美食都市を訪ねる旅 ガストロノミーツーリズムの魅力 23年8月号


地域に根づく特異な文化を、食を通じて体験できるガストロノミーツーリズム。大都市から離れ目立った観光地もない小村や、紛争や災害の傷跡がいまだ残るような地域でも、美食の力で世界中から人を集めることができる。

01.レジス・マルコン「レジス・エ・ジャック・マルコン」(仏・サン・ボネ村)

交通網の発達とともに広がったガストロノミーツーリズム。ミシュランガイドが発行された
1900年(星による格付けがスタートしたのは1930年)は、ガソリン車が普及した時期とも重なる。3つ星の定義は「そのために旅するのに値するレストラン」であり、美食を求めた旅が始まった。現代では、格安航空会社が生まれたことなどで、より安く、簡単に海外に行けるようになり、SNSの発達で、世界を旅しては料理の写真を撮って投稿する「フーディ」が生まれた。地球の裏側にまで食べに行けるようになった今、「ここでしか食べられない」ものが、新たなラグジュアリーとなっている。

さらに、1970年代のヌーベル・キュイジーヌ以来、日本料理の影響で生まれた少量多皿のコースは世界的な美食のフォーマットとなり、食事の時間はより長くなった。旅先でも物理的にレストランに割く時間が増え、その分観光に割く時間が減る。だからこそ、食事に旅の要素を凝縮させ、その土地らしさをサービスや器、インテリア、装花に至るまで感じられることも重要になり、「食の体験化」が進んだ。総合的な文化を表現する上でも、これからの美食のレストランには、歴史的な背景を含めて深く自国の食の伝統を理解し、表現することが必須なのだ。

ガストロノミーツーリズムのポイントとなるのは、「美食における『地域のもつ価値』とは何か」を知り、「既成概念にとらわれず、その地域ならではの新しいラグジュアリーの提案」を行い、「それをいかに世界の美食家を納得させるフォーマットに落とし込むか」だ。いち早くそのことに気づき、成功した海外店舗の事例をご紹介してゆく。

人口250人の村に1日100人の食事客 特産のキノコで「新しいラグジュアリー」を提案

公共交通機関でアクセスできる場所から、車で1時間半以上離れた、自然の只中にあるサン・ボネ村。母が営んでいた素朴な食堂を、一代で世界から人が集まる3つ星店に育て上げたのが、現在「レジス・エ・ジャック・マルコン」のオーナーシェフ、レジス・マルコン氏だ。村特産のキノコを料理の主役に押し出すことで「新しいラグジュアリー」を提示し、人を呼び込むことに成功した。またコンテストにも積極的に出場、「ボキューズ・ドール」優勝などで注目を博し、多くの美食家が訪れるように。レストランにはスパやホテルを併設し、食事だけでない多様な楽しみ方も提案。毎年10月にはキノコの収穫を祝う祭りも行われ、観光客で賑わう。1店のレストランが村のブランディングも担う。

チョコレートにセップ茸を合わせるなど、デザートにまでキノコを使った「キノコ尽くし」で、マルコン氏は「キノコの魔術師」と呼ばれる。中でも魅力的なのは、多種多様のキノコの味を知ってもらいたいと、それぞれの品種を使った一口アミューズを、解説を書いた紙と共に提供するなど、地元の自然を熟知するからこその気づきから生まれる提供方法。キノコの種類が多くない春は、例えば生では香りがないのに、乾燥させると甘い香りを放つクルマバソウを、昨日摘んだものと今日の午後摘んだものを別々の皿で提供。比較をした後に乾燥の方を入れたラングスティーヌのコンソメが提供される。この皿の主役は、あくまでもクルマバソウなのだろう。その背景には、自らの生まれ育った土地の自然の豊かさを知ってもらいたいという思いがある。食に特化した地域作りのために、今マルコン氏が力を入れているのが食育だ。地元の小学校を定期的に訪れ、子どもたちと一緒に料理を作るなどして、「美食の村」としてのアイデンティティを確立している。

