Go To Travelで行きたい地方の名店#1 北海道「ル・ミュゼ」


自分のステージで勝負しつつ、世界を見据える

北海道札幌市 石井誠さん ル・ミュゼ

 札幌市内を西へ。円山公園を抜けた宮の森という閑静な高級住宅街に「ル・ミュゼ」はある。市街地から少し外れ、「なんでこんな場所でレストランを開くの?」と言われるような場所にもかかわらず、オーナーシェフの石井誠さんは15年間、店を守り続けている。パリの二ツ星「パッサージュ35」の佐藤伸一さんは、石井さんを「理想の料理人」と称える。市町村別の人口で日本第4位、196万人の札幌市から、発信を続ける石井さんの挑戦は、11年前の2005年に独立する前から始まっていた。

2015年、開店10年の年に、石井さんはそれまでいたスタッフと別れ、ひとりで再出発することを決めた。「その時42歳。あと20年仕事をしようと思ったら、『このままでは先がない』と思ったんです。そこで一度リセットして、考えることにしました」と振り返る。そして、自分がすべてを一から作ることで、自分がやりたかったことを再確認することができたという。

インターネットの登場。地方が地方でなくなる日がくる

 1995年、22歳で単身渡欧し、フランス、イタリア、スペインを訪れた石井さんは、帰国後、札幌のレストランで働き始める。その時から、東京などの大都会や海外での出店は考えていなかった。「理由はひとつではないですが、まず海外や都会が自分に合わなかったんです」、とゆっくりと石井さんは話し始めた。「僕には神経質なところがある」と言う。海外生活が体に合わず、帰国後すぐに入院したほどだ。スポーツ選手のように、継続して自分のすべての力を発揮するためには、地方で仕事をすることが一番だ、と思った。「もうひとつは、自分のステージで勝負したいと思ったからです」

石井さんが、独立するまでの20世紀末から2000年代初頭、インターネットが急速に普及し、世界が大きく変わった。隣の人も、世界の裏側の人も、同じデータにアクセスできるようになった。そんな時代を目の当たりにし、料理の世界が変わると直感した。「世界から見れば、日本の地方は地方でなくなる。"社会の距離"がなくなっていく未来のレストランでは、『産地との距離』が重要になるはずだ」と。

さらに、情報の共有によって、料理のテクニックやセンスに国境がなくなり、調理法や皿の美しさを競い合う時代は過ぎ去る。その後やってくるのは、料理人が国境を越えて表現する時代。その土地固有のものに触れて、固有の表現をしていくことが求められるようになった時、地方の方が有利だ、と思ったのだ。「大切なのは土地の味を表現すること。その瞬間にしか得られない味や香り、食感。そこに価値が見出される。そう確信したんです」

独立にも迷いはなかった。値段が安く、わかりやすければ人は来るだろう。しかし、それでは他の店と一緒くたになってしまう。道外のみならず、世界から人を呼べるレストランにする。その強い決意を胸に、広告も打たず、看板すら出さないレストラン「ル・ミュゼ」を、石井さんは31歳でオープンさせた。

店内には絵画作品が飾られ、店名の通り美術館さながら。イーゼル(画架)に架かっているのは、石井さんの油彩画。

道の六次産業の仕事に携わって出会った生産者

 現在、店ではオリーブオイルなど一部の調味料を除き、食材は、ほぼ100パーセント北海道の食材だ。「つねに素晴らしい食材を探していますが、なかでも難しいのは、魚です」と石井さんは苦労を明かす。

 野菜や果物は、幸運にも信頼できる八百屋がいて、道産の最高のものを紹介してくれる。店の周りの農家から購入することもでき、「ミュゼ・ファーム」という名の自家菜園もある。肉は、野菜や魚ほど種類が多くない。道外に誇れる羊やエゾジカもあるので、これも問題ない。

「20代の頃から地元の寿司屋さんに通い続けたんです。良い魚は、漁師さんから直接寿司屋さんに流れることが多く、市場にほとんど出回りません。この人、と尊敬できる大将を見つけ、話を聞くんです」

また石井さんは、2011年から「北海道食ブランド・アドバイザー」を務めている。道庁と道内の銀行による取り組みで、道内の産地を巡り、各地で進める六次産業に対し、味やパッケージ、販路に至るまで相談に乗るというものだ。

