カツオは日本列島の太平洋沿岸、黒潮流域を中心に漁獲され、古代よりたんぱく源として重要な位置を占めてきました。3世紀中頃にすでにカツオを干したり、煮てから干したりする技法が見られ、さらにその煮汁は煮つめて調味料に
用いられていました。
現在のものに近い鰹節が誕生したのは、おろしたカツオや煮たのちのカツオを燻いぶして乾燥させる焙乾法が登場した17世紀とされます。その背景には保存食として鰹節の携帯を望む兵ひよう糧りよう目的と、京都を中心とする日本料理の発展がありました。京都の上流階級や大坂・堺の裕福な商人のあいだで煮物や汁物が盛んに調理されるようになり、旨みの強い鰹節がだしの素材としてもてはやされました。こうして古来の調味料は鰹節へと引き継がれ、日本食文化の食材として確固たる地位を築いていったのです。
その後、17世紀後半から18世紀後半にかけ、焙乾法にさまざまな改良が行われました。通常の焙乾法では、燻して乾燥(燻くん乾かん)させたあとでカビに侵されやすく、腐食をうながします。そこで編みだされたのが、燻乾のあとに良性のカビを付けて乾燥させる「カビ付け」でした。良性のカビを付着させることで悪カビから守る技術です。
さらにカビ付けを2 ~ 3回以上行い、水分を節のなかから無理なく抜く製法も生まれ、高い評価を受けました。19世紀末になると、徹底した焙乾と3 ~ 5回のカビ付けを行った本枯節が生まれ、それが現在の鰹節の主流となっています。
江戸時代(18世紀中頃)の鰹節は高価であり、庶民が口にできるのは限られたときだけでしたが、鰹節の流通が発達するにつれ、庶民にも広まっていきました。流通の関係で関西地方ほど昆布が豊富でなかった関東地方では、塩、醬油、味噌に鰹節だしを加えたものが料理の基本形となったとされています。
食材だけでなく、江戸時代における上級武士や富裕層のあいだでは鰹節は縁起物として高級な贈答品でした。現在でもごくまれに、結婚式などの祝い事で鰹節の背節と腹節を贈ることがありますが、それは背節と腹節が合わせて一対であるため、夫婦円満を象徴することによります。
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日本料理アカデミー監修「日本料理大全」シリーズは経験や勘に頼るのではなく、なぜこの味が生まれるのか、どうしてこの調理法になるのか、といった根拠や科学的な理由などを学ぶことで、料理人が考え、取り入れ、オリジナルの料理を生み出す手助けとなることを目指す。 全6巻は順次発売。「だしを学ぶ」は、第2巻「だしとうま味、調味料」から一部を抜粋し、二宮くみ子氏、川崎寛也氏の文章をもとに再構成して紹介しました。
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