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チャップリンも愛した和牛ステーキ。帝国ホテルの肉のスペシャリストに迫る


1890年の開業以来、帝国ホテルの伝統と格式は、細分化されたサービスの上に成り立っている。肉のスペシャリストとして配置されているブッチャーも、そのひとつ。帝国ホテルの肉料理を支える存在として、いかなる視点を持つのだろうか?

積み上げてきた歴史に守るべき答えがある

伝統のローストビーフ、オペラ歌手フョードル・シャリアピンのために考案されたシャリアピンステーキ、チャップリンも愛した和牛ステーキなど、「帝国ホテル」の肉料理には数多くのエピソードがある。そして、そのような料理で使われるすべての肉を仕入れ、管理し、料理に合わせて仕分けする作業を担うのがブッチャーと呼ばれる専門職だ。帝国ホテルは専任のブッチャーセクションを置く日本唯一ともいえるホテルである。

 現在ブッチャーシェフを務める村野哲司さんは、新卒入社後、最初の配属先がブッチャーだったという、帝国ホテル内でも稀有なキャリアの持ち主だ。ブッチャーでの1年弱の修行を経て、ホテル内のレストラン3店舗の調理場と、宴会部門のホットとコールドの両現場を経験。約年ぶりにブッチャーへ戻ると、次は精肉業者での研修へ。2012年、再びブッチャーへ戻り、その年にブッチャーシェフに就任した。

「入社当時と今を比べても、よい意味で何も変わっていません。昔から守り続けていたものが、すべてそのまま受け継がれています。長い伝統と歴史の積み重ねによって完成している方法があり、それを変えてしまうと、おそらく今こうしてお客様に支持いただいている帝国ホテルの味ではなくなってしまうと思います」

伝統に縛られるのではなく、誇りをもって伝統を守り抜こうとする姿がそこにある。

「世の中にはもっと簡単な方法もあることでしょう。でも、それを絶対にやらないところが帝国ホテルらしさ。ブッチャーというセクションを存続させていること自体が、それを体現しているように思います」

 村野さんにとっての師匠は、先代のブッチャーシェフを務めた小笠原登氏だという。

「私がブッチャーシェフになった時、いつも言われていたのが『石橋を叩いて渡れ』ということ。目が合うと、作業台をコンコンと拳で叩いて見せるんです。我々は最終的にお客さまが口に入れるものを扱っているので、念には念を、用心に用心を重ねなければならないと」

その日仕入れたばかりのサーロイン(左)と、1週間以上エイジングを経たもの(右)。この2本分の量は、鉄板焼きなら約4日間で消費される。帝国ホテルの牛肉を象徴する部位でもあるため、村野さん自らが下処理を担当することが多い。

仕入れは毎回が真剣勝負「切って確認」を欠かさない

ブッチャーの仕事でもっとも難しいのは仕入れだと、村野さんは語る。「すべての肉料理のスタート地点として、ここで間違えるわけにはいかない。絶対に気が抜けない瞬間です」仕入れには少なくとも2名のブッチャーが立ち会う。ここでサシの量や断面の大小など、あらかじめリクエストした条件に対し、それを満たすものかどうかが厳しくチェックされる。

「産地を指定すると選べる枠を狭めてしまうため、全国の肉から、その時の宴席にふさわしいかどうかで選びます」

さらに、仕入れ前の肉を切るのも帝国ホテルのブッチャーならでは。「肉は切って初めてわかることもあるため、必ず切らせてもらいます。こちらが頼んだ手前、申し訳なく思いますが、仕入れずにお返しすることもあります」

心がけているのは、よくも悪くもフィードバックを欠かさないこと。「業者さんは見た目が美しくサシの入った肉をよしとするのに対し、我々は焼調整をしておいしくなるかどうかで判断します。そのような多少の見方の違いというのも、会話をしていて興味深いですね」

無事仕入れが確定した肉は、エイジングルームへ。鉄板焼き用、宴会用など、発注方法やオーダーする肉のランクはそれぞれ異なる。ブッチャーシェフは、どの部位がどんな料理に使われ、どのような調理法で提供されるのかも熟知。最適なタイミングでカットを施し、各現場へ下ろす。8つの直営レストランと、26の宴会場を擁する帝国ホテル東京の場合、ひと月で約20頭分の牛肉を消費する。しかも、筋はスープやソースに、脂は鉄板焼きで使うなど、最後の一切れまで無駄にすることはない。

「嘉門」では、厳選された肉を、旬の素材と共に鉄板焼きで味わうことができる。村野さんは自らホテル内の各現場へ足を運び、肉のコンディションや料理との相性を確認することも欠かさない。

また、村野さんはメニューについての相談を受ける機会も多い。

「総料理長がメニューを提供する宴席では、練り物など加工が必要な肉料理があると、ブッチャーシェフに任されます。何度も総料理長にプレゼンし、やっと完成した時は嬉しいものです」

最後に、ブッチャーにふさわしい資質とは何かを尋ねてみた。

「どこまでも追求していく気持ちのある人。本質は変えずにチャレンジしていくことが必要だと思います」

牛肉の内部に旨味を閉じ込めるため、焼いた時間だけ休ませるのが「嘉門」の鉄板焼の鉄則。神谷さんは水分量を瞬時に見極めながら、焼き方、切り分け方を判断するというD

目利きの一品

「牛肉の脂によって切っているそばから刃の切れ味が落ちていくので、1日に何度と言わず研ぎ直します」。村野さんが牛肉を切る包丁に求めることは“切れすぎない”こと。刃全体の切れ味がよすぎると、肉の筋を引く際、筋ごと切れてしまいやすくなるため、刃先だけ、ほどよく切れる程度のほうが使いやすいという。

一番上の包丁は、先々代のブッチャーシェフから代々受け継がれたもの。「私にとってお守りのようなものなので、研ぐことはあっても使いません」とのこと。

帝国ホテルブッチャーシェフ
村野哲司さん

1993年(株)帝国ホテル入社、ブッチャー部門へ配属となる。その後、同ホテル内レストラン及び宴会の調理場で約20年間、調理に従事。再びブッチャーへ転属となり、2012年ブッチャーシェフに就任。

田中英代=取材、文 Ryu Itsuki=撮影

本記事は雑誌料理王国268号の内容を本ウェブサイト用に調整したものです。記載されている内容は268号発刊当時の情報であり、本日時点での状況と異なる可能性があります。掲載されている商品やサービスは現在は販売されていない、あるいは利用できないことがあります。あらかじめご了承ください。


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