いた作家、藤沢周平の故郷としても知られる。
ユネスコ「創造都市ネットワーク」とは何か?
ユネスコ「創造都市ネットワーク」には文学・映画・音楽・食文化(ガストロノミー)などの創造産業7部門がある。他の部門には、日本の都市がいくつも承認されているが、食文化部門では鶴岡市が日本で初めて。同部門には、四川料理の中心地・成都や、イタリア・パルマ、タイ・プーケットなどの18都市が認定を受けている。
およそ1400年前に開かれ、修験道に励む山伏が目指す山だった出羽三山。江戸時代中頃になると、俳人の松尾芭蕉の登拝に代表されるように、江戸(東京)を中心とした東日本の庶民の憧れの旅行先になり、「出羽三山詣(でわさんざんもうで)」(奥参り)が流行した。出羽三山の総奥の院として特別視されていた湯殿山は、特に人気のスポットで、1733(享保(きょうほう)18)年には、15万7000人(谷地大町の念佛講帳より)の参詣者があった。
その参詣者のなかには、山賊などの襲撃から身を守るために、現金と同等の価値のある作物の種を持参して出羽三山を目指した者もあったという。彼らは宿泊先や道中の支払いを、その種子で行ったと考えられる。全国から珍しい種子が鶴岡の参道沿いに集まり、それが根付き、土地に合う品種に変わりながら、鶴岡の各集落に受け継がれたのだ。
こうして庄内に伝えられた作物が、現在約50種類あるといわれる在来作物のルーツではないかとも考えられているという。人とモノ、情報が往来する中から、唯一無二の食の都は生まれたのだ。
修験の道を駆け巡る山伏たちの食事が出羽三山の精進料理になった
出羽三山は、古くから信仰の山。山伏と呼ばれる修行者たちの実践修行の場でもあった。山伏たちは、秘法を体得するまで下山を許されず、山にある山菜やキノコなどを調理・保存しながら健康を保ち、修行を続けていた。その山伏の修行の食事をルーツに育まれたのが、出羽三山に伝わる精進料理である。修行を終えた山伏には町に戻る者もあり、山伏の料理は、町衆や農民にも少しずつ浸透していったのだ。
500 年以上前から伝わる農民能とともに伝わる食文化
鶴岡市黒川地区には、国の重要無形民俗文化財指定の「黒川能」が伝承され、同地域の古社、春日神社の例祭「王祇祭」で奉納されている。この例祭には、豆腐焼きと呼ばれる行事食や、王祇祭を迎えるまでの食の作法も伝えられており、庄内地方の精神文化とともにある食の姿も見えてくる。
250 年変わらぬ治世で暮らしが安定。各職業で異なる食習慣が生まれた
江戸時代を通じて、庄内藩のように領主が変わらず藩政を行ったのは珍しい。藩主替えによる混乱や損失がなかった城下には、武家、商家、職人、僧侶、農民、漁師、猟師もいて、それぞれの職業が確立。職制によって食習慣も異なり、多様性が育まれてきた。
伝統の焼畑農法で作られる藤沢カブ。1989年当時、栽培する者もなく、盃一杯の種子しかなかったという。その種子を譲り受けたのが、鶴岡市藤沢地区の後藤勝利さん。その手によって受け継がれ、藤沢カブは鶴岡市の在来作物の代表に蘇った。
時空を超えて現在に継承されている食の文化財
長く受け継がれてきた在来作物は、戦後の近代化、生産の効率化などによって、消滅の危機にあった。それを救ったのが、イタリア料理店「アル・ケッチァーノ」の奥田政行さんと山形大学農学部の江頭(えがしら)宏昌さん(当時、准教授)だった。二人は、消える寸前の市内の在来作物を見つけ出しては、保存・継承に務め、見事に復活させた。
・飛鳥時代 593 年
出羽三山の開山
・室町・戦国時代末 16世紀中頃
国の重要無形民俗文化財 黒川能 この頃までに発祥
・江戸時代 1622 年
庄内藩主に酒井忠勝。以後、250年、酒井氏が鶴ヶ岡城下を治める
・江戸時代 1733 年
出羽三山に15万人以上の参詣者。西の伊勢参り
東の出羽三山参りが庶民の間で流行
・2001 年
奥田政行さん(アル・ケッチァーノ)
江頭宏昌さん(山形大学農学部)が出会い、在来作物の発掘・保護を始める
