“食”を通じて地域の魅力を掘り起こす日本のガストロノミーツーリズム 23年8月号


最近、よく耳にするガストロノミーツーリズムという言葉。食と観光の融合を指すが、受け止められ方はさまざまだ。ガストロノミーツーリズムとは何か、またどんな歴史や変遷をたどってきたのか。日本での今後の可能性も含め、国際観光学が専門の尾家建生氏に聞いた。

ガストロノミーツーリズムの成り立ちと変遷

今、世界で注目されるガストロノミーツーリズムは、いつ、どのように始まったのだろうか。
「ガストロノミーという言葉は古くからありましたが、観光と結びついたガストロノミーツーリズムが学問として研究対象になったりメディアに登場し始めたのは、2000年代に入ってからです。画期的だったのが、2002年にグレッグ・リチャーズを代表とするヨーロッパの研究グループが出版した『Tourism and Gastronomy』。食と観光をテーマにした初の専門書で、これを機に学問的にも社会現象としても世界的に広がっていきました」と尾家建生さんは説明する。

ガストロノミーとは、古代ギリシャ語で胃腸をあらわすガストロ、法則を意味するノミアが結合した言葉。古代ギリシャ、中世においても食は人生を豊かにするものとして芸術の題材にもたびたび用いられてきた。
「19世紀に登場したのが、法律家で美食家のブリア=サヴァランです。フランス革命後の1825年、食を学問的に体系化した『味覚の生理学』を出版。その中でガストロノミーの定義を取り上げています。彼にとってそれは単に美食をさすだけではなく、生産から消費までの過程で美味を探求する原動力である、と語っているんですね」

その後、宮廷料理だったフランス料理は大衆にも広がり、黄金期を迎える。しかしグローバル化と共に、1980年代にはイタリアでスローフード運動が起こったり、スペインの「エル・ブジ」が料理界に旋風を巻き起こすなど、もはやガストロノミーがフランス料理を意味していた時代は終わりを告げる。さらにアジアや中南米を訪れる観光客も増え、ヨーロッパでは、観光産業団体を中心にワインや郷土料理といった食の魅力を観光の中心に据えるガストロノミーツーリズムを打ち出すように。これが今や世界に広がり、美食との出会いを求めて各地に足をのばす観光客が増えている。
「その代表がスペイン・バスク地方の小都市、サン・セバスチャンです。平方メートルあたりのミシュランの星がヨーロッパ最多で、ピンチョスの食べ歩きも楽しい。豊富な魚介と肉類が生み出すバスク料理、地ビールやワインの魅力を打ち出し、美食都市として世界中の観光客を惹きつけています」

スターシェフが開催する国際コンクールやフォーラム、観光客や市民が楽しめるフードツアーや料理教室も人気で、2010年には10年後を見据えた高度な都市戦略構想として「戦略2020DSS」を計画。食を中心とした総合的な都市づくりなど常に新しい価値を生み出し、目が離せない。

このように、ヨーロッパを中心に発展してきたガストロノミーツーリズムだが、日本では食と観光はどのように結びついてきたのだろうか。
「EU(欧州連合)としてまとまったヨーロッパとは違って、日本では国内の旅行者を対象に、1980年代以降、食による観光まちづくりが始まりました。高度経済成長の後で、地方の産業がアジアに移って空洞化が始まった時、その対応策として力を入れ始めたのです」

1980年代に起こった地域振興プロジェクト、特産品を発掘する「一村一品運動」。1990年代になると各地に「道の駅」が誕生し、農家レストランなども旅行者から注目され、特産品や郷土料理の観光活用が盛んになる(第1次食のまちづくり)。この頃ブームが始まったB級グルメは、バブル期の高級料理へのアンチテーゼとして庶民に広がったが、2000年代になると市民参加の「B1グランプリ」など、ご当地グルメをブランド化する動きも加速(第2次食のまちづくり)。2010年頃からは「食の街道」「フードトレイル」などシステム商品の開発も進んでいる(第3次食のまちづくり)。

