「エスニック」の世界に異変が起きている。
バンコクで小さなポーションで地方料理を様々に提供する「ナーム」がアジアのベストレストランで一位となったのは、2014年のこと。近年、アジアのスパイスを使った料理は注目を集めてきた。
例えば、元々は辛みがあまり得意でない人が多いヨーロッパ人だが、パスカル・バルボ氏の「ラストランス」ではインドネシアのスパイシーサテソースが、クリストフ・プレ氏の「クラランス」ではXO醤、エレーヌ・ダローズ氏の「マルサン」ではメキシコのモレソースというように、辛みの要素が使われるようになってきた。「辛み」や「スパイス」は、新たな食の注目要素となりつつあると言えるだろう。
そんな中、日本の食材を使い、タイのアクセントを加えた店が、この4月に移転オープンした。去年銀座にオープンした「美会(びあ)」だ。
90年代のエスニックブーム以降、日本にはタイ料理の選択肢は数多い。しかし、洗練された、デートや接待に使える「モダンタイ料理」はなかなかなかったのではないか。
オーナーの「ビア」こと、チャロンパーニッチ・ビーラゲートさんは、タイから留学生として14年前に来日、日本の食の美味しさに魅了され、そのまま日本に留まり、フーディとして知られていた。美食好きが高じ、去年「美会」を開店、「自分が一番好きな料理、日本料理にタイのアクセントを加えた料理の店を出したい」と語る。
訪れたのは、銀座から六本木に移転後1週間のタイミングの4月。ビアさんは美食家として知られるだけに、著名店からの花や、入り口からの通路には、「僕にとっては宝物」だという、有名シェフとの数々の写真が飾られている。美食家として築きあげたネットワークが、マグロは「やま幸」からなど、極上の食材を仕入れられることにもつながっている。
日本料理を思わせる8席のカウンターに、8席、4席(2室)、2席とバラエティ豊かな個室が嬉しい。カウンターの背景はタイの寺院を模したという白い壁、そしてその上の壁は金で箔付されていて、「この色のコンビネーションはタイの寺院の伝統的なものなのです」とビアさん。カウンターの横にも小さな仏像が鎮座する。タイの街角には至るところに仏像や祠がある、そんな信心深い国民性…と思いきや、その壁の一番上はユーモラスなニワトリ型のライトが。何か意味があるのか尋ねると「かわいいから買っちゃいました」。このバランスがなんともタイらしい。
メニューは通常約13皿コースで2万6500円。
料理を担当するのは、日本料理歴22年の日本人料理長。タイ料理の経験はないものの、ビアさんと相談しながらメニューを作っている。ビアさんはカウンター内で、主に接客を担当する。そして、ソムリエがセレクトしたワインや日本酒、ビールも楽しめる。
余市のあん肝をタイの生姜、カー(ガランガル)で煮てあり、下にはカツオ昆布出汁のジュレに細かく刻んだ春菊とバイマックルー(コブミカン)を加えている。タイのアクセントを効かせながらも、日本料理の繊細さを壊さないように仕上げている。
器も、有田に特注で作ってもらったという、富士山と波がモチーフの富嶽八景を思わせる大皿。様々なところでスプーンが登場するが、陶製や漆塗りなど、上質なものが揃う。トムヤムクンをイメージしたスープだが、辛みはほとんどなく、カツオ昆布出汁にエビと蛤など、具材から出る味が溶け合う優しい味わいだ。
続いては、オコゼの唐揚げにスパイスのパウダーをまぶしたもの。少し四川料理の辣子鶏を思わせる仕上がりだが、タイには中華系の人も多く、中国料理との関わりは深い。オコゼはふっくらと揚がっており、山椒や八角などのスパイスを混ぜたパウダーがアクセント。
この辛い料理を食べた後、新しい箸を持ってきてくれるのも嬉しかった。
太刀魚の寿司は、軽く炙った太刀魚のふんわりとした身質が抜群だ。その横にガリに見立てたソムタム。とはいえ、辛みはなく、青いパパイヤの代わりに、コゴミなどの山菜を使っている。バイマックルーの葉がすっきりとした清涼感を与えている。
モウカザメのフカヒレと和牛サーロインの、こっくりとしたスッポン出汁の煮込み。上には京菜花が飾られている。好みでタイの青唐辛子、プリックを浸したスパイシーな黒酢をかけて。
蟹のカレー、プーパッポンカレーは、下に片栗粉をまぶして揚げた?旬のホタルイカ、蟹のカレー、そして冷たい大きな橘のムラサキウニ。蟹は通常タイで使われるワタリガニではなく、毛蟹を使っている。えぐみのない大粒のウニが、上質なアイスクリームのように、スパイスの刺激をひんやりとしたまろやかさで中和してくれる。
焼いたアカムツに、白味噌とココナッツミルク、蕗の薹のソースを合わせ、上にはタラの芽の天ぷらを飾っている。
ちょうどタイの牛肉サラダ、ヌアナムトクのように、黒毛和牛のサーロインの上に刻んだ小さな紫たまねぎとタイミント、唐辛子、そしてアクセントに香ばしく炒った蕎麦の実という、日本らしいアレンジも。
ここからが「ご飯もの」
やま幸の本マグロ、この日は那智勝浦の延縄漁法でとれた187キロ。程よい脂の柔らかな中トロを醤油とイカのナンプラーを合わせたものにつけ込み、佐賀県産米、ユメシズクと合わせて。上からは、シーズン最後だという、スペイン産のウィンタートリュフを削りかけて。
土鍋で炊き上げたジャスミンライスと合わせて、以前CNNで「世界一美味しいカレー」に選ばれたマッサマンカレー。具材は、本来はじゃがいものところを、揚げた石川芋。甘味とねっちりとした食感が、ナッツのコクのあるソースに合う。そして、グリーンカレーはイノシシと甘味のある筍。
日本料理はデザートがシンプルな店もまだ多い。そんな中こちらでは、料理長が提供直前に練り上げるわらび餅が、ほのかに温かい状態で供される。黒豆のきな粉、黒蜜にほのかな国産レモングラスを利かせている。「タイ産のレモングラスよりも、香りがソフトで、他の日本食材との相性が良い」のだという。
アクセントに山椒のパウダーを散らしたヨモギとココナッツクリームのアイスクリームも、出来立てのふんわりとした仕上がりで、非常に楽しめた。
食後一番に感じたのは、ビアさんは相当日本の高級和食を食べ込んできただろう、ということ。日本人の味覚のバランスを知り、タイ料理本来の強いボリュームではなく、日本の極上食材にタイのアクセントを効かせ、穏やかに調和された料理で、食材の味も十分楽しめる。今後国境が開いたときに、普通の日本料理に飽きた、という友人も、ぜひ連れてきたい。ただ日本料理のフュージョンというだけでなく、コース全体にタイというしっかりとした骨組みができているのも珍しい。これからの季節に応じて変わってくるだろうメニューにも注目したい。