アメリカ屈指の美食都市といわれるサンフランシスコから北へ約60キロメートル。ナパバレーの中心ヨントヴィルにあって、全米一予約の取れないレストランと言われる「フレンチ・ランドリー」は、トーマス・ケラーさんがオーナーシェフを務め、20年以上の歴史を刻んできた。
2003年と04年には、「世界のベストレストラン50」で1位を獲得。06年以来、ミシュランガイド『サンフランシスコ・ワインカントリー』版で、三ツ星を獲得し続けている。
その力の秘密は、いったいどこにあるのか―。料理長を務めるデビッド・ブリーデンさんは言う。
「敷地内には『ガーデン』と呼ばれる畑があります。地元の契約農園で採れたカリフォルニアの豊富な食材も使っています。『フランス料理の技術とアメリカンキュイジーヌの創作の融合』が、ケラーさんの料理哲学。それが、オープン当初から『フレンチ・ランドリー』に脈々と息づいている伝統なんです」
ブリーデンさんはその伝統を大切にしつつ、自分らしさを追求する。「スタッフは常に食材や食文化を学びながら、アイディアを出しあってメニューを一緒に考えます。発見と変化は、毎日のようにあります。変らないのは、料理に対する情熱と、一緒に働く人たちの連帯感です。最高の〝チーム〟が創り出すひと皿は、国境を超えてお客さまに伝わるものだと思います」
ケラーさんの料理哲学を守りつつ、”新陳代謝”を続ける。それこそが、20年変わらず、「トーマス・ケラーの料理を一度味わってみたい」と、世界中から人々が集まってくるゆえんなのだろう。
「『ガーデン』でつくられる野菜は、USDA(米国農務省)のオーガニック認証は取得していません。独自の発想で、無農薬のオーガニック農法を実践しています」
「ガーデン」で飼っている鶏もオーガニックの飼料を食べている。ミツバチもここで生態系をつくっている。すべてが自然と料理のコラボレーション。「ガーデン」チームの20人は、それぞれが環境への取り組みを欠かさない。キッチンは、レストランで出た廃棄食品などの生ゴミを有機肥料化するなど、さまざまなサスティナビリティに取り組む。
「持続可能な社会の実現は、グローバルな課題であり、今や、食物を扱うレストランとは切っても切り離せないテーマです」
ブリーデンさんは、18歳のときにトーマス・ケラーさんの記事を雑誌で読んで、「この人こそ私の師匠だ」と直感したと言う。研修生として「フレンチ・ランドリー」のキッチンに入り、正社員になりたいとケラーさんに直談判したが、断られた。「でも、ある日、『精肉係なら空きがあるぞ』と言われ、即座にOKしました」
そのうち、ケラーさんはブリーデンさんに料理の手伝いをさせてくれるようになった。
「ケラーさんは新しい思想を取り入れる広い心の持ち主で、若いシェフたちの意見を聞いたり、一人ひとりのゴールを理解した上で挑戦をさせてくれます。それぞれの持ち場をこなした次には、また新たなステップがありました」
そんなブリーデンさんは2015年、初めて日本を訪れ、「NOBU」の松久信幸さんと一緒に食ツアーに出かけた。「琵琶湖で釣りをして、それを二人でてんぷらなどにして食べました。日本で出会った魚では、グロテスクな外見ながら甘味があって、淡白なヤガラがとくにおいしかった」
トーマス・ケラーさんのシグネチャーディッシュ「オイスター・アンド・パール」。サバイヨンに入れたタピオカは、カキとキャビアという贅沢な食材と組み合わせることで、その風味と食感がさらに引き出されている。
滋賀県の湯葉専門店「ゆば八」の工場を見学し、そこで豆腐づくりも学んだ。比叡山の高山植物を使って料理をつくったり、自然水から出汁をひいたり……。
「どう下ごしらえし、煮込んだら、タケノコがあんなにおいしくなるんだろうと驚きました。アメリカでは絶対できないような体験をして、感動の連続でした」
もちろん、その体験は「フレンチ・ランドリー」のキッチンでも活きている。「ガーデンで採れたトウモロコシで『スイートコーン豆腐』をつくって、鰹節でひいた出汁も加えました。メニューには『鰹節』とは書いていないし、ゲストは誰も気づかないでしょう。でも、僕にとってはとびきりの”隠し味”なんです」とブリーデンさんは笑顔を見せる。
ピュアなカリフォルニアの食材を使って創作した、アメリカンと和食のコラボレーション。
「ちょうどそのメニューを出した時期が春だったので、プレートには桜の花びらを添えて出しました」と、ブリーデンさんは少々得意げだ。
オーナーシェフであるトーマス・ケラーさんが料理を語る言葉の中に、こんなものがある。「ひと口に『塩コショウをする』と言っても、味を引き出す塩コショウもあれば、味をつける塩コショウもある。タイミングによって塩コショウをする意味も結果も違ってくる」
