中東さんのオリジナリティのルール
●朝食は必ず食べる
●今食べている、料理しているものが何なのか意識する
●すべてにおいて「理由」を考える
京都の料理人一家に生まれた。中東篤志さんは、その厳しさを知っているがゆえに、料理人にはならないと決めていた。学校を卒業し、バス釣りのプロを目指して渡米した。ところが、日本食材が入手できない田舎で、工夫して作った日本食をアメリカ人にふるまう経験が増えるにつれ「アメリカで日本食を発信したい」と考えるようになった。
29歳のとき、「野菜料理人 中東篤志」として一飯一汁プロジェクトを発足させて、ニューヨークの雑誌社や料理学校等でデモンストレーションを行い始めた。「日本料理」だからといって、食材などをすべて「日本のもの」で揃える必要はない。汁物にトマトが入っても、香の物がピクルスでもいい。環境に適応した日本料理を発信することが、「食文化の継承」だと思う。ただし、譲れない部分は絶対に譲らない。「左にご飯、右に汁物、奥に香の物、手前に箸。『箸から向こうは神様の世界』、という精神性が一番大事」日本人が育んできた食文化を、後世に残したい。先輩方が繋げてきたものを自分なりに挑戦し、次に繋いでいきたいと思っているからだ。
2017年には、京都・祗園にオープンした「朝食喜心kyoto」の料理監修を務めた。「一飯一汁」の朝食専門店だ。メニューは昼すぎまで同じ。「一日の最初の食事に気持ちのいいものを食べれば、その一日を気分よく過ごせるから」。自身も朝は簡単にフルーツで済ませる日もあるが、妻の炊くご飯の香りがすると気持ちがいい。母親がわが子に用意する食事は「これを食べてほしい」という思いに満ちている。プロでもお母さんの料理には敵わない。だから、店のメニューは母が作る朝食をイメージした。果たして、自分が日本で料理を監修する意味があるのだろうかとも思ったが、世界中から人が訪れる京都なら発信する意義がある、と中東さんは決断した。そしてそれは、京都を訪れる現代の日本人に対しても、同じように意味のあることだろう。中東さんのモットーは、「常に理由を考える」ことだという。「以前、妻が子どものために、ニンジンの皮をむいていた。なぜむくのか聞くと『保育園の先生がそうしていたから』と。しかし、ニンジンの皮は食べられるので、無意味にむく必要はない」父の営む「草なかひがし」の料理では、冬の盛り付けでは葉を上から被せて新芽が覗くさまを見せ、初夏には勢いよく緑を盛るなど、季節の情景を器に映す。盛り付けひとつとっても、理由は必ずある。
2018年4月、鎌倉でも「朝食喜心」が開店し、料理監修をすることになった。鎌倉を訪れて、中東さんがまず行ったのは、地元の人と話し、地形を見ることだった。山があちらで海風はこう吹く。水はこう流れる。日当たりは、寒暖差は……。土地の人からは、郷土料理や名産品を聞き、かつて鎌倉にはミカンが多かったことも知った。では山椒もあるはず、と思考が進む。「これって、釣りで一番大事なことなんです。釣るためには釣れるポイントを論理的に探さなきゃ」土壌を見れば水はけもわかり、そこで栽培されている作物にも見当がつく。釣りで培ったフィールドワークの感性は、料理にも活かされているのだ。20代とおぼしきゲストが、丸干しののった皿を見て「贅沢だなあ」と呟いた。丸干しを贅沢だと感じる感性は、20年前の20代の若者にはなかったものだ。「今の若い人たちのほうが文化を『残そう』と思っているんじゃないか」それなら、自分がやれることはまだまだあるはずだ。アメリカと日本を忙しく往復する日々にあって、中東さんは、日本人の若い感性に希望を感じている。
藤田アキ=取材、文 西部裕介、依田佳子=撮影
本記事は雑誌料理王国2018年7月号の内容を本ウェブサイト用に調整したものです。記載されている内容は2018年7月号発刊当時の情報であり、本日時点での状況と異なる可能性があります。掲載されている商品やサービスは現在は販売されていない、あるいは利用できないことがあります。あらかじめご了承ください。