近頃、ひとつの店舗に縛られず、積極的に社会にコミットしていく料理人が、とりわけ次世代に増えている。今回は、「SUGALABO」を経て現在、カリナリープロデューサーとして活躍する薬師神陸さん、「Salmon&Trout」を経て飲食店のみならず社食もプロデュースする森枝幹さん、NYと京都を拠点に、カリナリーディレクターとして飛び回る中東篤志さんの3人に加え、モデレーターとして、「渋谷の農家」であり、 NPO法人「アーバンファーマーズクラブ」の代表理事を務める小倉崇さんを迎えた。さらには、今までと異なるスタイルの料理人が増えていることは、食べる人にとって、どのように映るのか。その代表として、ミレニアル世代に向けたwebマガジン「NEUT Magazine」編集長の平山潤さんにも参加してもらうという、異種格闘技戦的な座談会。その行方やいかに。
森枝幹
1986年生まれ。「Tetsuya’s」、「湖月」、「タパス モラキュラーバー」といった名店で修業後、東日本大震災を機に独立。「Salmon & Trout」のシェフを務めながら様々な店舗をプロデュース。世界のレストランとのコラボや、音楽イベントのフードディレクションも務めてきた。現在はタイ料理店「chompoo」のプロデュースに注力。
小倉崇(以下小倉、すべて敬称略) モデレーターの小倉です。僕は 「渋谷の農家」として、NPO法人「アーバンファーマーズクラブ」を運営して農の目線で、食を眺めています。皆さんとは初対面ですが、薬師神さん、森枝さん、中東さんはそれぞれ、すでに交流があるんですか? 自分の活動に近しい人がいると意識したりするものでしょうか。
森枝幹(以下森枝) 僕と(薬師神)陸くんは東京なので会うこともありますが、近いスタンスで活動している料理関係の人は自然に繋がっていますね。
中東篤志(以下中東) 僕は京都が拠点で、東京は月に1回くらいですが、何かあればできるだけフットワークよく東京に行くようにしています。森枝さんとは3年前に一度同世代の集まりでお会いして。その後、ひとりで「Salmon&Trout」に食べにお邪魔しました。僕は2015年から「カリナリーディレクター」 って言わさしてもらってるんですけど、最初のうちは、どこ行っても、「カリナリーディレクター」って、 わからへんから、プロフィールも「『フードディレクター』と書かしてください」とか言われてて(笑)。
一同 笑
中東 だから、1、2年の間は諦めてたんですよ。 「わかりましたー」て。でも、 名乗らないんやったら、やってる意味ないなぁと思って、「カリナリーディレクターって書いてください」と言い続けていたら、たぶん 『料理王国』さんなんですよ。2018年7月号「オリジナリティのルール」の時に、「カリナリーディレクター」 って、 初めて書いてもらって。そこから少しずつ、肩書きが浸透してきたと思っていたら、ある日、周りから「あつしー、カリナリープロデューサーという人が出てきたで」と教えられて 。
薬師神陸(以下薬師神) 僕のことだ(笑)。
中東 仲間が増えたかもしれん。会えるもんなら早く会いたい、と思ってたんですよ。だからこのメンバーは、もう無理してでも行かなあかんて思って、来させてもろたんです。
薬師神 カリナリーという言葉は、日本ではまだ普及していないですよね。でも、 海外に行くと、この言葉は食全体を指すニュアンスで使われています。今でこそ、食べ手の方だったり、それを取り巻く方だったり、編集者だったり、食全体で物を考えるようになってきましたけど、今までだったら、シェフはシェフ、 主婦は主婦みたいな。「料理を作る人」という枠の中で細かいレイヤーがあったと思うんですが、今は昔ほど境目がなくなってきている。 むしろ、それを繋げることが大切だなと思っていて。だから僕はプロデュースというスタンスで、食に関して何か新しい気付きを提供できたらと思っています。
小倉 皆さんは、特定のレストランでシェフを務めているわけではなく、様々な食のプロジェクトに関わっていますよね。フリーランスとして食と関わるようになったのは、どのような考えがあったのでしょう?
薬師神 僕がフリーランスを選んだ理由は、料理人としての最大値が見えてしまったから。例えば、カウンターに6人座れる店を開いたとして、1日1回転だとしたら週6日営業だとしても最大36人。1 ヶ月満席でも140人にしかシェアできないことが、とても残念に感じて…。
小倉 1席が生み出すお金も予測がつきますしね。
薬師神 はい。せっかく自分が料理を作ったり、レシピを考えたりするのなら、たくさんの人たちとシェアしたいと思ったんです。どうすればそれが実現できるか考えた時に、フリーランスという選択肢がありました。
小倉 自然な流れだったんですね。そういう考えの方は増えているんでしょうか。
薬師神 実際、僕が調理学校で教えてきた20代前半の人たちからは、SNSを通じて「どうしたらフリーランスの料理人になれますか?」 という質問をよく受けますね。
森枝 僕にはそんなメッセージ来ないけど(笑)、しっかり返信しているの?
