ピザ焼き職人からスタートし、24歳で高級シャトーレストランのシェフに抜擢されたギィ・マルタン氏。以来、躍進を続け、今や世界を代表するフランス料理のトップシェフのひとりとなった。
食の歴史や文化に対する探求心、並々ならぬ食材へのこだわりの目は、母国フランスだけでなく、長年親しんできた日本にも向けられている。鋭い感性に恵まれた天才と称賛されながら、理論家としても知られるマルタン氏に、たゆまぬ努力と挑戦の日々について聞いた。
──フランス料理文化センター(FFCC)主催の料理講習会とフランス国際放送「TV5MONDE」の番組収録で来日されたと聞いていますが。
ええ、私はこの20数年間、ほぼ1年に1度の割合で来日し、賞味会や講習会などをしています。
──FFCCの講習会ではフォワグラがテーマで、日本の食材や調味料などもふんだんに使っていらっしゃいましたね。なぜそれを取り入れるのか、その理由も理論的に説明されていました。見事なデモンストレーションでした。
ありがとうございます。豆腐や味噌、醤油など、日本の食材や調味料には長年親しんでいます。豆腐を使い始めたのは25年も前のことで、当時フランスでは、日本と同じような良質の豆腐を入手するのは難しかったんです。けれど、今では日本とほぼ同じようなものを調達できる。ただし、日本に比べると値段はずいぶん高いですけどね(笑)。
──日本の食材や調味料には、どんな力があるとお考えですか?
私は日本が大好きですが、日本の食材や調味料だから使っているというわけでありません。つねによりよいものを求め、納得がいけば使うというやり方です。たとえば、まろやかな酸味がほしい場合、白ワインビネガーより米酢のほうが効果的な場合がありますし、泡のソースで泡を長持ちさせたい時には、生クリームの代わりに豆乳を使ったほうがいいケースもあるんです。
──調理する上で、もっとも重視なさっていることは何ですか。
第一に、よい食材を選ぶこと。それを、テクスチャーや温度の違いが楽しめるひと皿に仕上げること。酸味や苦味、後味の長さを演出することも大切です。
──常に「新たな味」に挑戦しながら、日々、試作や試食を繰り返していらっしゃるそうですが。
そうですね。ひとつのレシピが生み出されるまでには、論証と確認、もちろん反省も必要です。「この料理の柱をどう構築するのか」「それは何を表現するためのものなのか」「なぜこの調理法を選択すべきなのか」などということを考えながら、料理を組み立てていく。理由を明らかにすれば、スタッフにも説明ができ、考え方や技術を共有できますからね。
──だから今回のフォワグラ料理のように、理論的でわかりやすいデモンストレーションができるのですね。
ことにフランス料理にとって、フォワグラは重要な食材です。たとえば、新しい業者がフォワグラを売り込んできた場合、「どこで何日肥育した鴨のものか」「餌は何で、餌の産地はどこか」などをまずチェックします。その後、見本が届いたら、「生きたまま処理場に運ばれてきた鴨から取り出されたフォワグラなのか、畜殺後に運ばれてきた鴨から取り出されたものなのか」「どんな色か「」脂の歩留まりや密度はどうか」「鴨の風味は?」「食感はどうか」など、ひとつひとつ確認しながら、最適と思われる調理法で火入れをして、試食をしてみます。
──素材選びに生半可な妥協はないというわけですね。
そうです。厨房において「この程度でいい」といった妥協がまかり通ることは絶対にありません。
──日本文化に共感される点も多いそうですね。
1例を挙げると、20年以上も前にこんなことがありました。京都の龍安寺の石庭を初めて訪れて、とても感銘を受けたのです。いっさいの無駄を削ぎ落とした庭は、簡素なぶん、見る側のイマジネーションを掻き立てます。私は、故郷のアルプスの山をイメージしました。そして、そこに「自然と寄り添って生きる」という日本人の魂、禅の心を感じ、料理の原点を教えられたような気がしました。ヨーロッパの人たちは、何とかして自然をねじ伏せようとしますが、日本人は違います。自然に寄り添うという感覚は素晴らしいと思います。
──フランス南東部のサヴォワに生まれ育って、幼い時から自然に親しんでこられたのですね。
私がほかのシェフより恵まれているところがあるとすれば、山や湖、澄んだ渓流のあるサヴォワという土地に育ったことが挙げられると思います。サヴォワは、チーズや肉、果実やキノコなどの食材に恵まれ、中世には公国として栄えました。各国のさまざまな食材や珍しい調味料などが行き交い、古いレシピなども残っています。昔の料理とはいえ基本がしっかりしているので、今のテクニックや感覚を少し入れるだけで、現代に甦らせることもできます。
──理論的で何事にも冷静という印象ですが、迷ったり、思い悩んだりした時期もありましたか?