アメリカンのパワフルさを残しつつ、カリフォルニアの豊かな食材を繊細に美しくまとめる―。トーマス・ケラーさんが大切にしている料理哲学と日々向き合いながら、ブリーデンさんは、料理人として成長してきた。師匠譲りの繊細な感性は、新たに出会った和食の真髄と響き合い、新しい「フレンチ・ランドリー」の味をつくっていくだろう。
「そういう意味では、『フレンチ』とか『アメリカン』というような境目は、年々微妙になってきていますね。シェフも学び、料理も進化していますから。本質は、ローカルで四季折々の最高の食材を、どのようにおいしく調理し、美しく提供できるかにあるのだろうと思います」
年には新しいキッチンも完成し、「フレンチ・ランドリー」もまた、新たな一歩を踏み出す。その”新生フレンチ・ランドリー”はどのようなヴィジョンをもって、先に進もうとしているのだろうか。
「もちろん、『フレンチ・ランドリー』は、時代の変化とともにこれからも進化していくでしょう。でも、基本は変わらないです。流行にはとらわれない、ここでしか体験できない特別な”ダイニング”に誇りを持っています」
世界では、「モレキュール・ガストロノミー」(分子料理法)に目を向けるシェフも少なくない。新たな料理、未知の味を目指すこともまた、料理人のひとつの使命だろう。新たな食の潮流を待ちわびる食通も、確かに存在するはずだ。
「それはもちろん、素晴らしいことだと思います。でも、私たちは競争はせず、外へ向くより、むしろ内へ向かっていこうとしています」とブリーデンさんは語る。
ここでは、「セルフ・エバリュエーション」と呼ばれる自己評価を、毎日行っている。それは、多くの人が考える以上に地味な作業だ。
「でも、毎日、それの繰り返し。外に向かって〝攻撃〟するのではなく、『フレンチ・ランドリー』で働くすべての人間と共生し協働することで、『調和』をもって『フレンチ・ランドリー』を作り上げていこうと、私たちは考えているのです」「フレンチ・ランドリー」は、シェフひとりの店ではない。
「ここで働く一人ひとりが重要な役割をこなし、チーム全員がトーマス・ケラーさんの元で刺激しあい、協調しながら、それぞれの技術やアイディアを取り入れ進化させていくのが”私たちの料理”なのです」
次なる10年に向けて、「フレンチ・ランドリー」は独自の思想で胎動を始めている。
NOBU TOKYO (日本料理)
横山和弘さん
今年、当店でコラボディナーをしました。一つひとつのお料理が本当に丁寧に仕上げられていて、勉強する点が多かったです。ケラーさんがオーナーの松久と滋賀県へ行った際、水辺にあったセリとクレソンを料理に活かしたいと自ら摘んで持ち帰ったそうです。人柄にも魅力を感じます。
ルメルシマン オカモト(フランス料理)
岡本英樹さん
縁あって2001年に一度厨房で仕事をしました。アメリカでフランス語を使うという面白い体験でした。フォワグラ規制が本格的に始まった今、ケラーさんがどんなことを考え、どんなアクションをおこされるのか気になります。
テネシー州の田舎町で生まれ育つ。1999年、「フレンチ・ランドリー」の料理本を見て、一流レストランのシェフを目指す。2005年、「フレンチ・ランドリー」に短期研修生で入り、翌年従業員になる。その後、ニューヨークの「パ・セ」の招宴係を経て副料理長を務めた後、13年、「フレンチ・ランドリー」のシェフ・ド・キュイジーヌ(料理長)に選任される。
米国とフランスで修業したのち、NYでレストランを開くが挫折。1994年、ナパバレーに「フレンチ・ランドリー」を開く。その後、ブラッスリーの「ブション」や「ブション・ベーカリー」などを次々に開店。2004年にはNYに「パ・セ」を出店する。「フレンチ・ランドリー」「パ・セ」ともにミシュランの三ツ星を獲得。米国人シェフで唯一、2店の三ツ星レストランを持つ。
フレンチ・ランドリー
The French Laundry
6640 Washington St Yountville, CA 94599
☎+1 7079442380
● 11:00~13:00(金~日)
17:30~21:30(月~日)
●無休
● シェフズ・テイスティング・メニュー
$295など ●約30席
www.thomaskeller.com/tfl
関根絵里=取材、文
本記事は雑誌料理王国254号の内容を本ウェブサイト用に調整したものです。記載されている内容は254号発刊当時の情報であり、本日時点での状況と異なる可能性があります。掲載されている商品やサービスは現在は販売されていない、あるいは利用できないことがあります。あらかじめご了承ください。