食の未来が見えるウェブマガジン「料理王国」

12年連続でミシュラン2つ星に輝く名店の天ぷら


時代を超えて愛され続ける名匠のスペシャリテがある。
連載23回目は、東京・銀座のミシュラン二つ星の名店「てんぷら近藤」の主人・近藤文夫さんと、究極の逸品「野菜の天ぷら」。

「料理」を仕事にして、おいしいものがつくれたら、どんなにすばらしいだろう――。幼い頃から、私は料理人に憧れていました。終戦から2年後の1947(昭和22 )年生まれですから、食べることさえ大変な時代に育ちました。しかも、6歳で父を亡くし、母が私たち兄弟を女手ひとつで育ててくれていたので、おいしいものがつくれる料理人になって、母に喜んでもらいたい。この想いが私の原点になっています。

18歳で東京・御茶ノ水にある「山の上ホテル」に入社。「和食てんぷら山の上」に配属が決まり、天ぷら一筋の人生を歩むことになりました。天ぷらは、日本人に愛されてきた和食です。しかし、ひとつの料理として確立されているのか。そう考えたとき、当時の私には疑問符がいっぱいありました。そのひとつに、なぜ天ぷらには魚が多く野菜がないのか、不思議でした。
ある店の主人にたずねたら、「江戸湾で獲れた魚を揚げるから江戸前天ぷらなんだ」と言われ、何となく納得した気になりましたが、〝走り〞や旬の野菜の天ぷらを揚げたいという想いは増すばかり。当初はホテルの洋食部のキッチンから、旨そうなアスパラを調達して挑戦。いくつもの試行錯誤を繰り返し、衣の濃度や油の温度、揚げ方を研究しました。

美しさ、香り、そして感動を込めて


やがて、「和食てんぷら山の上」は、作家の池波正太郎先生、写真家の土門拳先生、評論家の山本健吉先生など、今は亡き恩人の方々から、褒めていただけるようになりました。そして、無農薬有機栽培の野菜を作っている全国各地の生産者の方々を訪ね歩くうちに、こうした野菜を揚げたい、自分のやりたいことを自分の店でやりたい、と思うようになりました。この気持ちの裏には、じつは危機感があったのです。ヘルシー指向が高まり、油で揚げる天ぷらは「重い食べ物」と感じる若い人が増えてきたのです。天ぷら離れしようとしている人にも、軽くておいしい天ぷらを食べてもらいたい。そう切望して、43歳で銀座に「てんぷら近藤」を開店しました。

カラッとした香ばしさを出すために、揚げ油は竹本油脂の「太白胡麻油」3に対して、低温で煎ったタイプの焙煎ごま油「太香胡麻油」1をブレンド。江戸前のアナゴは、やや薄めの衣をつけ、190度の油でカラッと揚げ、水分を適度に抜いて、中をほっくり仕上げます。近藤の名物「さつまいも」は、考えて考え抜いた末のオリジナル。千葉県香取産の1キロほどの太い芋に限ります。170度の油の中でゆっくりと30分ほど揚げたら、ペーパータオルに包み、余熱を利用してほっくりと蒸らします。

パリ「ブリストルホテル」のグランシェフ、エリック・フレションさんは、私の野菜の天ぷらを「香り高く美しい。そして軽い」と驚き、「日本の天ぷら」に感動してくれました。独立して22年。66 歳になりましたが、毎朝5時に家を出て築地に行き、その日の素材を自分の目で選別します。独立を心配していた母は74歳で亡くなりましたが、「安心してくれ」と言えます。
これからも新しい素材に出会い、新しい発想を得て、おいしい天ぷらを揚げ続けていく。これが私の天職だと思っています。

野菜の天ぷら 素材への想いを込めて
写真右奥のオブジェのような円柱形のサツマイモ。ホクホクした食感と甘みに圧倒される。その左は、細く細く切りそろえたニンジン。口の中で、ハラリとくずれる。中央左はタラノメ。右は緑色が鮮やかなコゴミ。手前左は、雪をかぶったように白く揚げたフキノトウ。右は、崩れるかまとまるか、ぎりぎりの衣をつけて揚げたソラマメ。野菜の美しさ、香り、そして感動に満ちた、近藤さんならではの名人芸である。

近藤文夫 Fumio Kondo
1947年、東京都生まれ。高校卒業後「山の上ホテル」に就職「、和食てんぷら山の上」に配属。1970年、23歳で料理長に抜擢される。1991年に独立し、銀座に「てんぷら近藤」を開店。ミシュラン二ツ星の名店として食通を唸らせている。2013年『天ぶらの全仕事「てんぷら近藤」の技と味(』柴田出版)を上梓。長年に亘って磨きあげてきた仕事のすべてを公開している。

text 長瀬広子   photo 小林大介

本記事は雑誌料理王国2014年4月号の内容を本ウェブサイト用に調整したものです。記載されている内容は 2014年4月号発刊当時の情報であり、本日時点での状況と異なる可能性があります。掲載されている商品やサービスは現在は販売されていない、あるいは利用できないことがあります。あらかじめご了承ください。


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