薬師神 しますよ。フリーランス志望の子には、僕たちは決してフリーランスがベストだと思っているわけではないことを伝えます。 フリーランスは手法であり、自分にしかできないシチュエーションを作るために、フリーランスという立場を選んでいるだけ。ただ単に、人から雇われたくないというエゴだけでフリーランスになっているわけではないんですよね。
森枝 僕が最初にフリーランスになって始めたのは屋台。3.11の震災の時、強くなる以外の生き方がないなと思って、マンダリンオリエンタルホテルを辞めました。フリーランスになったものの、当然のことながら自分で自分の給料を稼がなければならないし、税金や社会保険も気になるし、雇われている方が楽でした。
小倉 じゃあ、森枝さんがアドバイスするとしたらフリーランスは勧めない?
森枝 料理人として基礎的なことを身に付けるには、ある程度の時間が必要。まずはどこかで修業してから、フリーランスの料理人として自分を出していく方がいいんじゃないかなと思います。
小倉 さっき、薬師神さんが「フリーランスは手法」と仰いましたが、皆さんは固定費の高い都心に店を持つのが難しいからというネガティブな理由でフリーランスになったのではなく、キッチンを飛び出すことで活動の幅を広げているように思います。食を通して社会をどう揺さぶるか、どう面白がらせるか。そんな仕掛けを確信犯的にされている皆さんが、社会に対してどのようにコネクトしてきたのか聞きたいですね。
中東 僕は、自分が生きている間はずっと種まきだと思っていて。そう考えるようになったきっかけが、15年前のアメリカでした。もともとバス・フィッシングのプロになりたくて渡米したので、日本食材も手に入らないような田舎を転々とする生活で。でも僕にとっては三食白ごはんが一番嬉しい食事なので、米を炊いてたんですよ。そうしたらいつの間にか、「あいつの家に行ったら和食が食べられるぞ」という情報が広がって(笑)。白ごはんとみそ汁とちょっとのおかず程度。それでもおいしいおいしい言うから、別にアメリカに合わせなくてもぜんぜん喜んでくれるやんと思って。
小倉 アメリカの食ってファストフードのイメージが強いですよね。
中東 そうなんです。でも、実は違うぞと思って。で、そういうことを続けていくうちに、釣りよりもアメリカで料理することの方が、興味がわいてきて、この人たちに、どうやって和食を伝えようと。その時に一番大きかったのが、アメリカ人のおばさんが、今日いっぱい人が集まるから、うちで飼ってるニワトリで 何か作ってと言われたので、しめて、毛ぇむしって、トリスキにしたんですよ。そしたらそのおばさんが、涙して。食べてるもんは違うけど、小さい頃を思い出したと。人と集まって食べるってことは 、どの人種にもあって、食によって記憶が呼び覚まされるという感覚は、世界共通だなって。アメリカ人が和食を食べてもそこを思い出すということは、まあこれ料理しかできひんなぁ。食べるという動作でしか成り立たんなぁと。
小倉 そして、結果的にニューヨークにある精進料理店で副料理長兼GMを務めるわけですね。
中東 はい。お客様に英語で説明するのも僕の仕事だったので、人に伝えるという仕事がどんどん増えていきました。料理はもちろん、お酒、お茶、うつわ、お箸、お膳…。そんな経験を経て、和食とは何かを人に正確に伝えるには、料理から空間まで並列に捉える必要があると思い、カリナリーディレクターという肩書きで仕事を始めました。
森枝 僕はこれまでにいろいろな店舗のディレクションをしてきましたが、昨年オープンしたタイ料理屋「chompoo」で挑戦しているのが、タイ人の料理人たちの先入観を壊すこと。彼らは地元のおいしい料理を知っているし、それを作ることもできるのに、「前のオーナーに、この料理は美味しくないと言われた」とかそういった理由で作らないんですよね。
平山 トムヤンクンを作っておけばいいよとかって言われたんでしょうね。
森枝 そう。 だから、 ひと昔前に日本人から苦手だと言われた料理でも、少ない量で出せばワインや日本酒にすごく合うんだということを、 がんばって教えているところです。口で説明するだけでは伝わらないので、実際にお酒と合わせてみたり、他の店に連れて行って体感させることで彼らを納得させています。丁寧に根気よく教えることができれば、次はベトナム料理でもできるかもしれないし、ロシア料理でもできるかもしれない。現地の料理を分解して、今の風潮に合うような料理に落とし込む仕事がしたいんですよね。
薬師神陸の仕事
食の本質的価値を見直しリテラシー向上に貢献
フリーランスシェフ、カリナリープロデューサーとして、イベントの企画・運営、フードテックの新規開発、様々な企業のレシピ考案、地方食材の発掘、料理教室、ワークショップなど、薬師神シェフの活動は多岐に及ぶ。若手シェフ代表として講演依頼も多数。一部のフーディーが占有する予約が取れないレストランではなく、誕生日月しか予約が取れないシステムの「誕生日専用レストラン」を企画するなど、食の本質的価値を見直す活動でリテラシー向上に貢献している。
text 馬淵信彦 photo 奥山智明 location ComMunE
本記事は雑誌料理王国2020年4月号の内容を本ウェブサイト用に調整したものです。記載されている内容は2020年4月号発刊当時の情報であり、本日時点での状況と異なる可能性があります。掲載されている商品やサービスは現在は販売されていない、あるいは利用できないことがあります。あらかじめご了承ください。