【受け継ぐということfile2】 世界で活躍する建築家/美術家 佐野文彦


陶芸家、建築家、プロダクトデザイナー、茶人、杜氏、農家。異業種のトップランナーは、何を受け継ぎ、それをどのように未来へ引き継ごうとしているのか。職業やジャンルに関係なく共鳴するであろう、6人の価値観に迫る。

ディテールや寸法は図面だけではなく現場によって作られる

先人が愛でた数寄屋の「無駄」を、現代の空間に取り入れる

数寄屋大工として5年、独立から8年。茶室や住宅、古民家のリノベーションから店舗設計まで。案件は異なれど、数寄屋から受け継いだ感覚が、自分の個性という自覚はあります。工務店時代は、ストレートに教えてもらうことはなく、基本的に見て覚える部分が多かった。ただ、現場では、ディテールや寸法が作られていく様を目の当たりにしました。工務店が手がける物づくりは、図面には書き切れない寸法や、納まりの積み上げでできている。茶室なんて、特にそう。ディテールまで指示を入れてくる設計事務所はほとんどなかった。だから職人は、その場その場で、過去に積み上げてきた経験をもとに作り上げていく。そういう細かい部分の積み重ねが、結果として「各工務店のクオリティ」=「個性」となり、差が出ます。スープを作ってというざっくりしたオーダーに対して、勝手にものすごくおいしいスープを作ってしまうような感じでしょうか。

数寄屋の根幹にある洒脱な遊び心

昨年オープンした「ダンデライオン ・ チョコレ ー ト京都東山一念坂店」も佐野さんの手によるもの。 築 100年以上という日本家屋を、 数寄屋のディテールを用いてモダンに仕上げた。

だから、みんなも口で細かく説明しない。修業時代は、美しく納まる寸法について、じっと観察するしかなかった。あの納まりはいいなとか、自分だったらこうするなど、わからないなりに考え、先輩たちの仕事を見ながら、 数寄屋の物差しを磨く期間でした。 数寄屋は、効率という視点から眺めたら「無駄」だらけです。特徴的な意匠のひとつとして、梁と柱の丸太同士の組合せがありますが、ものすごい手間。片方の丸太を、まるで、そこから生えてきたかのように、もう一方の丸太の形に全部削り取り仕口を作る。 足元側も、石と組合せたりするので、今度は石の凸凹に合わせて削り取るわけです。 通常角材を使えば、すぐに終わる。でも、数寄屋では一つひとつの工程が大変で、柱1本を刻むだけで数日かかります。でもその「無駄」にこそ、千利休をはじめとする茶人たちが愛した遊び心が詰まっている。初期の数寄屋は、雑材を用いた小さな遊びの庵でした。

そのうち、目利きが選んだ雑“風”のいい材が広がります。例えば、ボロボロだけれど、実は「へっぺ」という雷が落ちて割れたものであったり、寺院の古材であったり。書院造りに比べると、様式も材料の組合せも自由で、「ほら、こんな面白い材料を見つけたよ」と語りたいのが数寄屋。だから、僕も、石ひとつ選ぶにしても400~500年前の太閤石を使ってみたり、木や石だけでなく、鉄板やガラスなどの異素材を組合せたりなど、材を選ぶ時点から、数寄屋らしい文法を踏襲しています。仕上げだって、鉋(かんな)で仕上げるだけがいいわけじゃない。複雑な造形が欲しければ電子制御されたルーターで削った方が、きれいな形になる。でも、それを研磨するには機械では対応できず、 人間の手でしかできない場合もある。数寄屋である、もしくは、日本建築であると言える「核」のようなメソッドをある程度分解した上で、現代の空間のコンセプトに合う要素を還元していく。それが、僕なりの数寄屋の受け継ぎ方です。

佐野文彦
1981年奈良県生まれ。 京都、 中村外ニエ務店にて数寄屋大工として弟子入り。 年季明け後、 設計車務所などを経て、 2011年独立。現場を経験したことから得た、工法や素材、寸法感覚などを活かし、コンセプトから現代における日本の文化とは何かを掘り下げ作品を製作している。 2016年には文化庁文化交流使として世界16か国を歴訪し、 各地でプロジェクトを敢行。様々な地域が持つ文化の新しい価値を作ることを目指し、建築、インテリア、プロダクト、インスタレーションなど、 国内外で領域横断的な活動を積極的に続けている。

text 浅井直子 photo Kenta Matsusaka

本記事は雑誌料理王国2019年10月号の内容を本ウェブサイト用に調整したものです。記載されている内容は2019年10月号発刊当時の情報であり、本日時点での状況と異なる可能性があります。掲載されている商品やサービスは現在は販売されていない、あるいは利用できないことがあります。あらかじめご了承ください。


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