ありました。私は33歳でミシュラン二ツ星をいただき、翌年、「ル・グラン・ヴェフール」のシェフに就任したのですが、その直後、レストランにふたりのジャーナリストが立て続けに訪れて、ひとりは私の料理を「古典的すぎる」と評し、もうひとりは「モダンすぎる」と言った。その対極のジャッジに、私は完全に自分を見失いました。自分の立ち位置がわからなくなってしまったのです。
──どのようにして立ち直ったのですか?
信頼するスタッフのひとりが、批評家の言葉に惑わされることなく、自分の信じた道を進めばいいとアドバイスしてくれたのです。それで私は、自分を信じることの大切さに気づきました。自らの魂に正直に生きようと決心したのです。
──そんなシェフが、今、一番大切にしていることは何ですか?
これは昔からずっと同じで、お客様を幸せにすること。せっかくレストランに足を運んでくれたお客様を失望させる権利は私にはありません。
──ご自分がゲストとなって、日本人シェフの作るフランス料理を味わうこともありますか?
もちろんです。日本人はイマジネーションが豊かでとてもクリエイティブ。日本人の作るフレンチに失望させられたことはありませんよ。
──フランスや日本で、子どもたちに味覚教育もなさっているんですね。
ええ、4つの基本の味(しょっぱい・すっぱい・にがい・あまい)や五感を使って食べることの大切さ、食の楽しみを伝える授業をしています。きちんとした味覚を育てるには、15歳くらいまでのトレーニングが大切で、そのきっかけになればと続けているんです。でも、実際には、私が子どもたちに学ぶことも少なくないんですよ。
──たとえば、どんな点?
物事を非常に素直に自然体で受け入れる点。そんな時、子どもたちの柔軟性をうらやましく思います。私は50代も半ばを過ぎ、ベテランと呼ばれるようになりましたが、知識や経験が感性の邪魔をすることもあるんです。でも、たった一度きりの人生ですからね。余計なものに縛られず、自由な発想でこれからも料理を楽しみたいと思います。
エビとフォワグラと豆腐のポワレほんのりすっぱいトマト味
ピーナッツの香ばしさと合わせて
甲殻類とフォワグラを合わせることで、「フォワグラの新たなる可能性を追求してみた」とマルタンさん。皿の右にのっているのはキューブ状に切り、米酢や醤油、トマトソースなどで和えた豆腐。豆腐とフォワグラは食感が似ているものの、味わいや凝縮感はまったく異なる。その違いが面白いハーモニーを生む。
Guy Martin
1957年、フランスのサヴォワ地方に生まれる。81年、「シャトー・ド・クードゥレ」のシェフに就任。85年、「シャトー・ド・ディヴォンヌ」でミシュラン一ツ星、90年に二ツ星を獲得する。翌年には、パリの名店「ル・グラン・ヴェフール」のシェフとなり、2000年に念願の三ツ星に輝く。11年、名実ともに「ル・グラン・ヴェフール」のオーナーシェフとなる。12年、「レジオン・ドヌール」オフィシエ受章。
上村久留美=取材、文 依田佳子=撮影
本記事は雑誌料理王国247号の内容を本ウェブサイト用に調整したものです。記載されている内容は247号発刊当時の情報であり、本日時点での状況と異なる可能性があります。掲載されている商品やサービスは現在は販売されていない、あるいは利用できないことがあります。あらかじめご了承ください。