クルマバソウで香りをつけたコンソメと共に提供される、ラングスティーヌのフライ。
地元の学校で食育の授業に取り組むマルコン氏。
写真中央がレジス・マルコン氏の長男のジャック氏。ファームトゥーテーブルの実現のため、有機農業が行われてきたものの、後継者がいなくなった畑を購入。
左から長男のジャック氏、北欧などでの修業を終えて厨房に戻った三男のポール氏、スパマネージャーで次男のトーマス氏。グループ全体では100人が働いており、小さな村に雇用を生み出している。

02.ニコ・ロミート「ザ・キャンパス」(伊・アブルッツォ州)

「健康な食」の教育・発信拠点として未来のシェフを集める新しい学校を!

「健康な食」を切り口にした学校を作り、地方に人が流れ込むシステムを作ろうとしているのは、ヨーロッパ最大の自然保護区を持つという、イタリア・アブルッツォ州の三つ星「レアーレ」のシェフ、ニコ・ロミート氏だ。氏は今年4月に開業したブルガリホテル東京のほか、世界各地のブルガリホテルの料理監修でも知られるが、故郷アブルッツォ州に人を呼び込む「ベスト・アブルッツォ・アンバサダー」にもノミネートされている。2011年、もともとあった店を、修道院を改築した「レアーレ」に移転したのをきっかけに建物内に料理学校を開設。さらに多くの学生が学べる場をと、ローマのサピエンツァ大学の協力のもと、店から車で7分ほどの町の中心地に、新しい学校「ザ・キャンパス」を建設中だ。その目的は、ファインダイニングで必要な技術のみならず、誰もが健康で良質な食にアクセスする手法を伝えること。新しいキャンパスが完成すれば、より多くの学生が学べる。現在氏の教え子は200人にのぼり、中には開業してミシュランの星をとった卒業生もいる。世界に散らばった彼らが、アブルッツォ発の健康的な料理の伝道師となっていくわけだ。

パンに使われているのは地元の古代小麦。ロミート氏の影響で、地元の若手シェフも使い始めるように。
現在の
レアーレの建物内にある料理学校のメンバー。

このほかにも、18年に、「ザ・キャンパス」の建設地からほど近い場所にベーカリー「ALT」を開店。同店のパンのほとんどは、「レアーレ」同様に、地元で廃れかけていた古代小麦を復活させて有機栽培で育て、長期発酵を行うなど独自の工夫を重ねてつくったもの。有機栽培で育てた地域独自の小麦と、
三つ星シェフの技術が掛け合わさった質の高いパンとして人気を集めている。さらにこの店では加工方法を工夫することで添加物を使わず、糖分の使用も控えながらもフレッシュな味わいを長く楽しめるジャムなどの製造販売も行っており、地元の人や観光客が多く立ち寄る「健康的な食」のもう一つの発信拠点となっている。

「. ALT」では、甘さを控えたケーキ類なども販売されている。通信販売も段階的にスタート。
「健康は、誰もが必要とする財産」と語る、ロミート氏

03.ピア・レオン「マウカ」(ペルー・リマ)

「旅するような文化体験」をカジュアル店で身近なものに

もともと美食の旅先という印象がなかったペルーで、その地域の魅力を食で表現し、今や世界から注目されるレストランとなった、ヴィルヒリオ・マルティネス氏率いる「セントラル」。その強みは、「知の集積」を行っていること。ペルーの良さは多様な気候帯、標高差から生まれる生態系であると考え、それぞれの地域に実際に足を運び、リサーチをして、文化を守り育てる「研究所」を設立。標高ごとの食材の組み合わせと、その標高の風景を再現した料理とともに、まるでペルー全土を旅するような食体験を生み出している。

