ロンドンに和の本流「Roketsu」あり! 林大介シェフの<守りの攻め>とは?


ロンドン中心部の閑静なエリアに、懐石料理店「Roketsu 露結」がある。日本人なら襟を正して暖簾をくぐり、故郷の温もりと誇りを感じる場所。現地の人ならば、本物の日本食に接するためにぜひ来てもらいたい名店だ。

真正を追求し、守り続けることで、いずれは守りが攻めになる。イギリスにおける高級日本料理店でそれができているのは、もはや京都・菊乃井の流れを汲む、林大介シェフ(写真上)の「Roketsu 露結」だけなのかもしれない。

ロンドンでは緩やかに、しかし確実に日本食ブームが続いており、屋台フードから高級料理店まで出揃って、ありとあらゆるレベルのものをいただけるようになった。多くが日本人経営とは限らず「真正」の部分ですでに脱落するのであるが、日本人経営だからと言って「真正」とは限らない。また「真正」を追求している店そのものが、もはや数少ない。現地に住む人々に合わせた味が求められており、「真正」より「折衷」あるいは「進化」であるべきと考える人も多い。

では「真正」な日本料理とは何か。

京懐石の本流にあるRoketsu 露結・林大介シェフの料理をいただくと、自ずとその答えが見えてくる。日本料理の基調となる出汁を大切にし、地元の旬素材を生かして生み出される研ぎ澄まされた何か。しかし混じり気のない日本古来の味は追求することさえ、ここ英国では難しい。しかもそれが「真正」であると、一体誰に分かるだろうか。そんな課題も抱えつつの挑戦が、ここにある。

茶懐石の心を表わす原点回帰の意を込めた「露結」。京都・木屋町通の「露庵 菊乃井」に通じている。
全10席のカウンター席は毎晩2回転する。地下には落ち着けるラウンジと個室がある。

林シェフは大正元年に創業した京都の料亭「菊乃井」3代目、村田吉弘シェフの元に18歳で弟子入りし、10年に渡る修業を重ねた職人だ。菊乃井赤坂店のオープン時には副料理長に就任。その後独立。2008年の洞爺湖G8サミットを皮切りに様々な国際会議で日本料理の監修をされた経験から、縁あって2009年に渡英された。

ロンドンで最も成功している香港人事業家の一人であるアラン・ヤウ氏に口説かれ、高級和食店の料理長を務められた後は、言わば英国における「オフィシャル日本人シェフ」のような立場となり、様々な公式の場面で多大なる活躍をされている。そして2021年、ついにオーナーシェフとして「Roketsu 露結」を開業。現在はJALの欧州発4路線のビジネスクラス、ファーストクラスの機内食の監修、現地における日本食教育も含めてその活動は多岐にわたっている。英国における「日本食業界代表」のような存在なのだ。

八寸は林シェフ自らが描いたイラスト図説とともに供される。これは素敵。
向付のスズキ、マテ貝、イカ、仏産のオシェトラキャビアのせ。魚介は全てコーンウォール産。
トロを黄身醤油で。外国人を念頭においた濃厚な一皿に思えるが、いや、日本人も好きな味だろう。

露結はロンドン中心部の落ち着いたエリアにある。京都から持ち込んだ資材が使われている建築インテリアを手がけたのは、数寄屋造りで世界的に有名な中村外二工務店だ。同工務店による作品で日本以外の事例は、ここだけだという。

純日本風のカウンター・ダイニングで林シェフとお話しつつ、季節の懐石料理をいただく。林さんはこう言う。
「自然の恵みとしての食材を生かす。それが和食の真髄です。『神様から頂いたものに手を入れるなどもってのほか』という考え方が日本料理の根底にありますが、そこからお出汁の旨味を使った引き算の料理が生まれたんですよ。」

出汁は、林シェフが「日本一」と太鼓判を押す、福井・奥井海生堂の昆布が基本となっている。年々日本で昆布が取れなくなっている中で、林さんは3年間寝かせた本物の昆布を、ここ英国で惜しみなく使う。

「懐石料理を含む日本料理は、80パーセントが水分です。洋食に比べても2割以上多い。だからこそ出汁のクオリティが非常に重要なのです」。すっと背筋を伸ばし、林シェフは手を動かし続ける。