全国各地で行われている多様な取り組み

海外からの観光客に目を向け始めたのは、2003年に当時の小泉首相が政策として「観光立国」を打ち出した影響もある。その後、今日まで多くのインバウンドを迎え入れ、彼らに向けた食と観光を意識せざるをえなくなった。
「経済効果を考えると、国内の旅行者より多くの予算を食費にあてることも見逃せません。円安の影響もありますが、旅行支出も大きく伸びている。政府は年間6000万人の入国旅行者数を目指していますが、今後ますますインバウンド消費は増えるでしょう」と尾家さんは推測する。実際に訪日観光客の旅
行支出を帰国時のアンケート調査で比べてみると、2019年には平均で一人あたり15万8500円だったが、新型コロナウイルスの感染が下火になった2023年1〜3月期にはすでに約21万円と、約1.5倍もの伸びを示している。

東京や大阪、京都だけではなく海外からの観光客を地方にも分散させ、様々な魅力を国内外にアピールするには、何が必要なのだろうか。

尾家さんが注目し、長年にわたって調査を続けているのが、庄内地方だ。山形県は2000年に地産地消をいち早く条例で定め、「食の都 庄内」を打ち出してきた。観光地としては城下町・鶴岡、湊町・酒田など魅力ある景観があり、古くから出羽三山に参詣する人々が各地の野菜の種を持ち込んだため、在来作物が多く、地域には誇りを持って農業に取り組む、熱心な篤農家も多い。

温海カブの収穫風景。
写真:佐藤稔

そのような歴史や恵まれた食材を活かしたレストランを営む一人が、2000年に東京から故郷・庄内に戻りイタリア料理店『アル・ケッチァーノ』を開いた奥田政行シェフである。
「奥田シェフは“庄内は食のテーマパーク。あちこちに美味しいものがあるので、ぜひ遊びに来てください”と言うんです。既にある料理をブランド化するのではなく、いい食材作りから始める。つまり、地産地消から地産他消、さらに地産訪消という流れを作り、独自の料理を創造するのがシェフの持論で、それはガストロノミーツーリズムの根幹なんですね。庄内には他にも老舗の洋食レストラン、地産地消レストラン、農家レストランなどがあり、『フランス・イタリア料理』『寿司・魚料理』『日本料理』の3本柱を中心に、多種多様な飲食店が魅力をアピールする『庄内レストランガイド』も発行されています。観光客の占める割合が比較的高く、首都圏や海外からも美食を楽しみに訪れる人が増えているんです」

2004年にユネスコが創設した「創造都市ネットワーク ガストロノミー部門」には、2014年に日本からは初めて鶴岡市が認定されている。審査基準の一つに「数多くの伝統的レストランやシェフの活気に満ちたガストロノミー・コミュニティ」が挙げられるが、庄内は海外から認められた日本のガストロノミーの起点と言えるだろう。

また、クオリティの高い食文化を地域で育てようとしているところもある。新潟・群馬・長野3県の7市町村にまたがる「雪国A級グルメ」や、島根県の「邑南町(おおなんちょう)A級グルメ」だ。

雪国という文化的背景を共にする広域観光圏が「雪国A級グルメ」を認定。写真は「里山十帖」の雪室。
写真:竹田博之
「里山十帖」の周囲で採れる山菜。
写真:竹田博之

例えば、新潟県の魚沼市は米や酒をもとに原産地への配慮、原産地食材の使用、無添加への取り組みを進め「日本の中山間部としては群を抜いて美味しいお店や宿が揃う」とアピールする。一方の邑南町は高原野菜やハーブ、石見(いわみ)牛などで食と農に特化し、若い世代が移住したくなる町づくりなども視野に入れて活動しているそうだ。

