2010年11月、ヴィテルボの「ラ・トーレ」でミシュラン一ツ星を獲得し、イタリアのメディアやイベントでその名を見る機会が増えたのが能田耕太郎さんだ。しかし一ツ星獲得後わずか半年たらずで「ラ・トーレ」を離れ、イタリア生活の原点であるローマに戻る。
さまざまな経験や成功、挫折を繰り返し、現在は「ビストロ64」のシェフとして、ネオ・ビストロ・スタイルでこれまでの経験を皿の上に表現する。
イタリアのガストロノミーの世界において、最先端は今も昔もミラノである。グアルティエロ・マルケージが、イタリア史上初めてミシュランで三ツ星を獲得したのもミラノなら、フュージョン和食、ハッピーアワー、ストリートフード、クチーナ・コンテンポラネアと、それに続く大小さまざまなムーブメントもやはりミラノ発。首都でありながらも、ローマがイタリア料理の中心であったことは近世以降一度も無かったのだ。
それでも80年代以降、「ガンベロ・ロッソ」、「ハインツ・ベック」といった現代イタリアを象徴するキーワードがローマに登場すると、永遠の都も料理で活気づき、2015年のガイドブックでミラノと比べると、ミシュランの星の数はミラノが16でローマは20。ガンベロ・ロッソのフォークの数でも53対84と実はローマの評価が高く、イタリア一のガストロノミーの都であることを如実に表している。
ペスカ・エ・カラメッロ
キャラメルのジェラートと桃のコンポート、桃のムースで構成したドルチェ。イタリアの初夏を感じさせる桃の香りと冷たいジェラートが、さくさくのビスコッティやチャルダの食感とよくあう。蒸し暑いローマの夏にはぴったり。
ローマの高級住宅街フラミニア地区にある「ビストロ64」。シェフを務めるのが能田耕太郎さんだ。大学在学中、料理人になりたくて、あるフランス料理店の扉を2度叩いたが、働く機会はついにおとずれなかった。しかしその店のシェフは能田さんに言った。「私は家族があるからフランスには行けなかったが、お前はまだ若いから世界をみてこい」と。
バックパックに荷物を詰め込んだ能田さんは、ヨーロッパ食べ歩きの旅に出てイギリス、フランス、スペイン、イタリアを歩く。フランスでは三ツ星レストランも体験したが、肌で感じて最も自分に合う料理だと思ったのはイタリア料理だった。
「ミラノで何気なく入って食べたミラノ風リゾットがすごくおいしかった。それで、自分がやりたいのはイタリア料理だと気がついたんです」
日本に戻った能田さんは、地元神戸にオープンした「ビストロ・グアルティエロ・マルケージ」に入店する。その当時マルケージからシェフとして日本に送り込まれたのが、後に「ピアッツァ・ドゥオモ」でミシュラン三ツ星を獲得するエンリコ・クリッパ氏だった。
エンリコ・クリッパ氏の勧めでイタリアへ渡った能田さんは、ローマの名門ホテル・エデンでイタリア生活の第一歩を踏み出す。順調にキャリアを積み、ヴェネト州の「ジェリウス」で働いていた時、次のレストランについて相談したら「次はお前がシェフをやれ」と言われた。それがローマの北西約60キロにあるヴィテルボの「ラ・トーレ」だった。
裸のポルケッタ
ローマ近郊でよく食べる豚の丸焼き「ポルケッタ」の再構成。子豚は低温調理でなく極シンプルにローズマリーとセージとともにロースト。皮は一度外し、さらに火を入れてカリカリに。脂の強いコッパとともに食べると旨味が増す。付け合わせはリンゴのオーブン焼き。
能田さんがシェフになった当時の「ラ・トーレ」は、安くておいしい地元の店として評判を取り連日満員だった。しかしワイン好きのオーナーがワインを買い込み過ぎ、経営がうまくいかなくなり、一度閉店してしまう。
