プラントベースの進展を見据えるために、まず古代から現代まで、日本の食習慣を駆け足で検証してみたい。
最初の肉食禁止令は、飛鳥時代の675年。これ以降、平安時代まで殺生・肉食禁止令が繰り返し出された。鎌倉時代は狩猟が盛んに行われたが、一方で禅宗の精進料理が中国から伝わり、ここから懐石と本膳料理に発展した。
肉食を忌み嫌う意識がもっとも強まったのは、江戸時代。米を基盤とする経済システムが確立し、一人が1年で消費する量とされた米1石(150㎏)は、ざっと現代人の3倍量だ。庶民はもっぱら雑穀や麦を混ぜた「かて飯」を、野菜と大豆食品中心に少しの魚介のおかずでかっこんだ。つまり、日本の伝統食は穀物主体のプラントベースで、「大飯食い」が基本だった。
明治維新は、政治体制だけでなく、食のシステムも劇変させた。西洋人に比べて見劣りのする日本人の体格に危機感を抱いた新政府は食の西洋化を国策に掲げ、肉食を強力に推進。肉を食べれば、体と頭の働きが活発になり、不治の病が治り、不老長寿が得られると説かれたのだから笑ってしまうが、国のリーダーたちは真剣だった。
行きすぎた肉食礼賛に物申す書、『化学的食養長寿論』が登場したのは、1896年(明治29)。日清戦争の翌年だった。著者の石塚左玄は、陸軍少将薬剤監を務めたエリート。人間は元来、穀菜食動物であり、ましてや日本の風土には不向きな肉を食べる必要はない。玄米と野菜中心の正しい食事で体質を改善すれば、すべての病気は治ると主張した。左玄の食養運動から生まれたのがマクロビオティックで、そのほかにも菜食ベースの健康法や食事療法には食養をルーツに持つものが多い。
以来「菜食と肉食どちらが体によいか問題」が、長い論争の的になった。世界的細菌学者の二木謙三は、明治期から玄米菜食論者としても有名で、社会に大きな影響を与えた。日本初のグルメ小説『食道楽』を書いたジャーナリスト、村井弦斎は天然食(植物やキノコ類が中心)だけを生のまま食べて暮らすという実験をし、ルポを発表した。弦斎を過激な実験に駆り立てたのは、人類の敵である病気と、未来に大敵となるだろう異常気象に対する脅威だった。今日の新型コロナウイルス感染症や地球温暖化を見通すような先見性である。
大正時代からは、食べ物からエネルギーと栄養素を合理的に摂取し、健康増進をはかるという考え方が広まった。しかし、戦争がはじまると、食文化自体が大きなダメージを受けた。「ぜいたくは敵だ!」のスローガンのもと、真っ先に標的になったのが肉で、1941年(昭和16)から全国で「肉なしデー」が実施された。戦後を含めて通算7、8年間、肉は店頭から姿を消し、米の配給量も少なくイモを食べられれば上々。代用食で飢えをしのいだ戦時の食事はほぼ100%植物性だったが、そんな栄養価無視のプラントベースはたまったものではない。
戦後の食料難は戦中よりさらに深刻で、少ない総摂取カロリーのうち、9割程度をでんぷん質が占めた。餓死者も続出したその頃、栄養改善運動がスタートした。アメリカの食生活をモデルに、炭水化物の比率を減らし、たんぱく質、脂質、ビタミンとミネラル類の量を増やして健康増進をはかろうというものだ。
あらゆる食料が足りなかった当時、欠乏を補う新食品の開発が盛んに行われた。健康食の第1号が青汁。医学博士の遠藤仁郎が、緑葉食青汁運動をはじめたのは1949年。5年後にはケールの種子をアメリカから取り寄せて無農薬大量栽培に成功し、やがてケール青汁は全国に普及した。いまやプラントベースの花形野菜のケールに着目した先見の明に感嘆する。
50年代に「夢の人造食料」として期待されたのが、単細胞緑藻類のクロレラ。驚異的な速度で増殖し、たんぱく質40 ~50%、脂質10 ~30%、植物性たんぱく質食品では賄えない必須アミノ酸を含み、ビタミン類はきわめて豊富というスーパーフードだったが、工業化にはコスト面で問題があり、生産計画は頓挫した。石炭と石油から人造たんぱく質を生産するプロジェクトが立ち上がるなど、時代は科学万能主義だった。現在のフードテックの先駆けである。
だが、めざましい経済成長を遂げた60年代、潮目はがらりと変わる。食と農の工業化が進んで食料不足は解消されたが、大量に使われた食品添加物と農薬、化学肥料が健康被害をもたらし、公害病と食品公害、環境汚染が社会問題になった。急速に高まったのが、自然=善、人口=悪という意識だ。
