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グランシェフから若手料理人へのメッセージ#1 Nobu Tokyo


どんな仕事にもパッションをもつ。それが大切です。

Nobu Tokyo 松久信幸さん

Nobuyuki Matsuhisa
1949年埼玉県生まれ。東京・新宿「松栄鮨」で修業後、南米やアラスカのレストランを経て、87年に米カリフォルニア・ビバリーヒルズに「Matsuhisa」、94年にNYに「NOBU」を開店。和食の技術と食材をベースに西洋や南米料理の要素を取り入れた料理で世界中の食通から注目されている。現在世界に25店舗展開。東京店は南青山 に98年オープン。07年に虎ノ門に移転。

今から約50年前、10歳くらいの頃でした。上の兄が寿司屋に連れて行ってくれたんです。そのとき、独特の威勢のよさやムードにはまり、将来は寿司屋になりたいという夢を抱きました。その後、家業を継ぐため高校は建築科に進学。しかし、夢を実現したくて、出入りの魚屋さんから新宿の「松栄鮨」を紹介してもらい、住み込みで働き始めました。

当時、寿司の世界は「見て覚えろ」という時代でしたが、大将は、包丁の使い方から魚の特徴や卸し方まで、質問すれば何でも教えてくれました。結局7年間修業し、私はペルーへ行くことになりました。現地で成功した日系人の方がお客さまでいらしていたんですが、彼に誘われたんです。幼い頃に亡くなった私の父は若い頃にパラオで仕事をしていました。父を思い、私も海外で仕事がしたいと以前から思っていたということも大きかった。
大将には最初、反対されたけれど、最終的には「松栄鮨」という屋号を持っていくように仰ってくださった。本当に感謝の気持ちでいっぱいでした。

問題には真正面から立ち向かうべき


この歳になったから言えることかもしれませんが、苦しむのはいいことです。投げ出したくなるときもあるけれど、ひとつひとつ問題に立ち向かえば、いつかは解決できます。壁に当たってもギブアップせず、もがき続ける。逃げないで真剣に闘っていれば、誰かが助けてくれます。逃げてしまったら、問題は永遠に解決しないでしょう。

一番苦しかったのはアラスカに出した店がオープン50日で火事で全焼してしまったときです。ペルーの店は考え方の違いから3年で辞め、その後、アルゼンチンで働きましたが、自分の腕が生かせる場所ではなく、1年で帰国しました。ところが日本はオイルショックの影響で4年前とは別の国になっていた。悩んでいたとき、ある方からアラスカの物件の話を聞かされました。もう一度チャレンジしようとして旅立ったのに、たった50日です。あとに残ったのは借金だけ。実は日本に帰るお金さえなかったんです。そんなとき現地にいた知り合いのパイロットの方がお金を貸してくださった。覚悟しました。これからは借金を返し、家族を養うために職人として一歩一歩やっていくしかない。それが自分の人生だと。そんなとき先輩から誘われ、今度はアメリカ合衆国ロサンゼルスで働き始めました。

2年働いてグリーンカードを獲得したら、今度はその店の大将がもっと大きく、給料の高い店に行くようにと送り出してくれたんです。次の店では自由に仕事ができました。セビーチェをメニューにのせたり、ワサビソースを使い始めたのはこの頃です。6年後にはビバリーヒルズに「Matsuhisa」をオープンすることができました。

何事にも一生懸命打ち込んで


要所要所でいろいろな方に助けていただきました。無我夢中で生きていたのを見てくれていたからでしょうか。私は不器用ですが、何事にも一生懸命で、いい加減には生きてこなかった。だから助けていただけたのだろうと思います。
料理だけでなく、音楽でも建築でもアートでも、すべての仕事に「パッション」は大切。人生で一番大事なものだと私は思います。

ホタテのティラディード
醤油を使わずに表現したホタテの刺身。刺身の上にはコリアンダーとロコトというペルーのトウガラシペーストと糸杉の炭を混ぜた黒い塩をのせた。柚子とレモンのジュースで味を締める。

NOBU TOKYO
東京都港区虎ノ門4-1-28 虎ノ門タワーズオフィス1F
03-5733-0070
https://www.noburestaurants.com/tokyo-jp-jp/home/


本記事は雑誌料理王国第186号の内容を本ウェブサイト用に調整したものです。記載されている内容は第186号発刊当時の情報であり、本日時点での状況と異なる可能性があります。掲載されている商品やサービスは現在は販売されていない、あるいは利用できないことがあります。あらかじめご了承ください。


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