昆布のグルタミン酸、鰹のイノシン酸を併せると7倍から8倍の旨味の相乗効果が出るとされており、旨味には減塩作用があるので健康にも一石二鳥なのだと説明してくれる。

美しい漆のお椀の中にも、華やぎが。
カウンターの端に直火・炉端セクションがある。和牛とイベリコ豚から選ぶ焼物にも和食の洗練。
野菜の炊き合わせ!美しく、美味しく、大地の恵みを感じる繊細な一皿。
コーンウォール産のロブスターで、あられ粉揚げ。揚げナスと好相性。すごいボリュームだ。

この日の料理は、先付にアワビの柔らか煮、長芋の寒天閉じ、山葵あん。端午の節句にちなんだ八寸はしめ鯖のちまき、花蓮根、数の子の松前漬け、蕨のおひたし、海老の松風、ヒメジの南蛮漬け、鴨の鍬焼き、スイートシセリ信田巻き、自家製スモークサーモン砧巻き、アーティチョークとよもぎ味噌が仲良く並ぶ。

向付は八つ橋の形をした器に盛られたお造り。大根と人参で季節の菖蒲を見立てている。濃厚な味わいのトロと黄身醤油も加わり、季節のアスパラガス天ぷらとともに楽しむ趣向。

お椀は新茶のことほぎ。隠し味に玉露をインフューズしたお汁。カラフルな水菜とレインボウチャード、コーンウォール産のブリルを筒状にしたものを蒸し上げ、抹茶で色付した大根おろしを丸めてちょこん。出汁に混ぜていただくと、香りがいっそう立つ。

焼物は低温調理し、炭火で仕上げたお肉。野菜を混ぜ旨味を加えた自家製味噌に一晩漬けておいた肉は柔らかく香ばしい。中猪口を挟み、強肴の前に、紫芋のピューレを敷いた野菜の炊き合わせを。美しく仕上げられた珍しい野菜の数々に透明感のあるトマト・ジェルがかかっている。

強肴は獲れたてロブスターのあられ粉揚げ。出汁と卵とグリンピースでいただく彩りの良い熱々の一品だ。木の芽の香りは英国では貴重なもの。締めの飯物はホウボウ、ゆかり、紫蘇のご飯。えんどう豆のすり流し、帆立の真薯、漬物を添えて。濃厚なアルフォンソ・マンゴーのプディングとレモン・シャーベットで爽やかに締める。

最後まで息をつかせない美味しさ。久しぶりに料亭の味を堪能させていただいた。

日本食の真髄のような締め。お腹いっぱいでも食べられる魔法がかかっている。えんどう豆のすり流し汁が目の覚める美味しさ。
日本食は陰陽の思想にも影響を受けつつ、季節の区切りとなる行事ごとに旬のものをバランス良く食べることで身体を一旦リセットさせる意味もあると、林シェフが教えてくれる。

日本食が2013年12月に「ユネスコ無形文化遺産」に登録され、10年が過ぎた。当時、食生活の西洋化で伝統和食が急速に姿を消しつつあることに危惧を抱き、菊乃井の村田吉弘さんをはじめとした有志が働きかけたことで実現した。登録の直後、林シェフは他メディアの取材に応じて、こう発言されている。「喜ばしいと言うよりも、保存の努力をしなければ日本食の存続が難しいことが認定されたと受け取っています」。

そんな日本食へのひたむきな想いが、英国にたたずむ露結には溢れている。「日々、当たり前のことをしているだけですが、そこに実はこだわりがあります」と林シェフ。繰り返しや受け継がれた所作の中にこそ、日本食の美学が宿るのだとでも言うように。

ロンドンには数々の人気ジャパニーズ・レストランがあり、その多くが露結とは全く異なるタイプの店だ。和食らしさを残しつつも他文化を取り入れる、あるいは好まれる和食の一部を切り取って誇張する。言わば進化形のジャパニーズであり、この異文化のコラボレーションは成功すると素晴らしい実りともなる。

露結はしかし、その全部が束になってもかなわない本流の輝きを放つ美しい砦だ。海外在住歴の長い日本人としては、自分の舌の正統性を確かめるため、何度でも戻っていきたい場所と言えるかもしれない。

Roketsu 露結
https://www.roketsu.co.uk

text・photo:江國まゆ Mayu Ekuni

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