「地方のテロワール」を「NIPPON」というテロワールに(前編)


星のや東京 浜田統之さん

2016年7月、皇居からほど近いビジネス街・大手町で開業した「星のや東京」。当初は日本人宿泊客が多かったが、地上17階のビルで日本旅館の伝統を体験できる素晴らしさがSNSなどで広まり、現在は約7割が欧米やアジア圏からの富裕層。1泊と言わず、数日~1週間連泊する客も少なくないという。

「星のや東京」の日本らしいもてなしと共に、彼らの心を掴んでいるのが、料理長浜田統之さんが生み出す「NIPPONキュイジーヌ」だ。

「石」五つの意思
大理石に乗せたアミューズは、海山の五味が凝縮された小さなコース料理。手前から、キスのタルタルで酸味を、トマトのガスパチョで塩味を、鮎のムースで苦味を、鰹のメルゲーズで辛味を、桜鱒のキッシュで甘味を表現。

東京へ来て揺らいだ料理のアイデンティ

浜田さんといえば、「軽井沢ホテルブレストンコートユカワタン」の料理長だった2013年に、伝統のあるフランス料理の世界コンクール「ボキューズ・ドール」で、日本初の総合第3位(銅メダル)を獲得。魚部門では世界第1位をとったことで知られている。

しかし、それと同じくらい評価されるべきなのは、それまであまり高級とされていなかった長野の川魚、特に「鯉」に価値を見出し、美食家を唸らせてきたことだろう。

長野でも、舌平目や真鯛を手に入れることは難しくない。しかし、浜田さんは自ら長野という“テロワール(風土)”を結界とし、食材に制限のある中で、どうしたらおいしいひと皿にできるのかを考え抜いた。

多くの食べ手や作り手がそんな浜田さんの姿に感銘を受け、テロワールを活かす本当の意味とはどういうことか、また、食材の価値とはいったい何なのかを見つめ直すきっかけをもらった。その功績は大きい。「ところが、です」と浜田さんは言う。「星のや東京の料理長になって東京に来てみたら、ここには全国、いや外国からも食材が集まり、モノが溢れかえっている。なんでも手に入る環境では、僕が今まで心の拠り所にしていた、地方のテロワールで食材を制限するという概念が通用しなくなってしまいました」。

そんなこともあり、浜田さんは「星のや東京」のダイニングの方向性に迷い、苦しんだ。すでに“日本の旅館”というコンセプトがあったため、料亭や割烹で日本料理のエッセンスを学ぼうと努力もした。

「でも、日本料理を研究すればするほど、自分の料理を和食の技法に近づけることは、自分が目指すべき方向ではないと感じました」

苦しんだ浜田さんが再発見した“制限”。それは日本=NIPPONという広義のテロワールだった。

(さん)」岩牡蠣
昆布出汁でポシェした岩牡蠣に、塩漬けにした熊のラルドをまき、熊のオイルで仕上げた。海の脂肪分と山の脂肪分の組み合わせの効果は絶大。

コースには肉を使わない高級魚にも頼らない

日本のテロワールを活かした料理、とういうとあまりにもありふれた言葉かもしれない。しかし前述のように、浜田さんは従来は注目されなかった食材に価値を見出し、己の料理のアイデンティティを築いてきた。ただ日本各地の高級食材を集めてどう使うか、という話ではない。「特に魚は、人間が勝手に高級魚と雑魚に分けて、価値を決めている。しかも東京にはあらゆる高級魚が集まりすぎて迷うほど。だからこそ、なるべく陽の目を見ていない魚を使い、高級魚よりもおいしいものに変身させてやる、と考えました。和牛にも頼らない。魚で勝負しようと決めたんです」

「サメガレイのことは、北海道の漁師さんに教えてもらいました」。皮は鮫皮のようにざらざらで、裏側は真っ黒。しかも粘液でブヨっとしていて、とにかく醜い。味は良いのに、高級店で使われることはあまりなく、地元では家庭料理として煮付けにするくらいらしい。「でも、人に嫌われるほどのいかつい鮫肌を見たとき、この命を絶対に輝かせたいと思いました。ボキューズ・ドール出場時のテーマ食材だったチュルボ(スナガレイ)にも似ている。じっくりとアロゼしてゴツゴツの皮をパリッとさせたら、スナガレイのような個性のあるムニエルになると考えたんです」

浜田さんは技術を見せつける盛り付けにも興味がないと言う。その理由は、どの魚でも同じような盛り付けになってしまうからだ。

「皿に盛り込みたいのは、食材のストーリーや料理の成り立ち。サメガレイは砂に埋もれるように生息していて、堂々と姿を見せるような魚ではありません。皿の片側に寄せ、野草で隠すようにしたのは、サメガレイの控えめな習性を伝えたいための、僕なりの表現方法です」

漁業関係者からその土地でしか食べられていないおいしい魚を聞き出す浜田さん。カツオも使うが、血合いや頭も使い切る。静岡県焼津「サスエ前田魚店」の前田尚毅さんと。

「星のや東京」のような高級ダイニングで、いわゆる高級食材に頼らない料理を出すのはかなりのチャレンジで勇気もいるはずだが、そのあたりはどう考えているのだろうか。「やはり軽井沢で川魚と真剣に向き合い、たくさんのお客さまから支持をいただいた経験が自信に繋がっています。たくさん失敗もしましたが、鯉のムースやタルトなど、納得できる料理もできました」

高級魚はそれ自体がおいしいので、刺身や鮨などシンプルな技法で食べるのに向いている、という浜田さん。例えば京都の「草喰(そうじき)なかひがし」では、川魚や摘み草に工夫をして現代の美食に昇華させている。「僕が目指す料理も、僕の手で旨いものにしたいんです」

価値が低いとされてきた食材、今まで自分を含め多くの人が見向きもしなかった食材が、フランス料理独特の足し算する技法で立派なひと皿になり、シェフである自分よりも雄弁に語るようになって欲しい ――。「僕のライバルは、フランス料理ではなくて鮨店かもしれない。でも同時に、鮨店の無駄のない構成は目標でもあります」

「貴」かつお
カツオの刺身を、カツオの酒盗で漬けにし、実山椒、ミョウガや木の芽、カツオの血合いのブーダンノワール風のソースで食べる。

Noriyuki Hamada
1975年鳥取県生まれ。イタリア料理店で修業後、フランス料理の世界へ。2007年「軽井沢ホテルブレストンコート」の総料理長に就任し、「ユカワタン」を監修。 13年「ボキューズ・ドール」フランス大会本選で世界第3位に輝く。16年より「星のや東京」料理長。

横田典子=取材、文 星野泰孝=撮影

本記事は雑誌料理王国2017年9月号の内容を本ウェブサイト用に調整したものです。記載されている内容は2017年9月号発刊当時の情報であり、本日時点での状況と異なる可能性があります。掲載されている商品やサービスは現在は販売されていない、あるいは利用できないことがあります。あらかじめご了承ください。


SNSでフォローする