カリスマ肉職人──パリの料理人やグルマンたちがこう呼んで敬意を表すユーゴ・デノワイエさん。自然への深いまなざしを基本に、家畜、生産者、そして肉を料理する人から食べる人まで、すべての「幸福」と「理想のかたち」を考慮して生産されるデノワイエさんの「肉」は、なぜ他の肉とはひと味もふた味も違うのだろう。パリ14区と16区にある精肉店には連日多くの客が訪れ、今や各国のシェフや肉好きたちが、「自分の国でもデノワイエさんの肉を販売してほしい」と、出店を心待ちにしているブーシェリーのひとりだ。 そのデノワイエさんが昨年、記念すべき海外1号店「ユーゴデノワイエ恵比寿店」を東京にオープンさせた。日本進出を機に、肉職人としてのこだわりや意気込みを聞いた。
──誰もが「デノワイエさんの肉はすばらしい」と口を揃えます。その理由はどこにあるんでしょうか?
きれいな水、家畜の成長に必要な栄養素を配合した餌、ストレスを軽減するゆったりした環境など、家畜が健康に育つための工夫を常に大切にしているからだと思います。特別なことは何もなく、これがすべてですが、動物は非常にデリケートで、育てるディテールを少し変えるだけでも、肉質に大きく影響するので注意が必要です。
──生産効率については、どうお考えですか。
効率を優先していたら、本当においしい肉は作れません。家畜に太らせるための餌をふんだんに与えて、早めに出荷してしまおうという生産者はフランスにもいます。しかし、それでも潤わない生産者は多く、行き詰って自殺する人もいるんです。それが正しいやり方ではない証拠ではないでしょうか?
うちの店では、私の考えを十分に理解して仕事をしてくれている生産者の肉は、すべて買い取るようにしています。効率最優先ではなく、良いものを作ることで生活が安定する。これこそ理想のかたちだと思っています。
──現在、何軒の生産農家と契約を結んでいるのですか?
26軒です。どの生産者とも良好な信頼関係を保っています。けれども、ここに至るまでは大変でした。私は12年ほど精肉店で修業をした後、27歳で独立しましたが、その時はまだ私の考え方を理解してくれる生産者は皆無でした。
──生産者とはどのようにして出会ったのですか?
休日になると車を走らせて、フランス中の生産者を1軒1軒訪ねて回り、肉に対する考え方、哲学のようなものをていねいに説明していったのです。走行距離は1年で約6万キロ。おかげで徐々に協力者が増えていきましたが、あまりに長時間運転しすぎたせいか、今は運転があんまり好きではないんです(笑)。
──肉職人を生涯の仕事にすることに迷いはなかったんですか?
ありません。精肉店での仕事を勧めてくれたのは父親で、初めて肉に触った時、とても「高貴な感触だ」と思いました。まだ15歳。幼なかったけれども、精肉に宿る命の尊さを感じ取ったのだと思います。
──独立当初から経営は順調?
とんでもない。最初は全くだめでした。私は精肉店の部長職を辞し、パートナーで妻のクリスは大会社の秘書を辞めての独立でしたから、わが家の収入は5分の1に激減。それが9カ月間続きました。でも、住む場所はあったし、おなかが減ったら売り物の肉もある……(笑)。なんとか持ちこたえました。理想に支えられていたのだろうと思います。
──海外の第1号店に日本を選んだのはなぜですか?
一番、ハードルの高い国だと思ったからです。ゲストの要求も高ければ、衛生面など政府が設けた基準も厳しい。まず、難しいところから始めてみようと考えました。パリの日本人シェフの中には、「ユーゴデノワイエ」の肉の愛用者も多いので、厳しい基準さえクリアできれば、うまくいくという確信がありました。
──日本でも扱う肉はフランス産?
ええ、牛肉に関してはフランスで仕込んだものを日本に送って販売しています。日本では肥育期間が30カ月以下の牛肉しか販売できないので、5年以上育てたような牛肉は販売できませんが、おいしさはわかっていただけると思います。
──日本の牛肉についてはどのような印象をお持ちですか?
