幻の握りの技法「本手返し」をご存じですか?


古典的な握りの技法
新津武昭氏の本手返しを視る

元「きよ田」主人、新津武昭氏の握りの技は「本手返し」である。

これは明治時代に木挽町(現在の東銀座)の「美寿志(みすじ)」という鮨屋が完成させたと伝えられる握りの古典的な技法で、すべての握り方の原点とも言うべきもの。今日、多くの職人が使う“小手返し”はこの本手返しの前半の工程を省いた、省略形なのである。

本手返しは立方体である鮨の6つの面を細かく鮨の向きを入れ替えることによって少しずつ形を整えていくという技だが、その工程が非常に手間がかかるため、これをこなせる人は少ない。古くから、掌の体温が鮨ダネに移らないよう、無駄な力を入れず、鮨全体をふんわりと握るのが極意とされているが、新津氏は左手の掌を柔らかく使うことで、力を抜いたままでも、美しく正確に成形できるのが特徴である。

また新津氏は、手に持ったシャリ玉(丸く形を整えた鮨飯のこと)から数粒の鮨飯をとって捨てる“捨てシャリ”をしない。それをするまでもなく「自分の思い通りの数の米粒を一度でとることができるから」というのがその理由だ。

新津氏の握りはあまりにも早く、流麗であるため、連写ではその動きを捉えきれない。そこで、本手返しを8つの工程に分けて撮影させていただいたが、ひとつの鮨を握るほんの3秒ほどの間に、いかに複雑な動きをしているかがおわかりになるだろう。

左手の掌にのせた鮨ダネに、右手人差し指で手早くワサビをつける。新津氏は掌の真ん中ではなく、指のつけ根あたりに鮨ダネを置いて構えるのが特徴。

右手でお櫃の中から鮨飯をとる。新津氏は一回の動作で、女性客なら280粒、男性であれば400粒前後の鮨飯を、正確に手にとることができるという。

鮨ダネの上に、鮨飯を右手で球の形に丸めて置く。そして左手の親指を少し立てるようにして鮨飯を軽くつぶしながら、鮨ダネに馴染ませるように広げる

左手と右手を同時に返して、右手の人さし指と中指の上に鮨をのせる。この動作が本手返しの特徴である。新津氏の動きは非常に早く、瞬時にして鮨をのせてしまう。

左手を上からかぶせるようにして、右手の上の鮨をとり、同時に右手と左手の上下をくるりと入れ替える。よって鮨は再び左手の掌に戻ることになる。

左手にのせた鮨を指先の方向に倒すようにして転がし、鮨ダネの方を上にしてから、右手人さし指と親指で鮨の両脇を押さえ、すばやく形を整える。

今度は左手に鮨をのせたまま、鮨を右手人さし指と親指で掴み、時計回りに半回転させて前後を入れ替える。この動作のことを「手返し」という。

再び鮨の両脇を押さえて形を整え、もう一度、鮨を右手人さし指と親指で時計回りに半回転させ、今度は全体を包むように握って、本手返し全工程の完成。

早川光(『江戸前鮨職人きららの仕事』原作者)―文、管洋志―写真

本記事は雑誌料理王国第150号の内容を本ウェブサイト用に調整したものです。記載されている内容は第150号発刊当時の情報であり、本日時点での状況と異なる可能性があります。掲載されている商品やサービスは現在は販売されていない、あるいは利用できないことがあります。あらかじめご了承ください。


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