今まで多くの料理人の取材をしてきて、普段は入ることの出来ない厨房でも撮影させていただきました。その時に必ずシェフ達に包丁を見せていただき,何故この包丁を使っているのかを必ずお聞きします。
一流料理人はご自身がお使いの包丁に対しての思い入れや手入れ法を聞くのは楽しみでもあります。何十年も使い込んで最初は30㎝以上有った刃が10㎝になっても使用されているものを見ると感動すら覚えます。このすり減った歴史が多くの美味しい料理を作ってきたのだと。
もうひとつ包丁の相棒ともいえるまな板も拝見します。まな板に関しては圧倒的に日本料理の料理人に軍配が上がります。板前割烹の板前は読んで字のごとく板(まな板)を指しますが、柳刃で鯛などをすっと捌いている姿には惚れ惚れして自分もこんな技術を持ちたいものだと思う次第です。
さて、ここからが本題ですが、包丁が切れなくなる最大の要因はまな板にあるのです。包丁が食材を切断する際に刃がまな板に食い込んだ時に刃が潰れるからで、言い換えるとまな板の硬過ぎず、柔らか過ぎず塩梅の良さは包丁と相思相愛なのです。どんな包丁使いの名人でもガラスやステンレスのまな板ではきれいに切ることはできません。
日本では調理する時にまな板を使うことは当たり前ですが、海外(特にヨーロッパ等)ではまな板を使わずに、直接食材を片手で持ち包丁(ナイフ)を中空で切って直接鍋に投入するのは一般的です。じゃ、まな板が無いかといえばそうではなく、大理石やカッティングボード等も使いますが、まな板の使い方とは随分違います。
この理由のひとつは最終的に食卓での食事法の違いでもあります。
西洋では各自銘々ナイフとフォークで皿の料理を切り分けて食べますが、日本では箸を使って食べるので事前に食べやすい大きさに切っておきます。以前ある料理人の方から「適当に切るというのは、口には入る一口大のこと」と教わったことがありました。
つまりまな板は「箸文化圏」で発達したものなのです。
「まな板」は弥生時代から使われており、魚(さかな)のことを「魚=な」と言いこれに接頭語の「ま」を付けて「まな(真魚あるいは真菜)」で「まな板」になったという説があります。別な当て字では「俎板」という字もありますが、これは供物として食物分配することにも用いられ「包丁式」という神事では右手に包丁左手に「まな箸」という六、七寸の鉄の長い箸を使い食材には直に手を触れない調理法です。
これは人々が生贄と交換に神の力で豊なみのりを得ようとする儀式で、神に捧げる神聖な生贄を料理する際に人の手で穢さないという理由なのです。しかし、時代を経てまな箸は廃れて包丁とまな板だけになり三角関係は解消されました。
まな板は基本的に木の板であることは変わらず、変化の乏しい調理器具ですが、現在のように立って作業でいない時代にはまな板は直接地面につけて使うので脚の付いたまな板は一般的でさらに魚を捌く時に血が下に流れ落ちるかまぼこ型に盛り上がったものもありました。
和包丁のような鋼の鍛造包丁は繊細な切れ味で固い食材を切ると刃こぼれしやすくなるので適度な食い込みと硬さに抗菌作用も高い銀杏のようなまな板が最適といわれていますが、プロは檜や朴(ほお)、柳、橡(とち),桂など好みで使いわけるようです。
また、家庭用と違い大きな板(120㎝×50㎝)で厚さも相当ありますが、25㎝有っても頻繁にメンテナンスのために鉋をかけるので使い込んで3㎝位まで薄くなるのだと。しかし、家庭では木のまな板が良いと思っていても扱いが難しくゴムやエラストマー樹脂まな板が抗菌性や木のまな板と比較して扱い易く普及度はこちらの方が高い。
ちなみにわが家では大小のエラストマー樹脂のまな板に銀杏のまな板と様々な材質でデザインの違うカッティングボードを使い分けています。しかし、問題は銀杏のまな板で、表面が刃の跡でボロボロです。鉋で削れば良いのですが、鉋をかける技術も、いや、鉋自体持っていないのでいっそ買い替えるか思案中です。
後藤晴彦(お手伝いハルコ)
アートディレクター、出版プロデューサー、おいしく工学主催(食文化研究家)
岩手県産業創造アドバイザー、にんにく研究所主席研究員、京都「浜作」顧問、
貝印家庭用品アドバイザー
「家庭画報」で料理ページのデザインを担当し料理に関心をもつ。
フランス、イタリア、スペインなどテーマを決めて食べ歩きを10年ほど続けるが日本料理も探求すべく京都に通う。
その間に脳梗塞になったが、奇跡的に回復し料理と健康医学のテーマに取り込むことになる。また、調理器具開発も手掛け、野崎洋光氏や脇屋友詞氏などの商品プロダクトをする。著書「包丁の使い方とカッテング」「街場の料理の鉄人」「お手伝いハルコの懐かしごはん」など。
「お手伝いハルコ」のキャラクターで雑誌の連載やコラムの執筆活動をしている。