日本のビストロはここから動き始めた。「ビストロ・ド・ラ・シテ」の軌跡


1970年代初頭、日本のフランス料理はまだまだ敷居が高かった頃、西麻布に活気あるビストロが誕生した。フランス庶民の生活が透けて見える豪快な料理と、抑えめの照明、賑やかな会話や食器の触れ合う音がBGMの店は、本場の味と雰囲気を楽しめると多くの人が魅了された。オーナーの関根夫妻が守り、数々の名シェフが羽ばたいたこの店は、もうすぐ50周年を迎えようとしている。

東京に街場の食堂 「ビストロ」が生まれた頃

西麻布の交差点から1本入った静かな通りはビストロ通りとも呼ばれる。
「ビストロ・ド・ラ・シテ」(以下シテ)があるからだ。それまで馴染みのなかったビストロが日本に広まったのも、ここからといっても過言ではない。

1973年にこの店を始めたのは、現在神奈川県箱根にある「オーベルジュ・オー・ミラドー」のオーナーシェフ勝又登さん。それから9年後の82年、経営は関根進・葉子夫妻が引き継いだ。
「まだビストロが何かを、ほとんどの人が知らない時代でした。うちも最初はビストロと名乗りつつ、レストラン寄りの料理も出していた。だからフランス料理の店が急激に増えてきた90年頃に、3代目になる村上忠志シェフと1か月半、パリを中心に食べ歩いてビストロとは何かを探ったんです。結果、豆煮込みのカスレや塩漬け豚のプティサレなど、豪快で骨太なビストロ料理だけを出そうと決め、それをシテらしさにしました。当時東京には本格的なシャルキュトリーもありませんでしたから、腸詰は村上シェフが手作り。パンもそう。なんでも自分達で作った。今に続く一皿、サラダ・シテも、当時旅で出会ったフランス野菜総菜を一皿に盛り込んだもの。レストランでは決して見ない、ビストロらしさを表しました」。
店の軸を決めて、それをぶれないように守ること。関根夫妻がオーナーとして最も気遣った部分だ。

開店当時から店の内装はほぼそのまま。1970年代当時のパリのビストロをそのまま持ってきたような空間が保たれている。「どこかひとつ変えるとバランスが崩れる。だから照明も椅子も床も、すべて変えないと決めました」
関根進さん・葉子さん
進さんは大学卒業後、アパレル企業、レストラン勤務、飲食店経営を経てオーナーに。葉子さんは、78年開店の六本木「オー・シザーブル」のマダムとして40年間シェフを育て、2018年にシテへ。名ビストロシテに、名レストランのエッセンスが加わった。

シェフ自身が今食べたい味。
そんな料理がメニューを彩る

シテは47年間で9人のシェフがバトンを継いできた。初代勝又登シェフに始まり、4代目信國稔大シェフは二子玉川「レストラン・サレ・ポワヴレ」、5代目古屋壮一シェフは白金「ル・カンケ」など、独立後大活躍しているシェフが多い。さらに、葉子マダムが長年育て、数年前にシテと統合した六本木の姉妹店「オー・シザーブル」(以下シザーブル)のシェフを見ると、「ル・マノアール・ダスティン」五十嵐安雄シェフ、「アラジン」川崎誠也シェフ、「ル・マンジュ・トゥー」谷昇シェフ、「ル・ブルギニオン」菊地美升シェフなど、こちらも第一線で活躍している名シェフが多いことに驚く。素晴らしい才能を見つける夫妻の感性もさることながら、その才能を生かすことについて、どう考えていたのか。

「長くやっていて、お客はシェフに付く、そう感じています。力のある料理は強い。そりゃ、シェフ達とは喧嘩もしょっちゅうでしたよ。個性の強い人が多いからね。でも、料理について大枠を決めたら、あとはシェフに任せました。ビストロの定番であるカスレやブフ・ブルギニョンなども、彼らの新しい感性で個々に更新してくれた。だから長くても古びないんだと思います」とシテを守ってきた進さんは言う。

「シザーブルに4代目の川崎シェフがいらしたときは、メニューを見て、マダムの残したい料理を教えてください、あとは僕が考えますとおっしゃられた。私達は自分達がほれ込んだ料理人を選んで来てもらっているわけだから、料理に関してはすでに信頼関係があったんです。5代目の谷シェフの時は、フレンチだけどパスタを加えたくて。谷シェフは、マダム、やりましょうと言ってくださった。トマトのコンソメを使ったり、オマールの出汁を使ったりした手の込んだパスタはうちでしか味わえないものになって、今でもあれが食べたいと、シテにいらっしゃるお客様にお願いされることもあるんです」と葉子マダム。
ふたつの店には、常にシェフの料理への強い信頼があった。

ビストロの定番カスレ
ふっくら大粒の白花豆と小粒なインゲン豆の2種を、ミルポワなどを加えた鶏ブイヨンでふっくら煮て器にたっぷり敷き詰め、その上にラードでじっくり2時間揚げたシャラン産カモのコンフィと、カイエンペッパーやハーブが入った風味豊かなメルゲーゼが乗る。ボリュームもクラシックなビストロスタイル。

4代にわたって訪れてもらえる。
老舗ビストロだからこその喜び

あと3年で、シテは50周年を迎える。二人はどんな思いを持っているのか。
「店を続けるのがどれほど難しいか。それを今も毎日思います。誠実な飲食店は儲からない、そういうものです。これだけのメニューを高いレベルで維持するのは並大抵じゃない。でも、僕はこの店に愛着があり、お客様が来てくださるから踏ん張れる。現9代目の浜中良和シェフのカスレ、食べてみてください。こんないい味のカスレ、他にないですから。そんな気持ちです」

「シェフ、お客様、いろんな人に会えたことが一番の宝ですし、私たち自身もみなさんに育てられました。今はお爺様からひ孫の4世代で食事を楽しんでもらうこともある。やっていて良かったと思える。だからまだまだ続けます」
長く続けることの大変さを誰より知る二人の軌跡は、日本のフランス料理界にとって計り知れない意義深さがある。

ビストロ・ド・ラ・シテ

東京都港区西麻布4-2-10
TEL 03-3406-5475
火 17:30~22:00
水~日 12:00~13:30 17:30 ~ 22:00 LO
月・火昼休


text 馬田草織 photo 菊池和男

本記事は雑誌料理王国2020年5月号の内容を本ウェブサイト用に調整したものです。記載されている内容は2020年5月号発刊当時の情報であり、本日時点での状況と異なる可能性があります。掲載されている商品やサービスは現在は販売されていない、あるいは利用できないことがあります。あらかじめご了承ください。


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