今年秋、「虎ノ門ヒルズ ステーションタワー」がオープンする。地上49階、地下4階、高さ約266mの多用途複合の超高層タワーで、東京メトロ日比谷線「虎ノ門ヒルズ」駅と街の一体的な開発により注目を集めている。
その中で新たな情報発信拠点としてタワー最上層部を占めるのが「TOKYO NODE」だ。ビジネス、アート、エンターテイメント、テクノロジー、ファッションなど、領域やジャンルを超えて様々なコラボレーションを促進し、新たな体験や価値、コンテンツや情報を創出し、東京から世界に向けて発信していくという野心的なプロジェクトだ。
屋上には、スカイガーデンやプールの他、レストランがオープンすると話題だが、その全貌はシークレットのままであった。それが明かされたのがこの7月20日。現れたのは、北村啓太氏43歳だ。フランス・パリで15年の経験を経て、満を持して日本に凱旋した精鋭のシェフである。2017年には日本酒専門店である「La Maison du Saké」内のガストロノミーレストラン「ERH」のシェフに就任し、2019年にはミシュラン・ガイドの1つ星を獲得している。日本では成澤由浩シェフに7年間師事してからフランスに渡り、しのぎを削った北村シェフ。料理の世界に入って以来抱いてきた「世界に通用する一流のシェフになりたい」という思いは、いつも胸の中にある。日本へ帰国する直前に、その思いを語ってもらった。
北村啓太
1980年滋賀県生まれ。辻調理師学校卒業後、1999年に、成澤由浩シェフ率いる「ラ・ナプール」へ。2003年、青山に移転し「レ・クレアション・ド・ナリサワ」をオープン。継続して勤務する。2008年渡仏。ジャック・ラシピエール氏オーナーの「オー・ボン・アキュイユ」、「レ・ザンジュ」に勤務する。「ピエール・ガニエール」なども経て、2011年 「オー・ボン・アキュイユ」のシェフに。2017年「ERH」のシェフに就任。2019年にミシュラン・ガイド1つ星を獲得する。
——凱旋帰国おめでとうございます。15年のフランス滞在を経ての新しい挑戦ですね。
ありがとうございます。3歳になる娘がいて、もう少し国際的な感覚を身につけさせてから日本に帰国できたらとも思いましたが、タイミングを見極め、素晴らしいチャンスをいただいたと感謝しています。ちょうどコロナ禍の2年半ほど前に、知り合いを通してお話をいただきました。「世界のトップブランドを目指すハイエンドレストランに、未来の日本を担える若手シェフを」というオファーで、身が引き締まる思いです。
——初めてシェフを務めた、パリ7区のビストロ「オー・ボン・アキュイユ」にいらした頃から、スタッフとともに素材を探しにマルシェへ行くなど、良い指導者であり、チーム作りが上手なシェフであるという印象でした。パリを離れて日本ではどのようなチームを作ろうと考えていますか?
実はこの話をいただいたときに、「ERH」(エール)のスタッフに話をしたのです。興味はあるかと尋ねたら、みな興味を持ってくれました。
フランスでミシュラン・ガイドの2つ、3つ星を目指していくこともできますが、現実のところ難しい。「ERH」で4年間1つ星を維持することができてきた中で、常に次を目指し、料理を進化させる努力をしてきました。「ERH」は、日本酒専門店である「La Maison du Saké」を母体としているために、日本酒とのペアリングという挑戦で差別化が図れた。個性を出すことができたので、2つ星は狙えると思っていました。ただ、フランスの2つ星レストランを見渡せば、いずれも相当な顔ぶれです。内装やサービスを含め底力が必要で、総合力が問われると痛感していました。
そんな中でいただいたオファー。「ERH」の僕を支えてくれてきた、シェフ・パティシエの宮本景世と、スーシェフの渡邊亮介、そしてソムリエ兼客室責任者Bertrand Verdierの3人が、日本での挑戦を共にしてくれることになりました。
——彼ら3人がパリを離れて日本で挑戦することを決定づけたものは何だと思いますか?
「ミシュラン・ガイドの3つ星獲得を目指す」というのが根本にあります。それを推奨してくれるオーナーは、今の時代なかなかいません。そうした中、「ERH」のスタッフは僕が常に上を目指していることを誰よりも理解してくれていたと思います。
レストランの名前は、吟味した結果「apothèose(アポテオーズ)」に。アポテオーズとは、バレエ用語でフィナーレ、最高の賞賛のことを意味します。神格化、神の道に通じる意味もあり、頂点を目指すこのネームを選びました。
——パリ15年間での経験はいかがでしたか?
フランスに来て本当に良かったです。料理が楽しいということを体感し、食文化の楽しみ方も知ることができました。
例えば、食材との距離感が非常に近くなった。日本にも畑はありますし、生産者との距離も近くなったとは感じていますが、フランスだと生きた食材をいつでも見に行ける。料理人でなくとも一般の人たちも普通にマルシェなどで購入できます。人と食が人生の中で密接に共存しているというか。生きる過程で食が共にある楽しみは、フランスで学びました。
また、食材から、追い込まれるというか、試練を与えられるという感覚ももらいました。フランスの場合、季節ものは季節が終わったら本当に終わってしまうので、だからこそ、美味しいものはその季節に食べるということを一般の人も楽しみにしていると思います。僕も料理人として、この瞬間にしかないこの食材に対して全身全霊で挑まなくてはならない。うかうかしてはいられない、食材とのそうしたやりとりも楽しかった。一方で日本の場合、年間を通じて同じ食材が手に入る事が多いので、この感覚に自分で追い込んでいかなければならないと思います。同時に、フランスでの経験を生かして、日本の食材としっかり向き合って、素晴らしさを表現していきたい、伝えていきたいと思っています。
interview & text:Aya Ito
後編では、日本で師事した成澤由浩シェフとの思い出、海外で強くインスピレーションを受けた食体験、新店「アポテオーズ」について聞きました。