食と農に特化した「A級グルメ構想」を実践する邑南町の里山イタリアン「AJIKURA」。
写真:尾家建生

「海外から学べ」と自治体や商工会議所が率先してサン・セバスチャンに研修に出かけるケースも。京丹後市や佐伯市、延岡市、いすみ市、浜松市などだ。京丹後市は視察後、料理人達が京丹後の地名をピンチョスになぞらえて名付けたひと皿料理と地酒を楽しむイベント「たんちょすバル」を地元で開催した。
「中心になっているのはミレニアム世代の若者です。低予算でもバルイベントなら開催できる、と。コミュニティでの祭りですが、参加した方々の評判はよかったそうです」

このような地方の食の魅力は国内では注目されているが、尾家さん曰く、海外からも多くの観光客を集めるサン・セバスチャンやトスカーナ、プロヴァンスと比べると、日本のガストロノミーツーリズムは、まだ単なる町おこしにとどまっている。海外にアピールできる地元の資源を活かしつつ、ジャンルを超えたクリエイティブな食文化を若い世代には期待したい、とのことだ。

これからのガストロミーツーリズムに必要なもの

国連世界観光機関(UNWTO)は新型コロナウイルスによるパンデミック後、観光産業に向けて次のようなメッセージを出している。
「ガストロノミーは食べ物以上のものです。それは、様々な人々の文化、遺産、伝統、共同体意識を反
映しています。異文化間の理解を促進し、人々と伝統をより近づける方法です」

では日本ではこれから、どのようにガストロノミーツーリズムを構築していけばいいのだろうか。
「私がサン・セバスチャンを訪ねて素晴らしいと感じたのは、リーダー的なシェフがいて料理人が一緒
に勉強会をしていること。バスク民族の誇りを大事にしていること。食の素晴らしさ以上に、都市の骨格が日本とは違う、ということでした。主要都市200以上が集まったEUの中で競争があり、グローバルな注目を集めてどう生き残るのか、という意識を、サン・セバスチャンの市民が強く持っていますね」

尾家さんは、サン・セバスチャンの何を学び、地元に帰ってどう活かすか。成功している要素を真似て形を取り入れるだけでは不十分だと指摘する。
「今後、課題になるのは日本の産業全般に言われることですが、まずは人材確保です。地方にいい料理人、手厚い雇用、女性が働きやすい環境なども必要です。次に世界中の観光客は広い意味での和食を求めて来ますので、和の伝統をどう守って独自色を出していくか。海外ならワインですが、日本には地方ごとに種類も豊富な日本酒がある。それぞれに合う美味の追求に力を入れるべきでしょう。鮮度のいい食材も好まれますし、旧宿場町などの伝統的な酒造や醤油蔵も魅力的です」

料理人がネットワークを作ったり、そのポテンシャルを活かす仕組みづくりも必要だ。グローバリズムのなかで様々な観光資源をマネジメントしたり、外国語でその土地の魅力をアピールできる人材も求められる。現在では、観光庁主導で従来の観光協会よりも戦略的な『DMO(観光地域づくり法人)』が活動しているため、例えば料理人のネットワークがDMOに働きかけるなどして積極的に魅力あるガストロノミーツーリズムを構築することも、可能だろう。
「日本でも地域が競い合ってランキングを決め、美食都市をつくるなどといった工夫が必要です。欧米ではメディアが審査する場合もありますが、“何をもって美食とするか”という基準をしっかり示すほうがいい。ミシュランは来年以降、東京と大阪でしか審査をしないとのことですが、ミシュランの星のような広く可視化できる基準が、都市や地域にも欲しいですね」

人口減少などの問題を抱える地方で、今後、才ある料理人を集めて農業や水産業を活気づけ、海外の観光客が訪れたくなる魅力ある町を創造していく。ガストロノミーツーリズムにはその可能性が十分にあると言えるだろう。

尾家建生
旅行業に30年間勤務した後、大学院修士課程を経て大学で旅行ビジネス・観光学の教員に。2021年より平安女学院大学 国際観光学部 特任教授。フードツーリズムや観光アトラクションが主な研究テーマ。2023年7月には『ガストロノミーツーリズム』(学芸出版社)を上梓。

text: Motomi Murota

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