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豚の文化史 世界と日本


世界各地に根づいている豚肉料理の数々。自分たちの土地で育てた豚をよりおいしく食べたいと、料理方法をあれこれ考え、工夫してきたのは、古今東西共通の人間の営みのよう。人間はいつの時代から、どんなふうに豚肉を食べてきたのでしょうか。世界と日本の豚食文化の起源とその流れを整理してみました。

「どんな動物でも豚ほど多くの材料を飲食店に提供しているものはない。すべての他の肉はそれぞれにひとつの風味しかもたないが、豚は50の風味を持っている」

1世紀、古代ローマ時代に書かれたプリニウスの『博物誌』には、豚についてのこんな記述が残されている。

美食家だった古代ローマ人は、塩漬けや燻製はもちろん、細切れの肉を腸に詰めたソーセージも作っていたという。皇帝や富豪の宴会には、黄金を散りばめた銀製の大鉢に大きな豚が丸のまま炙られて出され、その腹を断ち切ると、中から炙った小さい鶏が卵黄とともに、豚の脂肪で味付けされて出てきた、と書き残されている。

豚は家畜化された猪

豚は、人間が野生の猪を家畜化した猪の子孫だ。この家畜化は、アジア、ヨーロッパなど世界各地で人類が定住とともに農耕を始めた頃、時を同じくして始まったと考えられている。もともと狩猟の対象だった野生の猪を、人間が飼い慣らすようになったというわけだ。雑食性で群れをなす豚の習性は、人間が一カ所に囲って飼いやすく、妊娠回数が多く多産なのも、家畜化の進んだ大きな理由だろう。ヨルダンの農耕遺跡からは紀元前6000年頃の、スイスの遺跡からは前5000年頃の豚の骨が発見され、家畜化初期の豚と考えられている。ギリシャでも紀元前2500年頃には家畜化が一般化していたと考えられている。古代ギリシャ人は地中海沿岸に入植する際も豚を伴ったため、やがて古代ローマ人へとつながったと考えられる。

中国でも豚はもっとも大切な家畜だった

中国をはじめとするアジアでも、豚の家畜化は時期を同じくしている。中国桂林市郊外の遺跡からは、紀元前1万年前頃の世界最古の豚の遺骨が発見され、豚の形の陶器なども出土している。家畜に関する記述も残っており、中国戦国時代(紀元前5〜前3世紀)に書かれた『孟子』には鶏、豚、犬などを表す「鶏猪狗鹿之畜」の文字が、『荀子』には「養六畜」とあり、これは鶏、豚、犬、牛、馬、羊を示し、当時の重要な家畜が挙げられているのだ。

中国では豚は猪と書く。豚が古くからいかに人間に欠かせない存在だったかは、漢字を見れば一目瞭然。「家」という字は、屋根(あるいは高い住居)の下、豚(豕)がお供え物として祭られていた様子や、豚が飼われていたありさまなどを示すものとして、甲骨文字から変遷をたどってきたものだと考えられている。

豚の放牧も見られたヨーロッパ

このように歴史のごく初期から洋の東西を問わず、豚は人間にとって重要な家畜だった。時代とともに豚の飼い方も進化していくが、広葉樹の多い森が広がるヨーロッパでは放牧による飼養が盛んだったようだ。中世の時代、裕福な貴族階級が作った時祷書(キリスト教徒のための私家版祈りのテキスト)には12カ月の主要な行事の光景が描かれている。11月には森に実るドングリを豚に食べさせている絵、12月には野生の猪を狩ったり、育てた豚を殺す絵。育てられた豚はキリストの降誕祭であるクリスマス用のローストとなる運命にある。血もけっして無駄にはされず、上等のソースか、ブーダンに使われた。そして、ローストにする以外の残りの肉は、すべて塩漬けや腸詰めとなり、人間が冬を越す間の貴重な食糧となっていたのだ。このように豚肉は、人間の生きるサイクルにおいて、非常に重要で意味を持つ、尊い存在であった。

文明開化とともに日本の養豚が幕を開けた

ところで、日本では豚はどんな存在だったのだろうか。奈良時代の『続日本記』に「飼っていた猪」という記述があることから、すでにこの時代に家畜として猪を飼養していたことは明らかだ。が、その後の聖武天皇の時代以降は、仏教による殺生禁断の思想により、沖縄を除き、豚が表だって食べられることはなくなっていった。

その後、織田信長の時代に南蛮貿易が盛んになると、再び肉食は注目されはじめ、貴族や支配階級の間では滋養に富み、体に良い〝薬食い〞と称してまれに見られはじめる。元禄や文化文政の時代には、上方や江戸に町人文化が花開き、「ぼたん」(猪)、「もみじ」(鹿)、「さくら」(馬)などの呼び名で肉食が広まり、江戸中期には庶民がおおっぴらに猪を食べられるよう、猪は「山くじら」と称された。おいしいものを食べたいという人々の気持ちが、隠語や名称をひねりのあるものにしていったのである。

やがて明治の文明開化とともに日本の肉食文化は大きく幕を開け、養豚が始まる。明治後半頃から高騰した牛肉をカバーするように豚肉の消費は伸び、洋食屋の台頭とともに豚肉も人気の食材となっていったのだ。

さまざまなブランド豚がもてはやされる現代よりもずっと遠い昔から、豚はそのおいしさゆえ、人間に愛され、育てられ、時代を超えた今もなお、世界各国で愛され続けている。

[参考文献]
『図説・動物文化史事典』J・クラットン著(原書房)
『プリニウスの博物誌』中野定雄・中野里見・中野美代訳(雄山閣出版) 『新・食肉がわかる本』((財)日本食肉消費センター)
『家畜の歴史』F・E・ゾイナー著(法政大学出版局)
『家畜文化史』加茂儀一著(法政大学出版局)
『トン考』とんじ+けんじ著(アートダイジェスト)
『美しき時祷書の世界』木島俊介著(中央公論社)

馬田草織 文・構成

本記事は雑誌料理王国第163号の内容を本ウェブサイト用に調整したものです。記載されている内容は第163号発刊当時の情報であり、本日時点での状況と異なる可能性があります。掲載されている商品やサービスは現在は販売されていない、あるいは利用できないことがあります。あらかじめご了承ください。


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