古関さんのオリジナリティのルール
●いつ人と出会ってもいいように身だしなみを整える
●自分だけのジャンルを見つけ、挑み続ける
●看板商品は、来店しないと買えないようにする
コンロひとつ、水場もひとつの狭少空間。「銀座かずや」の店主、古関一哉さんは、早朝6時から、ひとりで「かずやの煉」の仕込みをしている。泡だて器を動かす微かな音が、冷えたステンレスの台を震わせている。銀座のビルの8階とは思えない、 静謐な空気。消費期限が2日しかない生菓子を買いに、関東以外からも、お客がビルの一角にある小さな店を目指してやってくる。看板商品の「かずやの煉」は、前日には必ず予約で埋まってしまう。雨の日でも、キャンセル分がないかと覗きにくる人が絶えない。次に商品を受け取るまで、平均して3週間かかることを、馴染みの客は知っている。
「銀座かずや」には、製造を委託している煉り菓子もあるのに、「かずやの煉」だけは、創業以来16年、毎日古関さんが練り上げる。たった1坪の店と、八畳の厨房で、「かずやの煉」の味を守り続けている。一度ならず、何度でも誰かに食べさせたいと、繰り返し人を熱望させる求心力は、どこからやってくるのだろう。
白衣を着た古関さんが、厳しい表情で湯気の上がる鍋を見つめている。鍋の中身は葛くず粉、蕨わらび粉、牛乳など。ゴムべらで大きく撹拌しながら、タイマーの数字を睨み、細やかに火力調節をする。水の流れに棹差すように、ゆるやかに動かしていた手は、生地に熱が入ると次第に重くなっていく。一瞬でも手を止めると、白くもっちりした生地が鍋底に焦げついて、後に入れる抹茶の香りが濁ってしまう。餅のような艶が出てくると、両手でゴムべらを握り、生地を持ち上げては叩きつける。息が詰まるような緊張感が、およそ15分間続く。火を止め、水で溶いた抹茶を、シノワの上から注いでいく。再びとろ火にかけて、若草色になった生地を練り上げ、流しかんに流し、冷却する。
厨房を離れると、古関さんはいつもの穏やかな表情に戻った。
「翌日までもっちりとした葛の食感を保つ生地の配合に、2年かかりました。その日の気温、湿度に合わせて火加減、水加減を調整しているので、まだ完成というものはありません」「煉」という名前には、「煉り菓子」という未開のジャンルに挑む、古関さんの思いが込められている。「自分にしかできない仕事をやりたいと思い続けて、辿りついた仕事です。いつかは、『空也と言えばもなか』と言われるように、『煉り菓子と言えば、かずや』と思ってもらいたい」
作る職人も、食べる人も伝統商品を好む和菓子の世界では、新商品が生まれにくい。その中で古関さんは、自分だけのジャンルで戦い、これまでの常識を覆そうとしている。古関さんが店を開いたのは13年前。最初は日本料理の板前として、銀座で働いていたとき、その店が閉じている昼間に、店を借りて始めた。「銀座は、『栄養』のある街だと思っています」人との出会いが多く、刺激がある。板前時代に、尊敬するオーナーから「人は見た目が大切だよ」と言われ、服装に気をつけるようになった。
洗練された人々との出会い、期待の声が励みになった。だが、同時に、板前として辛い仕事を続けることに葛藤が生まれた。「仕事への姿勢に迷いがあり、店を辞めて修業に出た先が、軽井沢の蕎麦屋でした。店の親方が良い人で、『なんでも覚えて行け。好きに色々やってみろ』と言ってくれて。その言葉で、目の前が開けました」銀座で、「古関一哉」でなければ作れないものを作る。辛い経験を成長する糧に変えてくれたのが、銀座の空気だった。「経験の点と点がつながって、今がある。無駄なものはひとつもなかった」。
育ててくれた街で、古関さんは日々挑み続ける。
text by CUISINE KINGDOM photos by Ichiro Nakanishi
本記事は雑誌料理王国2018年7月号の内容を本ウェブサイト用に調整したものです。記載されている内容は2018年7月号発刊当時の情報であり、本日時点での状況と異なる可能性があります。掲載されている商品やサービスは現在は販売されていない、あるいは利用できないことがあります。あらかじめご了承ください。