【受け継ぐということfile1】陶芸家 村山健太郎


陶芸家、建築家、プロダクトデザイナー、茶人、杜氏、農家。異業種のトップランナーは、何を受け継ぎ、それをどのように未来へ引き継ごうとしているのか。職業やジャンルに関係なく共鳴するであろう、6人の価値観に迫る。

言葉では伝えにくい暗黙知を受け継いできた

次の世代に伝えていくことに対して、とても大切な役割を果たしてきたのが 「弟子制度」だと僕は思う

やきものの世界は、祭器として造られていた時代から自分たちで使うための器を造る時代になったことで、大きく変化します。 必要に応じて造るわけですから、量が必要になってくると分業制や職人集団が生まれることになります。やきものには多くの工程があり、その一つひとつの工程を極めなければ通用しません。轆轤(ろくろ)ひとつとっても修練が必要ですし、窯焚きにしても釉薬(ゆうやく)をかける工程にしても同じです。例えば轆轤の職人がいて、その技術を次の世代に伝えていくには、やはり長い時間がかかるわけです。この「次の世代に伝えていくこと」に対して、とても大切な役割を果たしてきたのが「弟子制度」だと僕は思うのです。 やきものをはじめ工芸の分野では、人から人へ口伝に近い形で受け継がれていった背景があります。その理由は、言葉では伝えにくい、暗黙知を受け継いできたからです。 僕たちの仕事で大事なのは目。視力の話ではなく、目がよくないと、何がダメで何がいいのか判断がつきません。

目を養い、ものをしっかりと観察できるようになると、コンマ何ミリの話まで理解できるようになります。僕が弟子だった頃、師匠からはもののつくり方のコツや技術も教えていただきましたが、それよりも何よりもいいものを造れるようになる人に育てていただいたことが大きい。こういうことは、十分な給料をもらってやることではありません。半分勉強で、半分仕事みたいなことですからね。プロ意識を持って働かなければいけないけれど、もらえる対価は小遣い程度という、決して割にあう仕事ではない。それでも、将来は陶芸家になり、いいものを造りたいという目標に向かって進む道の途中に、弟子という時間があったほうがいいと僕は思います。

僕も毎日やきものをしながら 自分を造っている

木灰釉をかけて焼いた、 黄唐津の茶碗。 土の素材感を活かした、村山さんの真骨頂が表現された作品だ。 使い込むうちに経年変化を起こし、 決して飽きることなく手の中で馴染む。

現在の唐津焼の窯元は、ほとんどが個人作家です。僕を含め、弟子と師匠という関係性の中で、多くのことが受け継がれてきました。しかし、社会の風潮的には、ブラック企業とかそういう言葉が使われるようになりましたよね。修業の重要性や弟子制度に対する理解がなくなってしまうことは、 歓迎できません。次の世代に伝えていくというサイクルを継承していくことが、厳しくなるように感じます。 もちろん、この先もずっと、素晴らしいやきものが造られていくと信じています。僕が師匠から教えてもらったこと、僕が守っていきたいこと、それを受け継いでいきたいと思ってくれる弟子がいて、そういった作家の器をいいと思ってくれる人がい続けてくれる限り。

そのためには、僕もまだまだ先輩から話を聞き、目を養い、ものに隠されている秘密を掘り下げ、それを弟子に渡していくことをしていかなければいけない。 弟子を育てることもそうですが、僕も毎日やきものをしながら自分を造っているんだ と思います。技術を磨いていいものが造れるようになった、で終わりにしたらダメ。 日本でやきもの造りがはじまり、今まで積み重なってきた歴史の上で、僕もやきものをやらせてもらっているわけです。つまり、進化の途中に自分がいる。自分が受け継いだものを、次の世代にも受け継いでもらい、やきものの歴史の1ピースの中で自分の役割を果たしたいと思っています。

村山健太郎
1978年生まれ。 2003年から川上清美さんに師事し、2008年に唐津市に健太郎窯を築窯、 独立。 山を歩いて土を掘りだし、 唐津伝統の技法で焼き上げる。

text 馬渕信彦 photo 梅澤豪

本記事は雑誌料理王国2019年10月号の内容を本ウェブサイト用に調整したものです。記載されている内容は2019年10月号発刊当時の情報であり、本日時点での状況と異なる可能性があります。掲載されている商品やサービスは現在は販売されていない、あるいは利用できないことがあります。あらかじめご了承ください。


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