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パリ・ビストロブームはここから始まった!(後編)


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パリのビストロブームの仕掛け人
ビストロの変革者ミッシェル・ピカールとその末裔たち

パリのビストロが今、おもしろい。ガストロノミーに力を入れた店が百花繚乱だ。この流行を生むきっかけとなった人物が存在した。ミッシェル・ピカール。
彼の軌跡を、その弟子たちが語る。

Villaret ヴィヤレ

〝グルマン〞と〝素材〞を創作料理で表現

「ヴィヤレ」はもともとピカールの店だった。「アスティエ」を手放し、92年ブニャ(石炭も販売するカフェ)だった同店を買い取り、ピカールが音頭をとって、店の全改装を果たした。つまりピカールが思い描くビストロのエレガンスは、この店に集約されているといっていい。エントランスにある広いカウンター、梁が所々に見えるレンガの壁、落ちついた照明のライトなど。ピカールのジャン・ギャバンに似ただみ声が、聞こえてきそうである。

ノルマンディ出身で、現オーナーシェフのオリヴィエ・ガスランを、ピカールが「ヴィヤレ」のシェフとして雇用した当初、ガスランはきちんとした料理を出すつもりではなかったらしい。パリの信用のおける惣菜屋などから、でき合いの、しかし質のよい惣菜を取り寄せて出し、ワインを飲ませる店にするというのがコンセプトだった。しかし、料理に情熱を持ち、未来ある青年だったオリヴィエは納得しなかった。それで「きちんとした料理を作らせてほしい」と進言。ピカールは承諾した。それからランジス市場まわり、メニュー作りなど、けっして指図されることはないが、常に「背中で教えられてきた」と言う。ピカールは、ランジスからの仕入れが終わるとメニュー作りをする。紙に達筆な字で料理を書き付ける。前菜、メイン、チーズ、デザート。書き終わるとオリヴィエにそれを渡す。「さあ、これでいくぞ!」。

96年、ピカールはオリヴィエと、サロンの責任者であったジョエル・オメルに店を受け渡す。オリヴィエは、料理をより進化させていく。〝グルマン〞と〝素材〞という基本から外れない自分だけの創作料理を作りながら、ピカールの哲学を引き継いでいるという誇りをもって。ワインへの情熱は深く、自ら生産地を訪ね歩くというタフさもピカール氏と同様である。「ヴィヤレ」の店内の壁にはピカールの写真がさり気なく掛けられている。やさしい笑顔、しかし細く鋭い目。大切な〝息子〞のひとりオリヴィエを温かく見つめている。

ラカン産農場の若鶏のポシェ、シャントレル茸のヴルーテ
やわらかに仕上がったホロホロと崩れるような食感の若鶏。香ばしさも漂う若鶏に、シャントレル茸が上品な森の香りをもたらす。

Le Marsangy ル・マルサンジー

グランメゾンから転向し、哲学とユーモアを込めた料理

ピカールの仲間内のレストランで〝月曜日の昼食会〞が開催されるときは、ここ「ル・マルサンジー」か「ヴィヤレ」が選ばれた。月曜日に営業している店というのはパリでは見つけるのがむずかしいが、この2店はともに営業している。月曜会の号令をかけるのは常にピカールだった。皆に電話をして集合先であるレストラン名を告げる。

オーナーシェフはフランシス・ボンフィル。「ビストロ・ポール・ベール」のベルトランより1歳だけ年少だ。ピカールとは、ベルトランを介して知り合った。もともと、ベルトランとは30年来の知己。ジョエル・ロブション率いる「コンコルド・ラファイエット」等を経てビストロへ転向。レ・アール地区の小さなビストロのシェフをしていたとき、ベルトランはその店の常連客だったのだ。人との縁というのは不思議だ。ベルトランがレストラン業に従事するようになり、ピカールと知り合い、そして、フランシスが自分の城を探していたとき、氏の食堂だった「モン・プポン」が売りに出されているという情報を、氏とベルトランがフランシスにもってきた。「モン・プポン」はピカールの家から目と鼻の先にあったのだ。

「ル・マルサンジー」は01年のオープンだが、以来ピカールは、わが通り道とばかり、毎日のようにスクーターで乗り付けやって来た。そしてまたスクーターに乗り、「ヴィヤレ」やら「ビストロ・ポール・ベール」やら、他の店へと急ぐ。

