コロナ後初来日、ピエール・ガニェール が考える「これからの食」のあり方

そのアーティスティックなアプローチから「厨房のピカソ」と呼ばれ、誰もが思いつかないような味の組み合わせを美味しく仕上げる天才として知られる、ピエール・ガニェール氏。72歳になった今も変わらずに精力的に世界を回り、新しいクリエイションを生み出すガニェール氏が考える、未来の食とは。

そのアーティスティックなアプローチから「厨房のピカソ」と呼ばれ、誰もが思いつかないような味の組み合わせを美味しく仕上げる天才として知られる、ピエール・ガニェール氏。72歳になった今も変わらずに精力的に世界を回り、新しいクリエイションを生み出すガニェール氏が考える、未来の食とは。

4_黒毛和牛フィレ肉とウナギ 海藻の香るジャガイモのムースリーヌ
今回のメインディッシュ「黒毛和牛フィレ肉とウナギ 海藻の香るジャガイモのムースリーヌ」はガニェール氏得意の海と山の食材の組み合わせ。

フランス料理変革の時代を振り返る

ガニェールシェフといえば、現代的な料理を思い浮かべる方が多いように思いますが、元々ボキューズさんのもとでも働いていたとか。

父はリヨンからも程近いサン・テティエンヌでレストランを経営していましたから、ポール・ボキューズさんの知り合いだったので、14歳の夏休みの時、2ヶ月だけ研修に行ったのです。ボキューズさんは当時、すでにスターでした。それまで、シェフは厨房でただ料理をする人で、サービスが花形だった。そんな時代に厨房から出て、シェフの地位を押し上げたのです。今は料理が、アートと同じように表現されたり、評価されたりしますが、昔はただの「食ベ物」だったのです。

3_赤ビーツの香るブルーオマール海老 パースニップスのブレゼとプティ・ヴェール
「赤ビーツの香るブルーオマール海老 パースニップスのブレゼとプティ・ヴェール 」。「厨房のピカソ」と呼ばれることについては「色々な色を料理に使うようにしたので、そう呼ばれるようになったのでしょうね」ちなみに、好きなアーティストは、アメリカのサイ・トゥオンブリー。

—ボキューズさんといえば、ヌーベル・キュイジーヌでフランス料理に革新を起こしましたね。

ヌーベル・キュイジーヌの波は、パリから生まれたものではなく、もっと南、リヨンを中心とするエリアから生まれました。リヨンのボキューズ、ウーシェのトロワグロ、ミオネーのシャペル、ラ・ナプールのウーティエ。こういった人々が70年代に日本に訪れ、多くのインスピレーションを受けて、新しい料理を生み出したのです。

—ボキューズさんはそれまでクタクタに煮ていたインゲンを、日本のように色鮮やかに、食感を残して茹でるようになったと言いますね。リヨンから程近い、サン・テティエンヌにもヌーベルの波は押し寄せたのではありませんか?

そうですね、ヌーベル・キュイジーヌの時代は、ヒッピームーブメントとも重なっています。私は1950年生まれ。ちょうど、60年代後半から70年代に青春時代を過ごしました。もちろん、私は裸足で料理したりしていなかったので、ヒッピーではありませんでしたけれど(笑)、伝統から解放されて、新しいことを生み出そうというエネルギーや時代の空気にも大きく影響されました。
それは、自分自身のキャリアとも重なって見えたのです。父はレストランのオーナーシェフでしたし、私は長男でしたから、当然のように後を継ぐと思われていました。レストランに縛り付けられているように感じて、息苦しかった。でも、伝統の枠に縛られすぎなくてもいい、自分の表現として料理をしていい、と考えた時に、全ての扉が開くように感じられたのです。
私が料理の発想をする時は、小説を書くのや絵を描くのと同じように、自分の中のエネルギーを形にしているのです。

—あなたの所で学んだ多くのシェフが、世界で活躍しています。そういったシェフにインタビューした時に、よく皆がいうのは、「ガニェールさんは、これまでのルールにない組み合わせや料理を生み出す天才だ」と。

私はよく「モダン」な料理をつくると言われるけれども、実はそんなにモダンという言葉は好きではないのです。私は伝統料理も大好きですし、自分が何かを発明したとは思いません。伝統に則って、それを少し自分流にしているだけなのです。車を発明したわけではないけれど、素晴らしい車をつくる日本人と同じです。