1人当たり面談時間は40分。その後10分の休憩を挟んで、次の面談が始まる。これを1日かけて行うため、アドバイザー側にも負担のかかる仕事だ。時には、年下の石井さんに対して、心を開こうとしない年上の相談者が出席することもある。

「話し方を変えたり、話題を工夫したり、いろいろと考えながらやっています。それでも続けているのは、それをやることによって、自分も助けていただいているからです」

 訓子府(くんねつぷ)町の菩提樹のハチミツや羽幌町のボタンエビなど、アドバイザーの仕事を通じて知り合い、店で使うようになった食材も多い。生産者の悩みも知ることができた。

厚岸町産牡蠣 カキえもん
札幌から車で5時間、北海道東部の厚岸(あっけし)町にある厚岸湖は、淡水と海水が混ざる汽水湖で、養殖牡蠣の産地。なかでも「カキえもん」は、海水温が低い場所でゆっくりじっくり育つため、身はふっくら、コクがあり甘みが濃厚なのが特徴だ。「紫外線殺菌水槽」設備により衛生面にも配慮されている。

都会で働いてもいい。その後一度は必ず地元に戻ってほしい

「地方では、ひとりじゃ何もできない。土地の個性は、みんなで作らなければいけないから。サン・セバスチャンもコペンハーゲンも、1つのレストランだけでは、世界に知られる美食の街にはならなかったはず」

 地方の魅力、北海道の魅力を知ってもらうためには、地元のレストランにも多様性が求められる。2泊、3泊と泊まる人が増えれば、結果的に、自分の店にも人がやってくる。

「中心となるシェフも必要ですが、札幌には『モリエール』の中博さんという、尊敬する素晴らしい料理人がいらっしゃいます。札幌にとっては、幸運なことです」

 不動産開発やリゾート事業を手掛ける森トラストは、今年7月、札幌駅から徒歩圏内の土地を購入し、外資系ホテルを核とする大型複合開発の検討を進めることを発表した。実現すれば、世界の富裕層の足が、確実に札幌に向かうことになるだろう。石井さんも、ラグジュアリーホテルの札幌開業を待ち望むひとりだ。

「これもひとりではできない。苦労してくださった先人の方々のおかげだと思います。札幌のステージがひとつ上ることを期待しています」「ル・ミュゼ」には現在、新卒の調理スタッフがふたりいる。北海道の芽室と秋田から出てきたふたりに対し、石井さんはこう助言している。「技術やセンスを磨くために都会へ行くのは良いが、その後は、必ず自分の地元に帰って、その土地の食材と料理を見てみなさい」

 それは年前、フランス・リヨン近郊ヴィエンヌの「ラ・ピラミッド」の偉大なるシェフ、フェルナン・ポワン氏が語った言葉と重なる。

「若者よ、故郷へ帰りなさい。そして、その地の市場へ行き、その土地の人のために料理を作りなさい」ポワンの弟子たちは、師の教えを受けて、ヌーヴェル・キュイジーヌという新潮流を起こしたのだ。

厚岸の海
厚岸湾の景色をグラス内に作り上げたようなひと皿。「カキえもん」に、クリアな旨味のコンブのエスプーマ、「竹鶴」のウイスキーの泡を加えている。キャビアとともに、石井さんが「畑のキャビア」と例えるグリンピース、ナスタチウムとディル、エディブルフラワーを飾った。グラスの下には、カキせんべいとカキの薫製、厚岸のワカメやコンブなどを粉末にして、厚岸の土を表現している。
ル・ミュゼ

ル・ミュゼ
Le Musée

北海道札幌市中央区宮の森1条14-3-20
011-640-6955
● 12:00~14:30(13:00LO) 8:00~22:00(20:00LO)
● 月休
● 30席+イデア(特別個室) www.musee-co.com


河﨑志乃=取材、文 井上美野=撮影

本記事は雑誌料理王国第280号の内容を本ウェブサイト用に調整したものです。記載されている内容は第280号発刊当時の情報であり、本日時点での状況と異なる可能性があります。掲載されている商品やサービスは現在は販売されていない、あるいは利用できないことがあります。あらかじめご了承ください。


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