凱旋門から北東に400メートル。パリで6軒のみ、五ツ星の上をいく“パラス”ランクのホテル「ル・ロワイヤル・モンソー ラッフルズパリ」は、2010年にはフランス人デザイナー、フィリップ・スタルクによって全面改装された。総料理長のローラン・アンドレ氏は、このリニューアルオープンの2年後、ホテル内のフランス料理店「ラ・キュイジーヌ」と、イタリア料理店「イル・カルパッチョ」を、同時にミシュラン一ツ星へと導いた。料理人として、また、大型ホテルのリーダーとして多忙な日々を送るアンドレ氏に、成功のポイント等を聞いた。
――リニューアルと同時に総料理長に就任されましたが、その時から「星」を意識されていたのですか?
その意識は、ふたつのレストランのシェフはもちろん、スタッフ全員にあったと思いますよ。とくに「イル・カルパッチョ」は、改装前に一ツ星を獲得していながら、リノベーションによってそれを失うことになった。しかも1年ではそれを奪還することができなかった……。2年を経て一ツ星に返り咲くまでのシェフのプレッシャーは、相当なものだったと思います。
――プレッシャーを乗り越えて、ふたつのレストランが同時に星を獲得した秘訣はなんだと思いますか?
ホテルのレストランでは、なによりチームワークが大切です。それを育てるために、毎日、あらゆる場面で話し合いを欠かさなかったことでしょう。話し合うことでスタッフの心に触れて、パッションを引き出すことができた。たとえ、どんなに突出した才能の人がいたとしても、ひとりでがんばれる範囲は限られる。
全員が力を合わせなければ、次のステージには行けない、というのがホテル内レストランの鉄則です。それには、スタッフひとりひとりがモチベーションを保つことが必須です。
――具体的には、どのようなアドバイスをされたのですか?
すべてのスタッフに「今、自分ができることに集中しなさい」と言って徹底させました。ただし、一方的に命令するのではなく、情熱と興味を持てる方向に導くことも必要だと思っています。
とくにシェフや調理スタッフには、メニューを決めるうえで、旬の素材の味わいや香りを十二分に生かした料理を心がけるように指導しました。実際、ミシュラン一ツ星に認定されるに当たり、4回ほど調査員が来ましたが、彼らがもっとも重視していたのは、料理に季節感が反映されているかという点。最近は、パリでも季節に関係なくあらゆる食材が手に入るので、季節に対する認識が薄れつつあり、あえて時期外れの食材を注文するゲストも少なくありません。
けれども、野菜にしても果物にしても、どんなに技術を駆使しても、ベストシーズンの食材のおいしさには敵わないと思います。
――驚きや意外性を優先させたテクニック重視の料理は、これからは評価されないということですか?
ええ、ここ5年くらいは、最新機器などを用いたエンターテイメント性のある料理がもてはやされてきました。しかし、今後は原点回帰というか、「旬の最高の食材を使って、それを生かす料理に仕上げる」というのが、ガストロノミーのあり方と考えるシェフが増えているようです。
――ホテルでのキャリアが長くなりましたが、もともと料理の修業をなさったのは、個人経営のレストランですよね。
最初の師と呼べるのはアラン・シャペルさんです。食材の活かし方を徹底的に仕込まれました。シャペルさんは毎朝市場に出掛けて食材を仕入れてくるのですが、その日に使う食材は、戻ってこないとわからない。それが午前9時頃です。それからスタッフに食材が振り分けられて、それをどう調理するか、12時のランチタイムまでに決めて準備を進めなければならないので、技だけでなくスピードも要求されました。
――シャペルさんのもとで働きたい人は大勢いたでしょうし、競争も激しかったのでしょうね。
修業は賄い料理を作ることから始まりました。毎日毎日、スタッフの食事を作り続けて、その味が認められると、ようやくシャペルさんの関心が自分に向けられる。「これは誰が作ったのか?」って。そこではじめてレストランで出す料理にかかわることができるのです。
――どのくらいの間、賄い料理を作り続けたのですか?
3週間です。
――3週間なら、かなり短い「下積み生活」といえるのでは?