例えば、海の食材と山の食材を合わせるようになったのは、私のように言われているけれど、決してそうではありません。例えば、鶏とエクルヴィスのような組み合わせは、伝統的にあったのですから。私が初期に作った海と山の組み合わせで、自分でも特に気に入っているのは、牡蠣とコンテチーズの組み合わせ。1977年か78年のことだったと思います。

生姜の香る真牡蛎のポッシェ 蕪のジュレとマンゴー オシェトラ・キャビアと共に
今回提供された牡蠣は、マンゴーと新生姜のアクセントをきかせたもの。 「生姜の香る真牡蛎のポッシェ 蕪のジュレとマンゴー オシェトラ・キャビアと共に」

—そして、一つの食材を多様に調理し、別々の小さな皿で出す、デグリネゾンのスタイルでも知られていますね。

異なった仕立ての皿をコーディネートすることで、エレガントになるでしょう?楽しくて、美意識を感じられて、ストーリーもある。レストランは体験を買う場所であり、ショーのようなもの。料理そのものの見た目だけでなく、インテリアやテーブルクロス、皿やカトラリーの取り合わせも重要です。家庭で簡単にはできない料理で、ゲストに感動を与えたかったのです。料理は、いかに感情を生み出すかの実験でもあるのです。

よく日本の懐石料理に影響を受けたのか、と聞かれますが、それは違います。当時、地球の裏側の日本の情報は入ってこなかった。でも、1985年に初めて日本に行った時、自分がやってきた料理が裏付けられた気がして、とても嬉しかったですね。

—その後、2006年には共著で「料理革命」を出版されるなど、エルヴェ・ティスさんとも親交を深め、分子料理学も取り入れられましたね。

そうですね。一緒に研究を始めたのは、25年ほど前です。当時、科学的なアプローチで、自分たちがやっている料理がどういうものなのかを学びたかった。例えばマヨネーズを作るのに、どんな科学的な背景があるのかを知ることができました。料理を理解するために大切なことを学べた。知識があればあるほど、私たちは、よりエレガントに、洗練されると思うのです。ただ、科学的な方法に寄りすぎると、料理ではなくて実験になってしまう。現在の料理には分子料理はさほど取り入れていません。

35席に対して、厨房スタッフは赤坂シェフを入れてわずか7人、食材の面白い組み合わせに目が奪われがちだが、その背景には丁寧に作られたソースがある。厨房はいつもピカピカだ。 photo:Kyoko Nakayama
35席に対して、厨房スタッフは赤坂シェフを入れてわずか7人、食材の面白い組み合わせに目が奪われがちだが、その背景には丁寧に作られたソースがある。厨房はいつもピカピカだ。
photo:Kyoko Nakayama

—今回の来日は3年ぶりですね。コロナ禍で料理の世界も変わったと思われますか?

もちろんです。特に気になるのは、コロナ禍を経て、個人主義に拍車がかかっていることです。利益重視で、チームを大切にしなくなっている傾向があるように思います。私はこの東京でも、20年という長きに渡って共に働いている洋介、そしてサービスのラファエルと、信頼できるスタッフに囲まれて、とても恵まれている。そのことに感謝しています。
人材不足は飲食業にとって深刻な問題です。料理という手仕事の継承も難しくなっていくでしょう。人と人との関係性を大切にして行くことが求められていると思います。
シェフ1人では何もできない。誠意と敬意を持って、チームをケアすることが大切なのです。

仕事の話だけでなく、家族はどうしている?そんな温かな会話も交わされていた。 photo:Kyoko Nakayama
仕事の話だけでなく、家族はどうしている?そんな温かな会話も交わされていた。
photo:Kyoko Nakayama

それから、新しいテクノロジー、スマートフォンが料理の世界に入り込みすぎている。三つ星の店で、スマホのカメラを自分に向けて、食べている姿を撮影しながら食事をする人を見かけることもあります。

最後にお伝えしたいのは、この仕事の素晴らしさ。自然とつながることができ、旅に出て、多くの人に出会うこともできる。私は元々この仕事が大好きだったか、と言われたら、そうではなかった。でも、今は大好きです。人を幸せにできる人生は、幸せなものだと思いませんか?

ピエール・ガニェール

ピエール・ガニェール
〒107-0052 東京都港区赤坂1丁目12−33 ANAインターコンチネンタルホテル東京36階
ランチ12:00~15:30 (13:30L.O.金〜日、祝日のみ)、ディナー 18:00~23:00(19:30L.O.水〜土、祝日のみ)
https://anaintercontinental-tokyo.jp/pierre_gagnaire/

text:仲山 今日子

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