昭和の時代から毎日焼き続ける、地元に愛されるパン屋があります。
流行にとらわれず、決まった商品を作り続ける日常のパンは “職人魂”ともいうべき、研ぎ澄まされた感覚によるものです。
昭和24年創業の「ペリカン」が毎日焼くのは、食パンにロールパン、ホットドッグなどに使われるバンズの3種類のみに限られる。「創業当初は、あんぱんやクリームパンなども作るパン屋でした。しかし、昭和30年代頃になると、パン屋が町に増え始め、二代目の父は周囲との差別化を図るため、あえて商品の種類を食パンと数種に絞り、ホテルや喫茶店などへの卸しを中心に切り替えたんです」と三代目の渡辺猛さん。
一日800本以上を焼き上げる食パンは、山型と角型。使う材料は、長年取引のある粉屋から取り寄せた粉で、すべてが同じ配合。だが、型に蓋をせず焼き上げる山型は軽い食感、いっぽうの角型は、みっちりと目の詰まった歯ごたえのある食感。型を替えることで異なる食感を生み出したのは、先代の試行錯誤からの製法だ。
「材料や製法は父の代で、すでにでき上がっています。そのスタイルを変えることなく、日々の天気や湿度に気をつけながら生地をこね、窯の具合を見ながらパンを焼き上げるのが、僕の仕事だと思っています」親子三代続くパン屋を守るため、渡辺さんはさまざまな努力をしている。燃料や材料の高騰が激しい今、商品の値上げよりも、まずは店への直接配送を減らし、店頭販売を中心に展開。「お客さんに直接足を運んでもらうことで配送コスト削減できるのはもちろんですが、浅草という街を訪れてもらうきっかけになれたらうれしいですね」
〝毎日食べても飽きないパン〞作りへの努力は、浅草の活性化に一役買っているようだ。
阪急岡本駅からすぐ、商店街を少しそれたわき道に「フロイン堂」はある。目立つ看板はないが、店全体から焼けたパンの香ばしい香りがふんわりと流れ出し、焼き上がり時間を知って訪れる学生や街の人たちが列をなす。
岡本の住人なら誰もが知る、「フロイン堂」は、昭和7年の創業。初代が三宮の「フロインドリーブ」で修業を積んだ後、岡本支店として開店した。だが、戦時中は小麦粉など材料調達がむずかしいことから店を閉め、戦後、あらたに「フロイン堂」として再開を果たした。
現在は二代目の竹内善之さんと三代目の隆さんが、息の合った仕事でパンを焼く。創業時と同じ配合、手こねを守る人気の食パンは、毎日決まって午後2時と4時に焼き上がる。
「季節や気候、材料によって発酵の仕方や焼き加減が変わるので、具合を見て、同じように焼き上げるよう心がけています」と隆さん。特別な材料を使うことはないが、少し古いひねた香りのある小麦粉3種をブレンドし、風味を出す。焼き上がりを口にすると、ふんわりもっちりとして、噛むほどにうま味が出る。トーストにすると、外はパリッ、中はふっくらで、しみでるバターの香ばしい香りを楽しめる。
この食パンをはじめ数種のパンを焼く窯は、戦前、レンガ職人に頼んで造ってもらったもの。大戦や震災をも乗り越え、今も活躍する。昨年、入手が難しくなった薪からガスに熱源を変えたが、型の置き場所や焼き時間を微妙に調整することで、同じ焼き上がりを保っている。熟練の勘と技があれば、時代の変化にも対応できるのだ。2人が焼く奇をてらわぬパンは、子供からお年寄りまで誰もの嗜好を満足させる、老舗ならではの誠実な味がする。
中井忍、風間里実―文 安河内聡、三木匡宏―写真
本記事は雑誌料理王国第169号の内容を本ウェブサイト用に調整したものです。記載されている内容は第169号発刊当時の情報であり、本日時点での状況と異なる可能性があります。掲載されている商品やサービスは現在は販売されていない、あるいは利用できないことがあります。あらかじめご了承ください。