いえ、早く次の段階に進みたくてうずうずしていました。もっとも、その後、アラン・デュカスさんの店で3カ月間、毎日パセリを洗い続けたことに比べれば、修業のうちに入らないかもしれませんが(笑)。
――シャペル氏が亡くなって、デュカス氏の店に行かれたんですね。
1990年にシャペルさんが52歳で亡くなった後も、1年間は彼の店で働いていたのですが、当時、最年少の三ツ星シェフとして注目されていたデュカスさんの店でも経験を積みたいと思い、リヨン郊外の村からモナコへ行ったのです。ところが厨房で与えられた仕事といったら、ひたすらパセリを洗うこと。それが3カ月も続いたんです。
――辞めようとは思わなかった?
ほとんどの人は2週間で辞めていきましたよ。僕は辞めようとは思わなかった。デュカスさんのもとで働きたいという気持ちが、それほど強かった。思い返してみると彼は、単純作業にどこまで耐えられるか、私のやる気を試していたのでしょう。3カ月が過ぎると、今までがうそだったように、いろいろな仕事のチャンスが与えられました。
――デュカスさんのもとを訪ねることで、その後、インターコンチネンタル香港の「スプーン・バイ・アラン・デュカス」のオープニングを任され、さらにインターコンチネンタル香港の総料理長に抜擢されて、現在へとつながっていくわけですね。
そうです。でも、今でもあまりに忙しいと、20席ぐらいのレストランのシェフに戻りたいなぁと思う時がありますよ。よく「どうして太らないの?」と聞かれるけど、それはホテルを歩き回っているから。機会があれば万歩計を付けて、1日にどれほど歩いているか、その結果を人に見せたいくらいですよ(笑)。
――成功の秘訣として「総料理長が動き回る」も挙げられそう(笑)。
そうかもしれません。最近、季節の食材を使った特別メニューを始めたので、もっと頻繁にお客様の前に出て、料理の説明をしたいとも考えています。そのほかにも、「メンタリティを鍛える」「人の意見を受け入れる」「ゲストに対する鋭い観察力と心配り」など、いろいろなことが成功の条件に挙げられます。
――そんなアンドレさんの目に、日本のホテルレストランのスタッフは、どのように映っていますか?
技術面の優秀さだけでなく、非常に行き届いた心配りには、来日のたびに感心させられます。これまで日本では帝国ホテルを中心に計5回のフェアをやりました。帝国ホテルのスタッフは、誰もが私との信頼関係を築こうと努力してくれます。私は、日本以外の国でもフェアを行っていますから、よけいに日本の一流ホテルにおけるスタッフのチームワークのよさが実感できるのです。
――来日の際には、アンドレさんのスタッフを連れていらっしゃるとうかがっています。
ええ、その理由のひとつに、日本のチームワークのよさを学んでほしいという思いがあります。また、日本では、ゲストが料理人のモチベーションを上げてくれる。私たちの料理に心からの賛辞と感謝を示してくれる。これは料理人にとって、とても嬉しいこと。こうしたゲストに囲まれた日本のシェフたちを羨ましく思うこともあります。
アラン・シャペル氏に師事後、モナコの「ルイ・キャーンズ」をはじめ、数々のアラン・デュカス系ミシュラン三ツ星店で経験を積む。ロンドンと香港の「スプーン・バイ・アラン・デュカス」のオープニングを任された後、インターコンチネンタル香港総料理長に。
2010年、「ル・ロワイヤル・モンソー ラッフルズ パリ」の総料理長に就任した。
ラ ブラスリー
La Brasserie
東京都千代田区内幸町1-1-1 帝国ホテルタワーB1F
☎03-3539-8073
●11:30~14:30(LO) 17:30~21:30(LO)
www.imperialhotel.co.jp
ル・ロワイヤル・モンソー
ラッフルズ パリ
Le Royal Monceau Raffles Paris
37 avenue Hoche, 75008 Paris
☎+33 (0) 1 42 99 88 00
●「 ラ・キュイジーヌ」のコース
昼58€~ 夜98€~
www.raffles.com/paris
www.leroyalmonceau.com
日本での予約・問い合わせ先
リーディングホテルズ
0120-086230
上村久留美=取材、文 星野泰孝=撮影
本記事は雑誌料理王国237号の内容を本ウェブサイト用に調整したものです。記載されている内容は237号発刊当時の情報であり、本日時点での状況と異なる可能性があります。掲載されている商品やサービスは現在は販売されていない、あるいは利用できないことがあります。あらかじめご了承ください。