プロボクサーから料理人へ。ひとりの男性との出会いが人生を変えた「ヌキテパ」田辺年男さん


思い出の食材を自分のスタイルで

今回の料理「ヒシコイワシの蕎麦粉のベニエ」は、田辺さんの料理人としての道を決めた石井さんとの出会い、その時食べさせてもらった最初のひと口の思い出が詰まったひと皿だ。頭だけを取りワタを残したヒシコイワシに、蕎麦粉の衣をまとわせさっと揚げる。仕上げはシンプルに粗塩をふり、カカオを削りかけた。ワタの苦味に揚げた香ばしさが合わさり、カカオの香りが心地よく寄り添う。カカオは近年料理に取り入れているアマゾンカカオ。土に近いニュアンスもあり、田辺さんお馴染みの土のシャーベットにふりかけてもおいしいのだという。

フランスから帰国し、銀座のビストロ、六本木のレストランを経て独立したのが1988年1月10日。恵比寿に8坪の「あ・た・ごおる」をオープンし、5年後には五反田にある元ドイツ大使邸宅の一軒家へ移転して「ヌキテパ」をオープンした。8坪の「あ・た・ごおる」から、140坪の「ヌキテパ」へ。周りからは心配もされたが移転の月から黒字を出し、現在まで店を閉めることなく守り続けてきた。

プロスポーツ選手と同じ努力したひと握りが成功する

「これまで辛いことがなかったわけではありません。でも好きなら続けられるはずなんです。野球で甲子園やプロを目指す人だって、厳しい練習にもくじけずにやっている。そこでやめてしまえば野球の道は閉ざされる。甲子園に出るためには県で100校もあるなかの1校を目指すんですから、それはハードですよ。でも監督に命令されてやるんじゃなくて、自分がうまくなるためにやる人は頑張れる。料理人も同じなんですよ」

スポーツの世界で、第一線で活躍できる選手はひと握り。料理の世界でも、最後まで第一線でやりきれる料理人はひと握りで、決して甘いものではないと田辺さんは語る。

「料理人として働き抜くには、まず素直になることです。料理は何も修業しないうちからいきなり天才的にできたり、誰でもできたりするものではありません。経験を重ねて、本質と向き合って、指摘を受け入れ改善しながら磨いていくものです。イチローも『自分は天才じゃなくて、努力してきただけ』と言っているでしょう?努力できる人が天才で、すごい人だって努力しなきゃだめなんです」

また田辺さんは、見かけや技術だけではなく、お客さまに何をどう食べてもらいたいかを考えることも大切だと言う。「たとえば大根を桂むきにしてツマを作るとします。技術的には練習すれば誰でもできる。でもそれを長時間水に入れっぱなしにしていれば味が抜けてただの形だけ、飾りになってしまう。大根がかわいそうです。お客さまに大根を食べていただきたいなら、オーダーが入ってから切ってさっと水にさらして出す。それが料理です。料理は技術よりも、精神が大事なんですよ」。

今思えば体操やボクシングも料理のためにやったようなものだ、と言う田辺さん。オリンピックやプロ選手を目指すなかで鍛えてきた精神が料理に活かされていると感じている。

「あともうひとつ、男は愛嬌です。周りに好かれること。周りに好かれて、チャンスや出会いをしっかりとつかむこと。三崎で石井さんに車で送ると言われた時、タクシーで帰りますからと断っていたら、今の私はなかったでしょう。誰にでもチャンスは巡ってきます。それを逃さないように、しっかりとつかんでください」

ヒシコイワシの蕎麦粉のベニエ
新鮮なヒシコイワシを、揚げる直前に頭を取り、ワタを残したまま蕎麦粉の衣をつけてベニエに。仕上げに粗塩と、削ったアマゾンカカオをふりかける。ワタの苦味、衣の香ばしさとともに、ヒシコイワシの力強い旨味が広がる。

ヌキテパ

ヌキテパ
Ne Quittez pas
東京都品川区東五反田3-15-19
www.nequittezpas.com

本記事は雑誌料理王国298号の内容を本ウェブサイト用に調整したものです。記載されている内容は298号発刊当時の情報であり、本日時点での状況と異なる可能性があります。掲載されている商品やサービスは現在は販売されていない、あるいは利用できないことがあります。あらかじめご了承ください。


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