フランシスは穏やかであまり語らない無口なタイプだが、いたずら好き。気に入らないお客には、肉の厚みの薄いところを出すといった面もあり、月曜会のメンバーからからかわれる。店の当初から変わらずあるスペシャリテは「アボカドのミルフィーユ」。実は、オープン当初、ピカールらと一緒に当時は一ツ星だった「アストランス」へ行った。その時に食べたのが、カニ肉を挟んだアボカドのミルフィーユ。自分仕立てにしたのが、写真にもあるこの前菜。そんな逸話のあるひと皿から、仲間内で交わされた粋な会話と笑いが、聞こえてきそうだ。

アボカドとザリガニのミルフィーユ
ザリガニのほのかな甘味とアボカドの濃厚な甘味を合わせた、シンプルだが粋な、ワインのすすむ前菜。

Bistrot des Soupirs ビストロ・デ・スピール

ランジス市場を師から学び、旬の味を提供

20区の外れにある「ビストロ・デ・スピール」は知る人ぞ知る店だ。シェフのローラン・ボージョンは、ランジス市場にこまめに足を運ぶ。素材を自分の目で確かめ、旬のものだけを購入する。それからメニューを決めるので、黒板に書かれる料理は、毎日のように変わる「。ウサギのレバーのポワレ、シェリー酒風味、プチ・ホウレン草添え」、「農場産豚背肉のロースト、フレッシュなイチジクとともに」など、本当においしいものを知る洗練されたシェフのエスプリが伝わってくる料理ばかりだ。こうしたローランをピカールは子供のようにかわいがった。ローランもピカールを父のように頼りにし慕っていた。ランジスをすみずみまで知っていたピカールについて、業者を紹介してもらったり、素材を覚えたり。

04年に同店をオープンしたが、そろそろ独立したいと思っていたボージョンに、売りに出されていたこの店の存在を教えたのはピカールだった。ボージョンはすぐに気に入り、2週間後にはサインをした。ピカールは保証人になってくれたばかりでない。「製氷機とワインカーヴがないビストロなんてもってのほか」とばかり、ピカール自身がそれを購入。ボージョンは分割で支払いをした。

「ピカールは、正当なことしか言いませんでした。それに対し、わからないことにはけっして意見をしない。〝メートル(師)〞と呼ぶに相応しい人でした」

店にはピカールの想い出がたくさん詰まっている。オープンしてすぐ、ピカールはローランもよく知る友人を伴って人でやってきた。ブドウの飾り板の付いたナプキンリングを各自持って。「このナプキンリングは店に置いておくから、われわれが予約したときには、これをテーブルに設置して迎えてくれ」と。食卓にあるべきエレガンスの教示と、常連になるという愛のある約束のジェスチャー。ローランは、葬式では、そのナプキンリングをひとつ持っていった。そして、ピカールの手元に納めた。残るふたつのナプキンリングは、カウンター奥に今も乗る。

コルベールのロースト、フレッシュジロール茸のソテー添え。
ノワゼットのような香ばしいコルベール(青首鴨)は、歯応えもよいフレッシュ感溢れる。小粒のジロール茸の上質な森の香り、カブやニンジンがみずみずしさを加える。

Repaire de Cartouche ルペール・ド・カルトゥーシュ

常連が愛する美食の王道をいく料理

「ルペール・ド・カルトゥーシュ」は、木張りのされた壁、梁のある天井など、重厚な雰囲気を醸し出している。2メートル近くもの背丈のあるルドルフ・パカンがこの店のオーナーシェフで、他店と同様、常連客が非常に多い。97年のオープン以来スペシャリテとして提供している料理こそ、常連客たちのお目当て。たとえば季節によって具を変える「パイ皮包みのパテ」や、仔牛のミンチ肉で作ったトリュフ入りの「ブーダン・ブラン」などだ。 

ルドルフと「ビストロ・デ・スピール」のローランが69年生まれ、「ヴィヤレ」のオリヴィエが70年生まれと同年代で、ピカールはこの3人を息子のようにかわいがった。ノルマンディ地方からパリに出てきた20代のルドルフが、自分の店を持ちたいと思っていたときに、他の例と同様、この店の情報をもってきたのがピカールだった。「ルペール」は昔から名店だったが、当時のシェフが引退を決めたのだった。20世紀当初から変わらぬ内装の温かな雰囲気が、ルドルフはすぐに気に入った。

