「クリスタルサラダ」「ヴィシソワーズ」など、鹿児島「カイノヤ ダル 1931」の塩澤隆由さんには、長年作り続けるシグニチャーディッシュがある。メインの肉料理「アイアンステーキ」もそのひとつだ。
なかでも、厚さ2.5センチ、重さ100グラムの黒毛の経産牛のトモサンカク(モモの一部)。焼いた肉を塩だけで食べさせるトスカーナのビステッカがルーツだといい、焼きっぱなしの真っ赤な肉が、無機質な黒いプレートに横たわっている。そこには、ソースもなければ塩もない。
オープンから12年、これまでフォン・ド・ヴォーのソースやマスタードを混ぜたピュレを皿に添えていたことや、炭で焼いて、香りをつけていたこともあった。しかし、どれも違う。7年前には、断面におく塩もやめた。それは、肉の味ではなく、塩を食べているのではないか、と感じたからだ。
「例えば、ワインに自分の好みだからといってハーブを加えたり、カクテルにすると、そのワインを作った人が喜ぶだろうか。僕は素材そのものを食べてほしいと思います」
真っ赤な断面をこちらに向けたアイアンステーキに、ナイフを入れる。ドリップは出ない。口に入れて噛み締めると、中までしっかりアツアツ。肉汁はあふれ出すというより、むしろ繊維の中に留まって赤身肉の旨さを引き立てている。その深く強い味わいに出会ったとき、この肉が歳を経た経産牛だったことに気づかされる。
塩澤さんは、2016年からアイアンステーキに薪の熾火(おきび)を導入した。遠赤外線の温かい熱による火入れがほしくなったのだ。「最後に熾火で1分。表面に薄い皮1枚分の焼き色をつけるんです。でも、まだ何か変えられるんじゃないかと考えています」という塩澤さん。最高の火入れながら、未完成だというアイアンステーキは、塩澤さんの料理哲学そのものなのだろう。
塩を浸透させてから氷温近い低温で焼きはじめ、保水しながら、グラデーションを出さない。最後に熾火で焼き、休ませずにカット。なのに、ドリップは出ない。アイアンステーキは、セオリーとは真逆の火入れだ。「ステーキだから、アツアツで出したい。そして脱水ではなく保水。すべての仕事はそのためにあります」
カイノヤは2017年、ゲストにメニューリストを出すことをやめた。提供時に生産者や産地の情報を必要以上に伝えることもない。地方レストランが唱える地産地消を、塩澤さんは、あえてうたおうとしない。「9割のゲストが国内外の都会から飛行機で鹿児島にきて、コースとワインペアリングで、おひとり4万円もお支払いくださる。それは、僕がクリエイティブな発想や技術を売り物にしているから。この火入れは、いい素材があれば、世界のどこでも再現できます」と力強く語った。
「毎日繰り返すから見えてくるものがあって、料理は日々変化していく」という塩澤さん。いくつもの熱源で火を入れながら、最後に薪の熾火で表面を皮一枚焼く。ここで紹介する「アイアンステーキ」は、あくまで、2018年現在の最新の火入れ。カイノヤでは、未経産牛のほか、豚や鹿、鴨などもアイアンステーキにする。今回は経産牛のアイアンステーキを完全公開する。
ノーエイジングからウェットエイジングへ
塩澤さんはこれまで、ドライエイジング、ウェットエイジング、ノーエイジングといろいろ試してきたが、2017年から真空包装内で熟成させるウェットエイジングを取り入れている。特製の焼き台の開発に助言を与えたダーウィンの長崎浩二氏から「熟成させた方が、赤身の味がもっと前に出てくる」と勧められたことによる。と殺から2~3週間経ったものが店に届き、さらに1週間ほど3~5℃の冷蔵庫で熟成させる。
トレハ塩を使って、肉の中に水分を留める
真空包装から肉を出し、ドリップシートで肉を包んで真空包装機にかけ、再び冷蔵庫に戻す。ここでわずかに出るドリップをとることで、焼き上がってから出るドリップを少なくすることができる。2日後、肉に味をつけるために、トレハロースと塩を混ぜて作ったトレハ塩をふる。トレハロースを使うことで保水性が高まり、ドリップが出にくい。
乾燥を防ぎ、保水しながらゆっくり火を入れる
ひと晩おいた肉は、「マルチフレッシュ」にかけて塩の浸透を止める。当日の仕込みでトレハ塩を再びふるのは、最後の調整。塩分濃度は、個体の1.2%を目指す。氷温スタートやスチームコンベクションの設定は、できるだけゆっくり火を入れて乾燥を防ぎたいため。マルチフレッシュは、ジャストの火入れで熱を断つためで、凍らせはしない。これが基本の考え方になっている。
アイアンステーキは、デジタル調理機器で温度管理をしながら営業前に、火入れまで済ませる。そして、営業中にゆるやかに温度を戻し、熾火で片面30秒ずつ焼き上げる。焼くのは表面の皮一枚で、それ以上熱が入ると、口のなかに残ってしまい、違和感になってしまうという。
経産牛のアイアンステーキ
付け合せはステーキの定番ジャガイモとキャベツ。ジャガイモはマッシュポテトに、キャベツは、父親が営んでいたレストランのレシピによるジンギスカンソースで味付けている。「黒毛和牛を使わない時期もありましたが、日本人はやっぱりサシが好き。経産牛は、子を産み終えた母牛を再肥育、つまり手間をかけて育てなおしている。軽いサシが入りながらも、年月の経った牛にしかない強い旨味があります」と塩澤さん。
Takayoshi Shiozawa
1972年、鹿児島県生まれ。1999年、父の店「かいの家」で、深夜営業のパスタ店を始める。2002年にイタリア・トスカーナ地方で、ホームステイをしながら伝統料理を学び、帰国後、トスカーナ料理店として再スタート。05年に、リストランテとし現在地へ移転した。
江六前一郎=取材、文 有川朋宏=撮影
本記事は雑誌料理王国第317号(2021年8月号)号の内容を本ウェブサイト用に調整したものです。記載されている内容は第317号発刊当時の情報であり、本日時点での状況と異なる可能性があります。掲載されている商品やサービスは現在は販売されていない、あるいは利用できないことがあります。あらかじめご了承ください。