第1次自然食ブームがはじまったのが、 60年代後半。食品に対する不安感・危機感から、70年代には食べ物の付加価値の上位に「健康」が置かれるようになり、自然食の信奉者ならずとも日本食を見直す気運が高まった。自然食は着実に浸透し、グルメブームが起こった80年代からは「ヘルシー&ナチュラル」が一大トレンドになった。
1991年からはじまるバブル崩壊、93年の大凶作のあとに起こったのが、「粗食」の大ブームだった。食養のリバイバルで、主食は玄米または未精製の米か雑穀を味噌汁、漬物と一緒にたっぷり、おかかずずはは季季節の野菜を主体に、動物性食品は魚介か卵を少しだけ摂れば、健康でスマートになり、長生きできるというものだ。雑誌や書籍がこぞって特集し、影響力は長く続いた。
集団食中毒や食品偽装、BSEや鶏インフルエンザ発生など、事件が立て続けだった2000年代は、食の安全性に対する危機感が大きくふくらんだ時期。寒天、納豆、ココア、赤ワイン、ゴマ、ウコン……、「これさえ食べれば(飲めば)健康になる」万能食品が次々と出現した病的なまでの健康ブームは危機感の表れで、大半が植物性だった。完全榖菜食のマクロビオティックが注目されたのも、この頃である。
ところが、粗食やダイエット志向などから、血液中のたんぱく質が不足する「新型栄養失調」が問題視されるようになった。動物性たんぱく質の摂取量を増やす栄養指導が官民で行われ、2013年前後から今度は肉ブームが起こった。背景には、糖質制限ダイエットの流行がある。
「空前」と呼びたい肉ブームに待ったをかけたのが、プラントベースの台頭。いままでと違うのは、自分の健康だけでなく、地球の健康にも役立つところだ。日清戦争後の食養運動にはじまり、危機のあとには必ず菜食がやってきた。コロナの時代のプラントベースは、タイミング的にもしっくりくる。
課題は、たんぱく質をどう補填するかだ。いきおい、大豆に需要が集中するだろう。大豆ミートは味もよいし、もともと大豆食品に慣れた日本では、健康志向の高い人、環境保護と動物福祉の意識が高い人、どちらも受け入れやすい。問題は、大豆の国内消費の93%(2019年度)を輸入に頼っていることだ。今後、プラントベースが伸長し、世界中が大豆を買い漁るようになったら、日本は買い負けるかもしれない。
人間が経済活動をするほど自然環境が悪化し、激甚災害や未知のウイルスに脅かされることを身をもって実感している現在、テクノロジーを駆使した食品に否定的な人は以前より減るだろう。主流にならないまでも、代替肉は選択肢のひとつとして定着するはずだ。
しかし、日本には豊富な植物資源がある。種苗法改正法案でにわかに注目されたように、米を含めた日本の穀物、野菜、果物の品種の豊富さ、品質の高さは、世界のトップクラスだ。コロナを機に食料の国内生産、国内供給が進むことが期待されるいまこそ、日本の植物の多様性をもっと掘り下げて活用することが、地産地消のプラントベースフードとして豊かで魅力的に輝かせるのではないだろうか。
文・畑中三応子
1958年生まれ。編集者・食文化研究家。編集プロダクション「オフィスSNOW」代表。『シェフ・シリーズ』と『暮しの設計』(ともに中央公論新社)編集長を経て、プロ向けの専門技術書から超初心者向けのレシピブックまで幅広く料理本を手がけ、近現代の流行食を研究・執筆。第3回「食生活ジャーナリスト大賞」ジャーナリズム部門の大賞を受賞。著書に『<メイド・イン・ジャパン>の食文化史』『カリスマフード ―― 肉・乳・米と日本人』(春秋社)、『ファッションフード、あります。―― はやりの食べ物クロニクル 1970-2010』(紀伊國屋書店/ちくま文庫)、『体にいい食べ物はなぜコロコロと変わるのか』(ベスト新書)、『ミュージアム・レストランガイド』(朝日新聞出版)、など――。
illustration かけひろみ
本記事は雑誌料理王国312号(2020年10月号)の内容を本ウェブサイト用に調整したものです。記載されている内容は 312号 発刊当時の情報であり、本日時点での状況と異なる可能性があります。掲載されている商品やサービスは現在は販売されていない、あるいは利用できないことがあります。あらかじめご了承ください。