次にフィレンツェの「エノテカ・ピンキオーリ」で働いていたとき知り合ったのが、ヴィテルボ出身のソムリエだった。彼とともに「ラ・トーレ」再興計画で盛り上がり、2008年能田さんは再び「ラ・トーレ」のシェフに返り咲く。今度は最初から星を狙い、3年目の2010年11月、2011年度版ミシュランで見事一ツ星を獲得する。
「おかげさまで連日満席でしたけど、厨房には2人しかいないので、毎日20 時間働いていました。星を取っても僕自身は変わらなかったんですが、周りが変わって来た。特にオーナーである彼が変わった。僕が本当にやりたかったのは、とにかくおいしい料理をお客様に提供することだった。けれど、彼は違ったんです。次に何をしていいのか、自分でも分からなくなっていた時代です」
存在感大きめのフジッリ「フジッローネ」に滑らかなバジリコ・ペースト、ジャガイモ、サヤインゲンという伝統的リグーリア風の組み合わせのパスタ。チーズのように見えるのが薄く切ったコウイカのマリネで、軽やかでほぼ生に近いがパスタの熱でとろりとした食感に。
トスカーナの夏の郷土料理であるパンツァネッラの進化形。トマトソースをパンにしみこませ、バッカラをトッピング。バジリコ・バターとピリっと辛いトマトのコンフィとともに食べる。トマトの酸味で淡白なバッカラを味わい、パンの香ばしさが後味を引き締める。
2011年3月、能田さんは店を休んで東北大震災のチャリティイベントを準備していたが、記者会見当日、やはり店に来て欲しいとオーナーが言った。それでも準備していたチャリティイベントを優先したところ、翌日解雇を告げられた。
再びローマに戻り、アラブ資本の五ツ星ホテルのシェフを2年間勤めるが、今度は値段が高過ぎてほとんど客が来なかった。その時、常連として来ていたのが「ビストロ64」のオーナー、エマヌエレ・コッツォ氏で、やがて能田さんをシェフとして招いた。価格は控えめだけれど、皿の上ではイタリアのガストロノミーを展開する「ローマ風ネオ・ビストロ」実現のために抜擢されたのだ。
「今現在の仕事は、これまでの集大成。とにかくいい素材を使っておいしい料理を作りたい。もちろん次のステップとして自分の店もやりたい。けれどまだ準備ができていない。本当は自然に触れられる田舎がいいけれど、日本人が田舎で開くリストランテに、最初からどれだけの人が来てくれるのか、その判断も難しい」というのが能田さんが考える自分の店のイメージだ。
残念ながら現在、世界のガストロノミーの中心はイタリアではない。しかし、フランスやスペインに負けないおいしい郷土料理がある。
「いま、日本の若者は2~3年イタリアで郷土料理を学んで日本に帰り、そういう料理を作る人が多い。けれど、ガストロノミーの世界でも、若い人たちに続いて欲しい。ミラノの徳吉洋二さんみたいに、若い日本の料理人に刺激を与えられる存在でいたいと思う」と、能田さんは語る。
イタリア在住16年にしてまだ道半ば。能田さんの挑戦は続く。
1974年愛媛県今治市生まれ。大学時代に料理人を志し、ヨーロッパ食べ歩き中にイタリアと出会う。神戸の「ビストロ・グアルティエロ・マルケージ」後、1999年渡伊。「ホテル・エデン」「ラ・トーレ」「エノテカ・ピンキオーリ」などを経て、現在はローマの「ビストロ64」シェフ。
ビストロ64
Bistrot 64
Via GuglielmoCalderini, 64 ROMA
☎+39 06 32 35 531
●12:30~15:00、19:30~23:00
●日、月昼休
●コース 昼€15~、夜€35~
池田匡克=取材、文、撮影
本記事は雑誌料理王国252号の内容を本ウェブサイト用に調整したものです。記載されている内容は252号発刊当時の情報であり、本日時点での状況と異なる可能性があります。掲載されている商品やサービスは現在は販売されていない、あるいは利用できないことがあります。あらかじめご了承ください。