日本にも熱心な生産者はいますし、日本式の良さもあります。だから、2年半ほど前から日本の生産農家とも仕事を進め、阿蘇のあか牛は扱っています。しかし、なかには遺伝子組み換えの大豆飼料の臭いや、発酵したトウモロコシの飼料の臭いが、気になるものもあります。どんなに腕のあるシェフでも、この臭いをごまかすことはできないと思うのです。ただし豚肉については、茨城県で肥育されているすばらしい梅山豚との出会いがありましたので、そちらを販売しています。
──料理人の立場に立って肉を生産、販売されている。それがデノワイエさんの肉が支持される理由のひとつ。シェフとの出会いや交流も大切にされているそうですね。
一番、印象深かったのは、もと「トゥールダルジャン」の料理長で、現在二ツ星店「ルレ・ルイ・トレーズ(ルイ13世)」のオーナーシェフ、マニュエル・マルティネスさんとの出会いです。私の仕事ぶりがテレビで紹介されると、パリの「ユーゴデノワイエ」は、いきなり行列のできる精肉店になって、その列の中には著名なシェフもいました。マルティネスさんも辛抱強く並んでくれたシェフのひとりだったのです。
──本人がお店に並んだ?
そう。ようやく彼の番になって、シェフに気付いてこう言いました。「お待たせしてすみません。あなたならご自分で肉をカットすることができるのですから、骨付きのリブロース30枚、自由にカットして持っていってください。調理場もありますから、実際に料理して味見をされてもかまいませんよ」。
──思い切った発言ですね(笑)。
喜んでくださって、それからは好きな肉をほしい分だけ自分でカットして持っていくようになりました(笑)。彼とは今も仲の良い友人です。
──良い肉に仕上げるには、血統へのこだわりも大切と聞きますが。
私は血統にはこだわりません。血統による決定的な味の違いはないと考えるから。それよりも肥育環境や水、餌にこだわることのほうが重要で、餌で言えば、夏は牧草、冬はまぐさ。と畜する8~12カ月前になると、ビーツや亜麻などを配合した特別の飼料を与えるようにしています。
──熟成にも時間をかける?
と畜後の肉については熟成が大切です。私の店では冷蔵庫内で3~6週間、寝かせるようにしています。
──デノワイエさんの肉には独自の分類法があるそうですが?
そうなんです。たとえば牛肉を選ぶ場合、普通は「近江牛のリブロース」というように、ブランド名や部位で注文しますね。うちの店では、「ドゥ(繊細)」「ロン(まろやか)」「コルセ(濃厚)」の3つの味わいと、部位で肉を分類しています。
──それはまた、どうして?
お客さまに、「好きな食感や味を見出してほしい」「知らない味を体験してほしい」と思って、私が考案しました。「ドゥ」の特長は、適度な弾力で、口に入れると溶けるようなやわらかさ。「ロン」は、豊かな香りの深いルビー色のバランスの良い肉。「コルセ」は、脂肪が凝縮された、まるでパルマハムのような深い味わい。それぞれに違う個性を楽しんでいただきたいと思います。
──こうして牛肉のお話を伺っていると、仕事への誇りと喜びがストレートに伝わってきますね。
私の仕事を評価してくださる方々のおかげだと思っています。今年の年頭にも、ピエール・ガニェールさんから連絡があって、「あなたと仕事をするようになってから肉で苦労をしたことが一度もない。いつも完璧な肉をありがとう」と言われました。これほどの賛辞をいただけるなんて本当に光栄です。日本のトップシェフたちとも良い関係が築けるよう、精いっぱい努力していきます。
ユーゴ デノワイエ(恵比寿店)
HUGO DESNOYER(EBISTEN)
東京都渋谷区恵比寿南3-4-16アイトリアノン1・2F
03-6303-0429
● 11:30~15:00(14:00 LO)14:00~17:00(ティータイム1Fのみ) 18:00~23:30
(22:30 LO、2Fでのディナーのみ要予約)
● 月休
● 50席
www.hugodesnoyer.jp
上村久留美=取材、文 星野泰孝=撮影
本記事は雑誌料理王国第260号の内容を本ウェブサイト用に調整したものです。記載されている内容は第260号発刊当時の情報であり、本日時点での状況と異なる可能性があります。掲載されている商品やサービスは現在は販売されていない、あるいは利用できないことがあります。あらかじめご了承ください。