最高の立地で、最高の(値段も含め)ガストロノミーを目指して日々挑戦を続けるシェフ。仲間とのつながりをよりどころに、楽しいサービスにプライオリティーを置くソムリエ。あるいは、ひたすらハードワークをこなしながら、自らの理想のかたちを実現しているシェフもいる。
いずれも、〝ブーム〞とさえいわれる現代のイタリアンが、決して浮ついた流行ではないことを、身をもって証明している戦士たちである。
横浜中華街のサローネ2007を「予約の取れない店」にした立役者のひとり、樋口敬洋さん。東京に戻り、小さな劇場を意味するこの店も「毎月行きたい店」と評判だ。その力は、挫折から生まれた。
イタリアから帰国して1年後、銀座の系列店を担当したが4日間売り上げはゼロ。悩んだ末に「お客様が食べたことのない料理を提供しよう」と決めた。たとえばイカとチョコレートの組み合わせ。現地で体験した料理だが、日本では馴染みがなく、驚きのひと皿に、店は満席になった。現在は、サローネグループの統括シェフ。この〝小劇場〞の主は、「もっと冒険」をとイタリア帰りのシェフたちを導きつつ、自らもドラマチックな味の感動を追い続ける。
ナポリは「ピッツァ」誕生の地。19世紀初頭にはピッツェリアが創業したとされる。寺床さんは、その本場に100年以上続くピッツェリア「ラスタリオ」で技を学んできた。星付きの店でも働き、滞在は7年におよんだ。それなのに、なぜひと皿500円のナポリのピッツァにこだわるのか。「先輩たちのおかげでイタリアンは日本に定着したし、どんな店にするかの選択肢も多い」。だからこそ、一からの手作業でナポリの伝統を守るピッツァ職人の技で「イタリア」を伝えたい。安くて楽しいイタリアの食文化を伝えたい。
「定番メニューでリピーターを増やし、その先にある本場の料理に興味を持って入ってきて欲しい」と、若き料理人はしたたかな戦略も秘めている。
フェニキア、ギリシア、アラブ、スペイン……。多くの国々の支配を受けてきたシチリアは、料理にもその歴史が色濃く残る。州都パレルモで修業した中村嘉倫さんは、マーネージャーの阿部努さんと12年前に独立を誓い、ようやくこの店を開いた。
歴史の詰まった現地の味に忠実なメニュー。マグロの網焼きやカジキの詰め物は人気のメインディッシュだが、魚介類と野菜たっぷりのアンティパストでワインを飲む人も多い。中村さんはイタリア料理ではなく「シチリア料理」にこだわる。今や「郷土」は東京イタリアンの重要なキーワードになった。
代々木公園に近く、都会のオアシスのような立地は、シェフ宮根正人さんの穏やかな人柄と一致する。「アントニオ」などを26経て歳で渡伊。北イタリアのレストランで修業し、肉屋やチーズ工房では素材の知識を得た。帰国すると、イタリアの味は「ひねり出すもの」から「慣れ親しんだもの」に変わっていた。しかし、今度は「こうでなければ」と妙なこだわりが出過ぎたとも。「塩辛い」「ポーションが大き過ぎる」など種々の意見に耳を傾け、愛される「オストゥ」の味を完成させた。自身にも、異国の伝統や文化を「咀嚼」し終えた実感があった。「創作ではなく、クラシックでおいしいと思えるのが僕のイタリアン」と笑う横顔に、我が道を貫く自信と覚悟がみなぎる。
「イタリアは夢の国」と小池教之さんは言う。修業と旅を合わせて20州を3周した。イタリアを愛する心は、「ラ・コメータ」のシェフで師匠の鮎田淳治さん譲り。思い通りの料理が完成すると鮎田さんは叫んだ。「小池、これがイタリアだ!」。小池さんはヨーロッパ史が好きで、先人の知恵が集積されて今に続く「イタリアの力強さ」を敬愛している。メニューにびっしり書き込まれた料理の説明からも、その情熱が伝わる。奥深い伝統への憧れを胸に腕を振るう小池さんの思いは、たぶんイタリア料理界が共有するものだろう。
上村久留美、山内章子=文 大野利洋、富貴塚悠太、星野泰孝、依田佳子=写真
本記事は雑誌料理王国第219号の内容を本ウェブサイト用に調整したものです。記載されている内容は第219号発刊当時の情報であり、本日時点での状況と異なる可能性があります。掲載されている商品やサービスは現在は販売されていない、あるいは利用できないことがあります。あらかじめご了承ください。