ロンドンのような食通が多い国際都市ではひっきりなしに新コンセプトのレストランが誕生し、目移りするばかりだ。新規オープンのチェックが日課のようになっている筆者でも、ここぞという時にプライベートで友人を連れて行きたいレストランはいくつかある。その一つが、日本にルーツを持つシェフ、ジュン・タナカさん(写真上 ©RestaurantPR)が全責任を担うThe Ninthだ。
The Ninthは市内でも指折りの美食通りに位置し、周囲は強豪だらけ。2015年にオープン、翌年にはミシュラン一つ星を獲得。現在に到るまで維持し続けている。確かな技術に裏打ちされた古典フレンチに、軽やかな地中海食材やハーブを組み合わせ、日本のバックグラウンドをチラつかせる名店として知られる。昨年夏に猛暑による火災被害に遭い、再発予防対策を講じるため休業を余儀なくされていたのだが、この3月半ばに刷新を終えて晴れて再オープンしたと聞いたので、久しぶりに再訪させていただいた。
ジュン・タナカというオーナーシェフがいかに優れているか。それを確信したのは、彼が臨時休業中の 7カ月を憂いの時間ではなく、チームの団結とさらなる能力開発という前進のために使ったことを、ご本人から聞いたときだ。
チームをまとめ、再オープンへ向けてモチベーションを維持していくため、食に関係するワークショップやクラスに参加したり、ワイナリーへ日帰りトリップしたりと積極的にチーム・ミーティングの機会を作った。さらには成長マインドのコーチングまで実施したというから驚く。おかげでスタッフたちのクオリティが著しく向上し、同じチームで再オープンへ。現在ロンドンが抱える人手不足の問題も、彼らにはさほど関係なさそうだ。
筆者の外食時のチェック項目はいくつかあるが、その一つに「野菜料理のクオリティ」がある。今ではどんなシェフも野菜料理をおろそかにしたりはしないが、それでも副菜で個性を出せるシェフは、意外に少ない。そんな中、ジュンさんによる野菜の副菜は素晴らしいと感じてきた。ヘーゼルナッツのジェノベーゼで和えたカーボロネロやグレーズの照りが美しいサルシファイのローストなど、過去の料理が鮮明に蘇る。メニュー全体に調和をもたらすため、副菜も隅々まで食のクラフトで彩られるのである。そこにはジュンさんの日本DNAが関係しているのかもしれない、と筆者は見ている。
というわけで肉や魚介の美味しさは、言わずもがな。今回初めてThe Ninthのシグニチャーとも言える仔牛の炭火焼きをいただいたのだが、そのプレゼンテーションに驚いた。ロンドンの上質レストランで「Veal Chop」なら肉のクオリティそのものを最上に位置付け、そこを生かすシンプルな調理を良しとするシェフがごまんといる。しかしジュンさんは、あえてその伝統に挑戦する。
炭火焼きにしたエレガントな仔牛肉に合わせるのは、アミガサタケとメリンダ・トマト。両者とも肉を引き立てる完璧な脇役を演じる。全体にこくまろな旨味を与えるのが、スイス・チーズのシロネ。そして程よい酸味のあるグレイビー・ソースにはやはり、アジア的な華やぎが感じられる。
The Ninth特製、究極の定番デザートが、Pain Perdu、すなわちフレンチ・トーストだ。こんなフレンチ・トーストに、私は未だかつて出会ったことがない。長方形にカットした自家製ブリオッシュを一晩カスタードの中でマリネし、じっくりと焼き上げる。中は絹のようになめらかだが、外側はカリリと焦げ目をつけてありその食感の対比を楽しむ。添えてあるのはトンカ豆のアイスクリーム。食通なら必ずや「また食べたい」と願う、満点デザート。紛れもないジュンさんのシグニチャーである。
ジュン・タナカさんは日本人の両親の元にニューヨークで生まれ、日本と英国で育った。「サムライ・シェフ」と呼びたくなる純日本風の容貌でネイティブ英語を操る彼は、英国でもかなりユニークな存在だ。いずれも今では伝説的な存在となっているルー一族、ニコ・ラデニス、マルコ・ピエール・ホワイトなどイギリスにおける第一世代のフレンチの巨匠たちに師事して貪欲に吸収し、33歳で壮麗な5つ星ホテルのレストラン、Pearlのエグゼクティブシェフに。並行してグルメ屋台も成功させ、メディアでも引っ張りだこのセレブシェフになった。The Ninthは彼が9番目に関わることになったレストランであり、初のオーナー・プロジェクトである。
The Ninthの再開を多くの馴染み客が喜び、祝うために足を運んでいる。そのテーブルを、ジュンさんが嬉しそうに挨拶して回る。The Ninthの第二章が今、始まった。
The Ninth
https://www.theninthlondon.com
text・photo:江國まゆ Mayu Ekuni