・201 4 年
ユネスコ「創造都市ネットワーク」食文化(ガストロノミー部門)の加盟認定を受ける
出羽三山神社の山伏の修行は、現在も行われている。出羽三山に受け継がれている精進料理は、羽黒山伏によって伝えられたものが元になっている。
明治時代に鶴ヶ岡城は解体。跡地には現在、市役所や荘内神社などがある。写真は、大正時代に建てられた洋風建築の大宝館。鶴岡は、文明開化への対応が早く、柔軟だった。
奥田さん(左)と江頭さん(右)。江頭さんは、2003年に山形県内の在来作物の保存・継承を目的とする「山形在来作物研究会」を設立し、現在山形県内に80種類、庄内に50種類を再発見している。
鶴岡のキーパーソン 伊藤新吉さん
出羽三山神社 羽黒山参籠所「斎館」 料理長
出羽三山での修行を「三関三渡(さんかんさんど) 」といいます。羽黒山を現在、月山を過去、湯殿山を未来とし、その3つの関を巡り越えることで、修行者は生まれ変わって秘法を得、新しい人生を生きるといわれているからです。
出羽三山に伝わる精進料理は、この修行者である山伏たちの食事をルーツとしています。食べることも修行と言われた山伏たちは、足元で採れた野草や山菜などを体に取り入れ、山からエネルギーを得ていました。冬は雪が深いので食材を採ることもできませんから、たくさん採れる時期に採って、苦くて食べられないものはあく抜きをし、塩漬けにして保存し、蓄えにしていました。その土地で得られる食材を工夫しながら調理・保存して暮らしていく。それは、日本人の食文化そのものの姿ではないでしょうか。
出羽三山の精進料理には、山の水取材に訪れた8月初め、斎館のまわりには、たくさんのミズ(ウワバミソウ)があった。根元の青いアオミズが多く、さっとゆでてから、冷水にさらし、醤油を加えて混ぜると粘りが出て、シャキシャキとした食感とあいまって、ミョウガなどと混ぜれば夏らしいお浸しになる。羽黒山の山頂にある羽黒山神社の参籠所「斎館」。昼食に精進料理(86ページ)をいただけるほか、宿泊もできる。が欠かせません。清水は古来、それ自体が信仰の対象になるほど、尊ばれてきました。この山の水を使って調理することはもちろん、山の食材そのものも、この霊水をたたえています。水が、料理の根幹のひとつなのです。水はやがて野や海へ流れ、食材を育てます。過去、現在、未来を巡って生まれ変わる出羽三山の循環する世界観は、庄内の農業に大きな影響を与えていると思います。
「斎館」の山菜保存庫。春から初夏に漬けた山菜が、夏の献立に並ぶ。基本は塩で漬けておく保存食だが、例えば生ではアクが強くて食べられない「イタドリ」のようなものは、一度塩漬けにした後、出てきた水を捨て、再度米ぬかと塩で漬ける(84ページの写真)。
取材に訪れた8月初め、斎館のまわりには、たくさんのミズ(ウワバミソウ)があった。根元の青いアオミズが多く、さっとゆでてから、冷水にさらし、醤油を加えて混ぜると粘りが出て、シャキシャキとした食感とあいまって、ミョウガなどと混ぜれば夏らしいお浸しになる。
羽黒山の山頂にある羽黒山神社の参籠所「斎館」。昼食に精進料理(86ページ)をいただけるほか、宿泊もできる。
SAIKAN
斎館
山形県鶴岡市羽黒町手向字手向7
7 Touge, Touge-aza, Hagurocho, Tsuruoka-shi,
Yamagata
☎0235-62-2357
● 精進料理 2160円~
● 宿泊 1泊2食8640円(税込)~
www.dewasanzan.jp/publics/index/64/
鶴岡のキーパーソン 奥田政行さん
「アル・ケッチァーノ」オーナーシェフ
「乾燥した地域の西洋の野菜のように油で炒めるのではなく、生の野菜にしたいと思った」と、奥田さんは、奥田流「だし」について語る。
何度でも生まれ変わる出羽三山の世界観は、多くの鶴岡市民の心の中に宿っているものです。私もそのうちのひとり。例えば、江頭(宏昌)先生と始めた在来作物の発掘・保存も、生まれ変わりを信じる鶴岡人の思いから始まったようにも思います。さらにそれは、私の店でも同じことだと思っています。
