日本にパスタがやってきたのは明治時代といわれている。それから100年以上。イタリア料理の人気と重なり、さまざまなスタイルのパスタがレストランを華やかに彩っている。
マカロニからはじまり、和風パスタ、そして現代風パスタまで。パスタの個性が花開く“今”のスタイルができあがるパスタの変遷をお届けする。
パスタは「マカロニ」として紹介
仮名垣魯文が書いた『西洋料理通』に「そうめん」の文字。これはマカロニをさしていたという。ほかにも「うどん」などとも訳され、パスタっぽいものをすべてマカロニと記していた。
トマトケチャップの製造開始
もっともポピュラーなパスタソースといえばトマトソース。日本での“トマトソース”はケチャップのイメージから広がっていった。日本初のトマトケチャップはカゴメが1908(明治41)年に発売。それがスパゲッティのトマト炒め、ナポリタンへとつながり、トマトの水煮缶を使った本格的なトマトソースが使われたのはずっとあとのこと。
「スパゲッティ・ナポリタン」登場
ナポリタンの発祥に関してはいろいろいわれている。ただ、ナポリタンの日本でのスタートは終戦後、アメリカに占領されていた時代に遡ることには間違いなさそうだ。アメリカ人がスパゲッティのケチャップ炒めを食べていたのを見たからだという。「横浜 ホテルニューグランド」説はそこがGHQの将校の宿舎として使われていて、そのケチャップ炒めを見た当時の料理長がトマトソースを使って洗練されたものにしたというもの。そのままのケチャップ炒めを提供したのは同じ横浜の洋食店「センターグリル」という説が有力。
和風スパゲッティが人気
1952(昭和27)年、新橋に「壁の穴」の前進「Hole in the Wall」開店。渋谷に移転し「壁の穴」となり、「タラコ」「アサリとしめじ」「お新香納豆」など和風スパゲッティを次々世に出し、ブームとなる。当時は「そば」「うどん」を食べる感覚で、箸を使い、ズルズル音をたてて食べる人が多かった。
国産パスタの普及
日本製粉が「オーマイブランド」、日清製粉が「マ・ マーマカロニ(当時、日本マカロニ)」を販売。家庭料理にパスタが浸透していく。お弁当にスパゲッティが入っていることも。
ヌーヴェル・キュイジーヌの台頭
フランスで、従来のフランス料理にとらわれず、バターやクリームに頼るばかりではなく素材を生かし、体にもやさしく美しい「新しいフランス料理」という意識が台頭する。
ヌオーヴァ・クチーナの台頭
ヌーヴェル・キュイジーヌの流れを受け、イタリアでも従来のイタリア料理にとらわれない、「新しいイタリア料理」の意識が台頭する。
「デューラム・セモリナ」「ホールトマト」の認知
1980 年代になると海外旅行に出かける人が増え、「本場」を知るように。また、本格的なイタリア料理店も増え、日本人のパスタの好みも変わり、「デューラム・セモリナ100%」国産パスタも求められるようになった。イタリア産のホールトマトも一般化。
イタリア直輸入の食材
貿易の自由化を受けてイタリアから食材が輸入されるようになった。本場のパスタに不可欠なパスタ、オリーブオイル、瓶詰、肉加工品なども高級スーパーマーケットやデパートに並び始めた。
スローフード運動
ファストフードに対抗しようと1980 年代に生まれた。作り手とのつながりを大切にし、「食べること」のあり方を見直す。伝統的な製法のパスタや、イタリアの豊かな郷土色の魅力が改めて注目された。
「ゆでたて」「アルデンテ」の認知
イタリアで修業する料理人の増加
「生パスタ」の認知
イタリア料理ブーム(イタメシ)
スペインガストロノミーの席捲
スペインガストロノミーが流行し、世界的に芸術的な料理に注目が集まった。その影響を受けたと思われるパスタ料理も登場。
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カゴメ株式会社/株式会社ニップンインターナショナル/日本製粉株式会社/バリラジャパン株式会社
本記事は雑誌料理王国2020年8・9月号の内容を本ウェブサイト用に調整したものです。記載されている内容は2020年8・9月号発刊当時の情報であり、本日時点での状況と異なる可能性があります。掲載されている商品やサービスは現在は販売されていない、あるいは利用できないことがあります。あらかじめご了承ください。