「家業を受け継ぐ」「先輩のあとを継ぐ」など、多くの人が何かを受け継いで生きていて、私もそのひとりに違いない。では、私は何を受け継いだのか、そして受け継ぐとは一体どういうことなのか――。
私の生家は青森県のむつ市ある洋菓子店で、私が高校卒業後の進路を「パティシエ」に絞ると、ケーキ職人の父は、祖父の時代に遡って仕事の話をしてくれた。
祖父の仕事は彫金で、洋菓子店を営むようになったのは父の代から。彫金師とケーキ職人の親子というと、共通点に乏しいように思えるが、父の発想力や器用さは祖父譲りだ。
彫金師として地道に仕事を続けていた祖父だったが、やがて戦争が激化すると、彫金から兵器作りへと仕事を変えたという。
そんな祖父の姿を見て育った父が選んだのが、和菓子やパンなどを作って販売する仕事。戦後の食べ物のない時代を生き延びるためだった。四季折々の神事のために着物を着てお寺などを訪ね、檀家の法事用にお茶菓子の注文を受けて回る父の存在は重宝され、需要も多かった。しかし時代は移り、和菓子よりもバタークリームのほうが好まれるようになって、洋菓子の市場が拡大していく。仕事が時代の波にのまれそうになった時、父がとった行動は、ケーキを作るための講習会で一からケーキ作りを学び、和菓子と一緒に、ケーキも作って販売することだった。
父からこの一連の話を聞かされた時、単にモノを作って売るというのではなく、つねに時代を意識したもの作りに徹するという点で、祖父と父は似ていると思った。
そして三代目に当たる私はというと、幼い時分から体が弱く、学校も休みがちだった。小学校の運動会には一度も参加したことがない。そんな自分を変えたいと始めたスポーツがきっかけで徐々に健康になり、高校を卒業する頃には、人並みに競技者として、多くのライバルたちと競い合えるまでになっていた。
進路選択の段階では専門学校や大学への進学も考えたが、実家の経営状態からすると、自分がパティシエをめざして働くのが妥当と判断した。
だが、修業に入ると最初は思うように指が動かない。「スポーツマンの節くれだった指ではパティシエの仕事ができない……」と思ったこともあったが、器用さのDNAは祖父から私にも受け継がれたようで、間もなく指がスムーズに動くようになり、繊細な作業も難なくこなせるようになった。私は小さい頃から絵を描くのが好きで、テーブルを作ったり、壊れた家具を直したり、今でいうDIYのようなことを、習わずともすることができた。体が弱かった頃、室内でプラモデル作りの細かな作業に没頭した時の感覚も蘇ってきた。
また、意外にもスポーツで培った忍耐力と勝つことへのこだわりが、修業時代の支えになった。スポーツで「強くなりたいと練習に励むこと」は、料理では「仕事のスピードを上げて、技術やセンスを磨くこと」に匹敵するように思える。スポーツの「勝利へのこだわり」を料理の世界に置き換えると、「メニューやスケジュールを考えて効率よくこなし、お客さまを喜ばせること」になるだろう。
さらにスポーツの影響で、私の意識の中には「技術を身に付けるためには肉体的トレーニングが不可欠」ということも擦り込まれた。トレーニングがどんなにつらくても、そのプロセスから生み出されるものが明確にインプットされていたので、耐えられたのだ。だから、料理の世界に入り、先輩から過度のプレッシャーをかけられても乗り越えることができた。しっかりトレーニングをすれば、必ず結果を出せることをすでに体験済みだったからだ。運動部のハードな練習の肉体的苦しみに比べたら、その程度のプレッシャーなど、さほど苦にならなかったともいえる。
ここで話を戻し、改めて「受け継ぐ」ということを考えてみたい。
私は、祖父や父親から何を受け継いだのか。
それは意識や思想のようなものではないかと思う。
祖父と父親では、生きた時代も仕事も異なる。しかし、祖父が戦時中に彫金から兵器作りに転向したことと、父が和菓子職人でありながらケーキを作るようになったことには共通点がある。つまり、自分が生きている時代と向き合い、その流れを読み解き、何が必要なのか、何に価値を置くべきかを見出すということだ。特に私と同じお菓子の世界を生きてきた父の意識と思想、たとえば和菓子職人でありながら、バターや卵を泡立ててケーキ作りに挑戦した前向きな姿勢を受け継いでいるという自負が、私にはある。
私は子どもの頃から、スポーツでもなんでも、ルールやシステムなどの理解に熱心だった。これをパティシエの仕事に置き換えると、菓子店がどうやって成り立っているのか、ルセットを科学的に分析したり、材料の発注や支払い、人件費はどうなっているのかを常に考えること。また、オーブンなどの機械の効率よい使い方などについても分析するということになるだろう。こうした視点も父から受
け継いだと思う。
もし、「受け継ぐ」という言葉に、「技術を体得して、プロダクトを作れるようになる」という意味しか含まれていないとするならば、私の場合、特に祖父からは、何も受け継いでいないことになってしまう。そうではなくて、受け継ぐとは、自分が生きていくうえで、時代に即した自分ならではのオリジナリティ溢れるプロダクトを生み出すために、先人たちの意識や思想を受け継ぐことではない
だろうか――。
今、料理の世界で生きること、修業を続けることは決して楽ではないが、もし、自分が生きてきた過程の中に、トレーニングをして何かを克服したというシチュエーションがあれば、その記憶を思い起こして今の仕事に十二分に活かしてほしい。
そのような経験がない人の場合は、今の環境の中で、自らそうしたシチュエーションを作って克服していってほしいと思う。努力を続けることで、仕事の技術やスピードが身に付いていくはずだ。ただし、リスペクトするシェフのもとで技術をマスターしても、受け継いだことにはならない。それを念押ししておく必要があるだろう。それでは単なるコピーに過ぎないからだ。
先人たちから、時代を感じ取る力やオリジナルにこだわる意識や思想を受け継ぐことが、本当の意味で、受け継ぐということだと思う。だから私は、一代目よりも二代目のほうができることが多く、三代目はさらに多くを生み出さなければならないということを自分に課している。そしてうちのスタッフたちにも、そういう気持ちで私から何かを受け継いでくれることを願っている。
KAZUTOSHI NARITA
1967年、青森県生まれ。高校時代はスキー部とボート部で活躍するスポーツ少年だったが、卒業後はシェフパティシエの道へ。1999年に渡仏。一ツ星店「ステラ・マリス」、三ツ星店「エノテカ・ピンキオーリ」「ピエール・エルメ・パリ」などの名店で腕を磨く。NYの「ラトリエ・ドゥ・ジョ
エル・ロブション」時代の2007年に、パンとデザート部門でBest of New York に選ばれる。17年には、「アジアのベストレストラン50」の「アジアのベストパティシエ賞」を獲得。現在、「エスキス」「アジル」「エスキスサンク」のシェフパティシエとして活躍中。
本記事は雑誌料理王国282号の内容を本ウェブサイト用に調整したものです。記載されている内容は282号発刊当時の情報であり、本日時点での状況と異なる可能性があります。掲載されている商品やサービスは現在は販売されていない、あるいは利用できないことがあります。あらかじめご了承ください。