そして、やはりピカールは、ルドルフの買い取りのための借金をするのに、保証人となった。ランジス市場での仕入れや、リーズナブルな価格に設定するためのコツ。さらには、売り上げの計算まで手伝ってくれた。もちろん、ワインリストのイニシエーションも。「ヴィヤレ」のワインリストも圧巻だが、それと同様、450種ものワインを揃える。

ピカールが店の奥の窓際にある番の大テーブルで友人たちに囲まれた食事をするときには、窓辺の横木に次々に空き瓶が並んだそうだ。楽しい笑い声があがる、美食の晩餐。ピカールは、ルドルフが作るグルマンな料理を愛していた。魚料理も褒められた。正確なキュイッソン。そしてバターを必要量使ったソース。たとえ、それが栄養価が高かろうと、正当においしいものを出すべきだ、と。現在のパリでは滅多に出会うことのない、ガルガンチュアとパンタグリュエルの物語に潜む、フランスの美食の悦びを見る。

フォワグラ入り、穴ウサギのパテ、パイ皮包み
直径30センチもある大きなパイ。繊細で香ばしい穴ウサギ、フォワグラの甘味が閉じ込められている。仕入れによってヴォライユや豚を選び、茸を閉じ込めるなどの変化をつける。

Comptoire du Relais コントワール・デュ・ルレ

〝ビストロ・ガストロ〞は進化し続けると

「コントワール・デュ・ルレ」のオーナーシェフ、イヴ・カンドボルドは、世界的な不況を経験した90年代半ば、92年にオープンしたビストロ「レガラード」を、星付きの高級レストラン以上に、なかなか予約の取れない店とした。「オテル・ド・クリヨン」などの高級店で腕を磨きあげ、その技術とセンスを生かしたリーズナブルだがクオリティの高い料理は一世を風靡し、現在につながる〝ビストロブーム〞を巻き起こす。

「ピカールは、リーズナブルで上質の料理を提供する〝ビストロ・ガストロ〞(美食のビストロ)というカテゴリーと、プリフィクス・メニューを作り上げた先駆者のひとりだった」とカンドボルド。彼は取り引き先のワイン業者を通して、ピカールと知り合った。ピカールはワインに大変明るく、80〜90年代に初めてヴァン・ナチュレル(自然派ワイン)をパリに紹介した人物と敬愛する。それと同時に、時代を読み取る力と商才にも長けたカンドボルドは、ピカールのエスプリを自己の店作りに生かした。それが三ツ星クラスの技術を導入した洗練された料理を黒板に書き、リーズナブルなプリフィクス・メニューで提供するということだったのだ。

「ピカールの店はビストロだが、トリュフやフォワグラ、オマールなどの高級素材も扱っていた。これは画期的なことだったと思う。しかし、彼が出していた料理はシンプル第一。三ツ星クラスのレストランで長年修業を重ねたわれわれのビジョンはそこです。つまり、三ツ星クラスの料理をビストロで出すということだった」

今やビストロは、レストラン業界で成功するひとつのキーワードとなった。誰も彼もがビストロをオープンする風潮にカンデボルドは釘を刺す。「こう毎日のようにビストロがオープンする今、プロが作る料理と小手先の料理の違いは一目瞭然。値段には違いがあるわけでもなく、生き残れるのはプロだけだ」と。ピカールが生み出し、カンドボルドがブームとしたビストロ・ガストロの形が、今もなお進化し続ける。

ポロネギのヴィネグレットソースのマリネ、ミモザ風に仕立てた卵、トリュフ風味。
やわらかく仕上げられたポロネギの爽やかなマリネ。やさしい味わいの卵に、色気のあるトリュフの香りが立つ。

伊藤文(パリ)―文・構成/ファビオ・カルベッティ(パリ)―写真

本記事は雑誌料理王国2008年12月号の内容を本ウェブサイト用に調整したものです。記載されている内容は2008年12月号発刊当時の情報であり、本日時点での状況と異なる可能性があります。掲載されている商品やサービスは現在は販売されていない、あるいは利用できないことがあります。あらかじめご了承ください。


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