「この店にいったら、これが食べたい!」。「このシェフといえばこの料理!」。注目のシェフたちが自らのシグニチャーディッシュを語り、その調理方法を実演してくれた。
恩人の言葉に支えられて誕生
開店以来、不動の人気を誇る
銀座一丁目、昭和通りを東に入った裏通りに建つ「ラ ベットラ ダ オチアイ」。午後6時30分の開店時間を過ぎると、やわらかな光に照らし出された店内は、ひときわ賑わいを増す。「予約の取れない店」という評判は、いまだ健在。満席となった客席のあちらこちらから、「新鮮なウニのスパゲティ」をリクエストするゲストの声が聞こえてくる。オープンから19年。今も不動の人気ナンバーワンパスタだ。オーナーの落合さんは30歳で渡伊。3年間、イタリア各地で修業を積んだ。帰国後は、赤坂のイタリア料理店「グラナータ」の料理長に。本場イタリアで得た経験や知識を武器に、腕を振るうはずだった。
しかし、30年以上も前の日本では、〝イタリア直輸入の味〟は受け入れられず、100席もある「グラナータ」は、来る日も来る日も閑古鳥が鳴いた。それが1年以上も続いた。「『グラナータ』のオーナーで、僕を快くイタリアへ送り出してくれた大恩人の桂洋二郎さんに、本当に申し訳なくて……。辛くて、僕は生涯で初めて、2回も胃潰瘍になりました」と落合務さんは回想する。つい弱気になり、日本人向けにアレンジしたイタリア料理を出したほうがいいのではないか、とも考えた。「でも、桂さんは頑として動かない。『本場で覚えてきた味を守れ。味はその国の文化だ。勝手にイタリアの文化を変えてはいけない』 と言って、僕を勇気づけてくれたんです」
そんな日々の中で生まれたのが、この「新鮮なウニのスパゲティ」だ。築地の新鮮なウニを使い、シチリアで一度だけ食べたことのあるウニのスパゲティを思い出しながら、自分流に試行錯誤して完成させた。「ちょうどその頃、イタリア政府観光局の局長だったフランチェスコ・ランドウッツィさんが店に来てくれた。彼の口コミでお客さまが徐々に増え、『グラナータ』は予約がとれない店になったんです」
ところが1994年、桂さんが急逝した。2年間の喪が明けるのを待って、落合さんは現在の場所に、「ラ ベットラ ダ オチアイ」を開業。「新鮮なウニのスパゲティ」をメニューに加えた。それは、大恩人の言葉に支えられて誕生した、紛れもない〝落合務のシグニチャーディッシュ〟なのだから。「難しいことは何もないんだよ。ただ、新鮮なウニを選ぶこと」ソースは煮詰めたいから、生クリームは乳脂肪30パーセントのものを使う。ホールトマトで、旨味とウニらしい黄色を出す。
マイナーチェンジを続ける
それこそが「変わらぬ味」の秘訣
当初はソースに唐辛子を入れていたが、今はそれをアンチョビに変えて、海の香りをまとわせている。基本は変えない。でも、マイナーチェンジは常に心がける。「昔はスパゲティをアルデンテでお出しすると、 『つくりかけじゃないか!』 と怒られました。でも、今は少しやわらかいだけで 『ちょっと茹で過ぎじゃないの?』 と言われる。
お客さまの価値観や感覚がアップデートしているのだから、僕らも変わらなければお客さまを満足させることはできないと思います」
オープン当初から、「プリフィックスメニュー3800円」を続ける。もちろん、「新鮮なウニのスパゲティ」もその中の1品だ。「ウニは高級食材だから値が張ります。でも、プリフィックスと謳いながら、追加料金をとるようなことはしたくない。それはアラカルトでやればいいと思うから」とはいえ、来店した多くのゲストがこのスパゲティを選ぶと、確かに原価率では辛い。「でも、支持してくださるお客さまのことを考えると、やめるわけにはいかない。レシピをブラッシュアップしてちゃんとお出しします」開店当初からの定番メニュー。胸を張ってシグニチャーと言える。
しかし、どのパスタよりも多くマイナーチェンジを行っている。「シグニチャーディッシュというのは、そういうものじゃないかと思いますよ。『ベットラ』へ行けば、いつも変わらない味の『新鮮なウニのスパゲティ』が食べられる。そう思うから、お客さまは『ベットラ』に足を運んでくださる。お客さまにそうしていただくための努力は、惜しんじゃダメだよね」
「お客さまのためになること」「お客さまに来ていただくこと」が、落合さんにとってはトップ・プライオリティ。その奥には、「グラナータ」での苦い経験がある。単なる看板料理ではない。「新鮮なウニのスパゲティ」には、落合さんの料理人としての人生哲学が詰まっているのである。
材料( 2 人分)
スパゲティ…140ℊ/ウニ…70ℊ/ホールトマト…大2個/アンチョビフィレ…2枚/ニンニク(みじん切り)…2片/白ワイン…50㏄/生クリーム(30%)…200㏄/エクストラヴァージンオリーブオイル…30㏄/塩、芽ネギ…各適量
作り方
text 山内章子 photo 村川荘兵衛
本記事は雑誌料理王国2016年4月号の内容を本ウェブサイト用に調整したものです。記載されている内容は 2016年4月号発刊当時の情報であり、本日時点での状況と異なる可能性があります。掲載されている商品やサービスは現在は販売されていない、あるいは利用できないことがあります。あらかじめご了承ください。