食の未来が見えるウェブマガジン「料理王国」

名匠のスペシャリテ「ル・マノアール・ダスティン」五十嵐安雄さん


時代を超えて愛され続ける名匠のスペシャリテがある.連載第28回目は、独創的なメニューで知られるフレンチの名店「ル・マノアール・ダスティン」のオーナーシェフ・五十嵐安雄さんと、「人参のムースとコンソメのジュレ、うに添え」。

今では五十嵐の代名詞とも言える「人参のムースとコンソメのジュレ、うに添え」ですが、ここ私の店「ル・マノアール・ダスティン」でお出ししたのが最初ではないんです。41歳のときに「ル・マノアール・ダスティン」を銀座8丁目にオープンしましたが、その前は、隅田川に架かる勝どき橋を渡ってすぐの倉庫街にあった「クラブNYX(ニュクス)」で料理長を務めていました。
そうです。映画のワンシーンを彷彿させるような華やかで斬新な雰囲気の店内でした。ここでオードブルとしてお出しするために作ったのがこのスペシャリテです。

1990年代の当時は、人参という単独の野菜をムースにするという発想はなかったと思います。今でこそ、野菜をおいしく食べる工夫はいろいろされていますが、本来、野菜はメイン料理の添え物で、主役には成り得なかった。もっとも、「人参のムース」のもうひとつの主役は、フランス料理ならではのコンソメのジュレでもありますが……。 
コンソメは丸2日かけて、ていねいに作ります。最初は鶏ガラと香味野菜で出汁を取り、さらに牛スジと香味野菜をじっくりと煮込んで出汁を取る。人参は、甘味を引き出すために、中央の芯は使いません。周りだけを使いますが、13本の人参で70人分ほどのムースになります。使う調味料は、塩だけ。そうそう、ローリエの葉を一枚入れますね。

お客さまに作っていただく私のスペシャリテ


私は、ごく普通の勤め人の息子です。幼いころから、何かものを作るのが好きでした。例えば、粘土細工。何もないところから、いろいろな形を作っていくのが、とても楽しかった。きっとこんなことも、料理人への道につながったのでしょうね。
フランスへ渡ったのは25歳のときでした。最初の修業先は、北西部のノルマンディー地方の修道院を改造した小さなレストラン。チーズは地元の3種類だけ。シードルも地元のリンゴを使ったもの、という地方色豊かな店でした。じつは、この店の名前が「ダスティンの館」という意味の「マノアール・ダスティン」。ここで、四季の移ろいを肌で感じながら、1年を通じて働いたのが、とても良かった。他の店でも修業をして、3年後に帰国しました。

フランスという土地に身を置いて、その風土と文化を感じながら、その土地と人々が培ってきた「食」に、どっぷりとつかったことが、今の私を育てたと思います。銀座に店を構えてから、毎朝、築地市場に出かけて、食材を選びます。とくに魚料理は、その日に出会った食材によってメニューを決めます。ですから、スッポンや鰻、鮎なども使います。もちろん、フレンチの技法は使いますが、食材に触発されて、私が食べたいと思う料理を作る。そんなオリジナリティが、私の料理に対する基本姿勢です。
私の食べたいものを、心を込めてていねいに誠実に作る。そのひと皿をお客さまに喜んでいただく。それこそが料理人冥利につきる、と思います。「人参のムース」に限らず、お客さまのご支持を得てスペシャリテになった料理を大切にしながら、これからも四季折々の「五十嵐の作品」を創造していきたいですね。

人参のムースとコンソメのジュレ、うに添え
宝石のように美しいコンソメジュレ。その下には新鮮なウニ。そして、人参のムース。この3つのおいしさが優しいハーモニーを奏で、口の中でとろける。フランス料理の奥深さが、この逸品に凝縮されている。

五十嵐安雄 Yasuo Igarashi
1955年、山形県生まれ。日本調理師学校卒業後、東京・神田の「バラライカ」、小田急電鉄系列の「山のホテル」、「箱根ハイランドホテル」を経て、1980年フランスへ。ノルマンディーの「マノアール・ダスティン」などで修業を積む。帰国後、静岡「ルイ・ラツール」を経て、六本木「オー・シザーブル」、勝どき「クラブNYX」の料理長を務める。1996年、銀座で「ル・マノアール・ダスティン」をオープン。2008年、現在の6丁目に移転。東銀座にワインバー「カーヴドゥヴィーニュ」も開いている。

text 長瀬広子   photo 富貴塚悠太

本記事は雑誌料理王国2014年9月号の内容を本ウェブサイト用に調整したものです。記載されている内容は 2014年9月号発刊当時の情報であり、本日時点での状況と異なる可能性があります。掲載されている商品やサービスは現在は販売されていない、あるいは利用できないことがあります。あらかじめご了承ください。


SNSでフォローする