「パーラー江古田」の開店は朝8時半。近所の通勤通学客がエスプレッソをさっと飲んで、仕事や学校へと向かう。1杯200円。店主の原田浩次さんはエスプレッソが好きで、イタリアのバールを巡り、レバー式マシンでいれるナポリのカフェにしびれた。人々が日に何度も立ち寄り、町の寄り合い所のようなイタリアのバール。そんな店に憧れる。「実は、イタリアのバールに似ているのがパーラーなのですが、なんで?とよく聞かれる」と言う。で、なんで?「沖縄には、パーラーという軽食を出してお茶も泡盛も飲める店があります。町の人が一日中好きなように使っている。イタリアのバールと似ていませんか?」
時間があるとき、ないとき、おなかが減っているとき、いないとき、それぞれに使い勝手のいい店、それが原田さんの理想だ。
パンは「パーラー江古田」にとっての戦略商品である。「パン屋でパンがおいしいのは普通。カフェでパンがおいしければ印象が強い」と考えた。狙いどおりか狙い以上か、今やパンフリークたちにはおいしいパン屋さんとして認識されている。土日には、日本各地のパンマニアが深夜バスに乗ってやってくる。
イートインで飲んで食べて、それからパンを買う。これが「パーラー江古田」の顧客の基本的なパターンだ。普通のパン屋より客単価は高いが、「カフェもパンもそもそも単価が低い。だから何度でも足を運びたくなる店」を志す。隣り合わせた人に、「1日1回はいらっしゃるんですか?」と聴けば「いやあ、僕なんてひどいもんです」と言葉を濁された。ひどいもんですとは、日に4、5回ということらしい。通勤前にカフェ、昼食、休憩時間にカフェ、帰宅途中にワインを一杯、パンを買って帰る。そんな客も少なくない。
開店当時、オーブンの天板はたった1枚だ った。「よく、オープンセールをするパン屋さんがありますが、満足な対応ができない開店当初にお客さんを集めるのは失礼」と、最小限の規模でひっそりとスタートした。厨房を含め、配管から床貼り、扉まで、約6カ月間、店で寝泊まりしながら店主自ら内装を行った。時間はかかったが、内装費は約60万円。店内は、新しいのに使い込んだような風合いがある。生産量、売上げはジリジリと上がり、3年経って天板は6枚に増えた。開店以来、前月売上げを割ったことは一度もない。「うちはパンを大量に焼くパン屋でもないし、回転率のいいカフェでもない。ビジネスモデルとしてはおすすめできないです」というこの店は、お客の都合が最優先。居心地よく、おいしくて安いカフェと、手をかけたパンやサイドディッシュ。近所にあったら自慢したくなる店だ。実際、ミクシイには「パーラー江古田」のコミュニティが立ち、参加者約300人。店内で交わされるような会話がネット上でも交わされる。コミュニティとは共属感情を持つ人々の集団。「パーラー江古田」は、今の時代のコミュニティといえそうだ。
7種類のパンから選べる看板商品のサンドイッチ
野菜、チキンと舞茸、「全部ノセ」ができるサンドイッチ。鶏肉は皮目をハチミツでカリッと焼き、野菜もオーブンで焼く。パンとの組み合わせも楽しめて食べ応え充分。
接客は店主の原田さんが中心に対応し、一度来たお客の顔、常連客の好みは完璧に記憶する。来店客すべてに今日のパンを説明し、常連客のカフェの注文には「いつもの?」と聞く。
日に何度も飲める価格のカフェ、毎日食べられる価格のパン。セットで食べればさらにお得。イタリアのバールのように、1日に何度も立ち寄れる価格設定で来店頻度は高い。
常連客は原田さんを「コウジさん」と名前で呼ぶ。中には、パーラー江古田に行くことを「パラる」、アイスコーヒーを氷少なめで3つ、の注文を「ヌル3」と名づけた常連客も。
左から中林哲治さん、原田奈穂子さんと流奈ちゃん、店主の原田浩次さん店主原田さんは、1973年東京都生ま。千葉県・松戸「ツオップ」などでパン、カフェを修業。06年に「パーラー江古田」をオープン。奥さんと、今年4月に加わった中林さんの3人で店を営む。愛娘流奈ちゃんは店の人気者。
text & construction by Kaori Shibata photographs by Hiroshi Fushiki
本記事は雑誌料理王国2009年7月号の内容を本ウェブサイト用に調整したものです。記載されている内容は 2009年7月号発刊当時の情報であり、本日時点での状況と異なる可能性があります。掲載されている商品やサービスは現在は販売されていない、あるいは利用できないことがあります。あらかじめご了承ください。