山形県内陸部の家庭料理に、野菜や香味野菜を細かく刻んで醤油などで混ぜる「だし」があります。これを私は、南フランスの料理「ラタトゥイユ」にして蘇らせました。
ポイントは、トマトとオイルを乳化させてできた野菜の〝接着剤〟がわりのラタトゥイユのソースを、斎館の伊藤料理長から教えてもらった山菜、ミズ(ウワバミソウ)などがもつ粘りに置き換えたこと。夏の終わりに赤くなれなかったトマトやしぼんだパプリカ、ミョウガなどを刻んで、塩だけで軽く和えていますから、季節を過ぎた食材も無駄にしたくないという思いも込めています。
この山形の「だし」をベースにした料理が、イタリア・ミラノで開かれた野菜料理の国際大会で3位になったとき、ふるさとの力の偉大さに感謝しました。
奥田さん流の「だし」は鶴岡市の羊農家、丸山光平さんの羊肉のラムチョップのグリルに合わせた。斎館のある羽黒山から採ってきたアオミズの葉のフリット(てんぷら)を添えて。
Al ché-cciano
アル・ケッチァーノ
山形県鶴岡市下山添一里塚83
83 Ichiriduka, Shimoyamazoe,
Tsuruoka-shi, Yamagata
☎0235-78-7230
●11:30~14:00LO、18:00~21:00LO
●月休
●コース 昼夜とも3800~15000円
●36席 www.alchecciano.com
鶴岡市の駅前に7月1日にオープンした「FOODEVER フーデェヴァー」は、鶴岡市の食文化を発信・体験できる新しい空間だ。インバウンド客のインフォメーションセンターとしても機能する施設を紹介する。
JR鶴岡駅から歩いて30秒、観光案内所を併設する「FOODEVER」は、鶴岡市の次の未来を担う食の複合施設として注目を集めている。施設内の飲食店舗の出店・プロデュースを務める「アル・ケッチァーノ」の奥田政行シェフは、FOODEVERは、〝人が動く回転寿司店〟だという。施設内を一周するような通路の外側に、飲食店や地元の魚屋や米屋、物産展などが配され、さながら私たちは〝回遊魚〟のように、FOODEVERを見て回る。
目玉は2つ。まずは、奥田さんがプロデュースする寿司と魚の店「魚バル」、肉バル「Yaku 禄」、パスタとドルチェの専門店「ファリナモーレ」。「魚バルだけ食べてもいいし、魚、肉、パスタ、ドルチェのフルコースでもいい。動き回って自由に選ぶレストランです」と奥田さん。
そしてもうひとつは、文化体験スペース「FOODEVER キッチン」。大型プロジェクターを完備したキッチンステージで、国内外のシェフや料理専門家などを招聘し、食のイベントや講義・発表を行う。
鶴岡市は、ユネスコ「創造都市ネットワーク」食文化部門に認定以後、2015年のミラノ万博への参加や、イタリア食料学大学との提携・研究生の誘致など、世界の食の都を目指し、国外との関わりを強めてきた。その受け皿であり発信拠点として「FOODEVER」は、大きな役割を担うことになりそうだ。
「FOODEVER キッチン」では、イタリア食科学大学の研究生たちが奥田さんの塩の講義を受けていた。
FOODEVER
フーデェヴァー
山形県鶴岡市末広町3-1
3-1, Suehiro-machi, Tsuruoka-shi,
Yamagata
インフォメーション(観光案内所)
☎0235-25-7678
●9:30~23:00
各店舗の情報は、下記の公式サイトより確認してください。 http://foodever.info/
江六前一郎=取材、文 富貴塚悠太=撮影
本記事は雑誌料理王国258号の内容を本ウェブサイト用に調整したものです。記載されている内容は258号発刊当時の情報であり、本日時点での状況と異なる可能性があります。掲載されている商品やサービスは現在は販売されていない、あるいは利用できないことがあります。あらかじめご了承ください。