カレーファンの間で語り継がれるカレー店「M’s Curry」を振り返る


「もう一度あのカレーが食べたい」。 カレーファンの間で記憶に残るカレー店として、たびたび名前が挙がるのが、 今はなき、笹塚「M’s Curry」だ。 独自に探究したカレー、好みのはっきりしたBGMなど、 店を構成する要素はまさに、クラフトカレー店そのもの。 2010年、店主・釘宮真之さんの急逝により閉店した「M’s」が、今も語り継がれるのはなぜなのか。当時の常連であり、ご遺族とも親しいコピーライターの萩原慎一さんにM’sの世界を振り返ってもらった。

マスターが遺した永遠のM’sワールド

渋谷区の下町風情あふれる笹塚十号通り商店街の路地深くにあったM’sカレー。その大きな扉を引くと、スタンダードジャズのスウィングとともに、スパイスの強烈な香りが煙りのように纏わりついてくる。「いらっしゃいませー」と、か細い声の主は、色黒で小顔、パリッと白い調理服を端正に着こなしている。でも、どこの国の人?と最初の謎が浮かぶ。10 席ほどのカウンターには、隣に触れないように背筋を伸ばして、ほぼおひとり様の客が行儀よく座る。

カウンターの内側はマスター、釘宮真之さんひとり。身のこなしはスムーズであるが、とにかく忙しない。馴染みの客は「いつもの」とひと言で注文する。慣れない客は、じっと注文待ちをしていると不安になる。そのうち、シミだらけの小さな紙切れが、無言ですっと差し出される。メニューだと気づく。オススメは何だろう?周りを見渡すと、三者三様でまた混乱する。悩んだ末に「キーマひとつ」と声を掛けたなら、「ちょっと時間かかりますけどぉ~」と、手鍋を持って動き回っているマスターから小さな声が飛んでくる。遠慮がちに「じゃ、チキンで」となり、王道のメニューにありつくこととなる。 注文してホッとしたのもつかの間、グリーンサラダとドレッシングが差し出される。グリーンリーフに小さくカットされたイチゴとオクラ、とんぶりがトッピングされている。ん?ドレッシングは自分でということか。オレンジ色のドレッシングは、コルクの栓を抜いて逆さにしても粘度があって落ちてこない。見渡すとあちこちで、まるで儀式のように瓶の尻をポンポンと平手打ちしているではないか!それも楽しそうに。 M’s にはまっていくリピーターたちは、マスターが無言で誘うこの店の作法を誰に教わることなく身につけていくのだ。

マスターのルールは、提供される全てに頑固に貫かれていた。 「チキン」「ポーク」「キーマ」「野菜」。 定休日明けに気分で現れる幻のカレー「海」「豆」「新チキン」。その全てが、ルーもスパイスの調合も全く違うオリジナル仕立て。僕が大好きだった「海」は、ヒラメのアラとベルガモットで出汁をとったフレンチ風のカレーだった。 独特のドレッシングも、キャベツの酢漬け、キュウリのピクルスも手作り。カレーとの相性がいいライスは、国産米にギーオイルを混ぜて炊いたものだ。

注文や会計の「声かけの間」や何気ない「発話の間」。「M’s Curry」を「M’s ワールド」たらしめていたものは、店主と客の間でやり取りされる粋な「間」合いだった。

キッチンの床には、地下室へ通じるはしごがあり、ふと釘宮さんの姿が消えるのもM’s名物のひとつ。近所のスーパーと地下でつながっているという都市伝説が常連の間で囁かれていた。

空間を満たすスタンダードジャズは、ビル・エヴァンスなら「Waltz for Debby」、マイルス・デイビスなら「SOMEDAY MY PRINCE WILL COME」。そして春はポール・デスモンドの「easy living」、冬はデューク・ジョーダンの「FLIGHT TO DENMARK」等々。マスターの好みに徹したものしかかけない。リクエストなど、言えそうな隙がない。

それもそのはず。とにかく忙しいのだ。店の営業時間は昼と夜、それぞれ2時間半ほど。自身の食事はいつも弁当かサンドイッチ。にもかかわらずマスターが店を後にするのは午前2時過ぎ。仕込みにかかる手間が容易に想像できる。「800 円で非日常のおいしさ」にとことんこだわった。「1万円出せば、おいしくて当然。この金額で勝負することに価値がある」とよく話していた。「行列ができるラーメン屋は、みんな寝ないで仕事しているよ」そんな言葉に覚悟が見てとれた。1分でも時間が惜しい。いまにして思えば、命を削ってまで貫いたこだわりだった。 それでも狭いカウンターの内側へ、頑なにバイトを入れなかった。無口にしてクール。でもユーモアがある。そんなマスターの流儀を守りたかったのだろう。

ピンと張りつめているかと思うと、ときに緩んで感じる不思議な空間が好きだった。気まぐれなのか、親しくなった証なのか「NO SEX ,NO LIFE」なんてヘンテコなジョークを言って笑わす茶目っ気も忘れなかった。 だから若者たちの間では、マスターに声をかけてもらえることが、ひとつのステイタスになっていたらしい。お互いの「間」というか、無言の感覚を共有することが楽しくて、多くのリピーターたちが通い詰めた。母の愛情だったり、給食や学食での楽しい時間だったり。カレーは、多くの人に共通する幸せな体験と味覚が紐づけられている。

M’sの人気はカレーがおいしいだけじゃない。マスターの独善ともいえるルールが、無言のうちにみんなの幸せの感覚を引き出していたに違いない。まるで、茶の湯のような無駄のない所作と無言の表現。でも優しさやユーモアがあって、みんなを共感させる。そこにマスターの愛らしさがあった。M’sワールドといえる唯一無二の世界だ。だから、みんなのなかにマスターが生き続ける限りM’sは生き続けていく。 マスターが逝ったあと、店に残されたカレーは、妻の真由美さんの計らいで彼が暮らしていたご近所に振る舞われた。最後の晩餐に駆けつけると、あのカレーの香りがご近所一帯に漂っていた。それは、まぎれもなく彼がくれた幸せなカレーの香りだった。

text 萩原慎一 写真提供 釘宮真由美

本記事は雑誌料理王国2020年6・7月号の内容を本ウェブサイト用に調整したものです。記載されている内容は2020年6・7月号発刊当時の情報であり、本日時点での状況と異なる可能性があります。掲載されている商品やサービスは現在は販売されていない、あるいは利用できないことがあります。あらかじめご了承ください。


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