左から、レオン氏、マルティネス氏、研究開発部門をつかさどる、マルティネス氏の妹のマレーナ氏。

さらに2018年、妻のピア・レオン氏が標高差にこだわらない自由な味の組み合わせの料理をアラカルトで提供する「コイエ」で一般の観光客や地元客に世界観を伝え、セントラルと共通で使っている原種の食材の良さを広く知らしめ、原種の保全に努めている。また17年にはクスコ近郊のインカ帝国時代の農業研究所、モライ遺跡の隣にあるレストラン「ミル」を開店。ここでは氏の標高差の考え方を生かし、よりアンデスの山々の食材にフォーカスしたテイスティングコースを提供する。ほかにも、村人とともに畑を耕してできた食材を使う、原種の芋類などのシードバンクを作る、地元の手作りの産品をレストラン併設のショップで販売するなど、地域と協働したアプローチを行なっている。そして今年4月、ミルのコンセプトを、より多くの人に知ってもらう拠点として、レオン氏が手がける、アラカルト中心のカジュアルな新店「マウカ」を、クスコの5つ星ホテル、ベルモンド内にオープンさせた。

マウカでアンデスのテロワールを表現してゆくレオン氏。
アンデスの根菜、マシュワの収穫。
マウカで提供されている料理「パイチェ、高地のジャングルのジュース、ココナ、ルゴソレモン、ユカ」。パイチェはアマゾンで広く食べられているピラルクの別名。

まずはファインダイニングで美食家を集め、続いてカジュアル店で一般化を図るという流れを確立した彼らの今後に、さらなる期待が寄せられている。

04.レオノール・エスピノサ「レオ」(コロンビア・ボゴタ)

独自の文化を生かし、最先端の美食を取り込む

自らの国に近代的な美食文化がなく、いわゆる「美食の先進国」から距離的にも離れた国では、チームのトレーニングも課題の一つ。2016年に内戦が終わり、これからの観光振興に力を入れるコロンビア。首都ボゴタで世界から美食家を集めるのがラテンアメリカのベストレストラン50で現在13位の「レオ」だ。

世界のベスト女性シェフにも輝いたオーナーシェフのレオノール・エスピノサ氏は、まだ内戦中だった2005年から、「食というアートの力で、社会問題を解決し、国を良くしていきたい」と、国内各地を訪問。「レオ」を開店した翌08年、NPO法人「ファンレオ」を設立。コロンビアでは特に農村部の貧困問題が深刻なため、子どもたちの栄養失調をなくすための教育などの活動を続けてきた。さらに、地元に根づく原種の大切さや、質の良い食材の作り方を教え、他のレストランにも販売できるようなマッチングを行うほか、海外からのゲストが訪れる高級店である「レオ」でも、彼らから直接多くの食材を購入し、店で提供することで、伝統的な農業を守り、地域に経済的な豊かさをもたらしている。

エスピノサ氏。
娘でソムリエのラウラ氏も「ファンレオ」の活動に積極的に参加している。

世界からの美食家を呼び込み、満足させるためには、最先端の美食を知ることが必須。進化を続ける技術革新にもついていかねばならないし、サービスの質が高くなければ豊かな食体験は生み出せない。チームの人数が多いレオでは、交通費もかさむ為、研修のために全スタッフを海外に連れて行くのは難しい。そこで、世界的な有名シェフをコロンビアに呼んで、全皿がゲストシェフの手によるスペシャルディナーを開催。最新の美食について教えてもらう代わりに、普段から地元のコミュニティを支える活動を通して関係性を築いているからこそできる、アマゾンの生産者をめぐるツアーなど、シェフの好奇心に応えるこの土地らしいユニークな体験を提供する。ゲストシェフからすると、コミュニケーションやアクセスが難しい秘境の地を訪れ、インスピレーションを得ることができるわけだ。また、最終的には社会問題の解決に貢献できる、という部分も、世界的なシェフたちからのサポートを得られやすい大きな理由の一つだ。地域や店に経済的な優位性がなくとも、その土地が持つ独自性と向かう方向性の「正しさ」で、最新の美食技術と等価交換できる場合がある、という好例だ。

ボゴタから北へ約1000キロの場所にあるカルタヘナの観光名所、ピンク・シーをイメージした料理など、風景からインスピレーションを得た料理が提供される。
ファンレオの活動風景。

地域が持つ価値を見極め、地域が向かう未来像を描く。それが、ガストロノミーツーリズムの成功の鍵と言えるのではないだろうか。

text: Kyoko Nakayama

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