【レシピあり】「赤坂四川飯店」を守り続ける親子の想い 陳建一さん×陳建太郎さん


日本における四川料理の父、陳建民さんが開いた「赤坂四川飯店」。
その後、建一さん、建太郎さんへと受け継がれつつも、変わらずその根底にある魂とは。
技術よりも大切だというひとつの合言葉のもと、「赤坂四川飯店」を守り続ける親子の思いを聞く。

味の継承なんてできない
大切なのは姿勢を継承すること

――陳さんのように親子三代でお店を受け継がれているというのは、なかなかないことですね。料理人同士として親子で「赤坂四川飯店」を継承していくには、ご苦労もあったのでは?

建一:難しいことではないと思いますよ。つまるところ、料理が好きか嫌いかですから。

建太郎:私もそう思います。

建一:そうだよね。苦労を感じたことはありませんよ。ですが親子でも、「味を継承する」というのは難しい。もちろん店としてのルールはあります。「麻婆豆腐はこうやって作るんだよ」というのが。でも、違う人間が同じ味を出せるかというと、これは親子でも無理なんです。

建太郎:そうですね。私自身の中でさえブレがある。毎日同じ麻婆豆腐を作っているつもりでも、身近にいる妻などには微妙な違いを指摘されることがありますから。

建一:そんななかで、皆が同じように店の味を作れるよう努力しているんです。でもね、大切なのは技術じゃない。

技術よりも「作る姿勢」が店の存続を決める

──味をめざすためには、何より技術を磨くことが大切なのでは?

建一:もちろん技術も大切ですよ。でもどんなに技術を磨いても、味は一代限り。私も建民に近づこうとしているけれど、同じ味は出せませんから。建太郎も技術については自分で吸収しています。四川省へ修業に行ったり、コラボイベントをやったり。ですからもう、私から教えることはない。それよりも、私が継承したいのは「料理を作る姿勢」なんです。もうこれがね、店の存続の要ですから。建民が調理場でつねに言っていたんです。「あなた彼女つくる、いいま?」って。これはね、「あなたの大切な彼女に作る気持ちで料理してください、いいでしょ?」っていう意味なんです。

建太郎:大切な人には心を込めて作り、熱々をきれいに盛って出そうと思いますよね。それをすべてのお客さまのためにするんです。つねに心を込めて、さらにはそれを楽しんでできるかどうかで、すべてが変わってくる。

建一:私たちも人間だから、気持ちが荒れている時もある。でも、嫌な顔をして「あーもう! 面倒くさいな!」って作られた料理なんて、食べたいと思いますか? 私なら絶対食べたくない。

建太郎:私も父の姿を見て学びました。どんな時も必ず心を込めて料理を作り、さらにはお客さまにご挨拶し、一緒に写真を撮り、最後までお見送りする。数百人規模の宴会でもです。なかなかできることではありませんよ。でもお客さまを喜ばせるためにやっているんです。

幼い頃から店の味に親しんだ最適な人材

──素晴らしいですね。建太郎さんは建一さんの後を継ぐことにプレッシャーはありませんでしたか?

建太郎:もちろんありますよ。『料理の鉄人』の最終決戦で坂井宏行シェフと抱き合う父を収録現場で見て、その場で「僕も中国料理をやる」と決めた日から。プレッシャーはつねにあります。最初は鍋もろくに持てなくて、辛い日だってありました。でも父は、僕にお客さまと接することの楽しさを教えたり、自分の近くに置いて甘やかさないよう、あえて本店ではなく支店で働かせたりと、気を遣いながら導いてくれたと思います。

建一:自分の誇りある仕事を息子が継いでくれる、これほどうれしいことはないですよ。それに、建民の料理も私の料理も小さい頃から食べてきて、人柄もよくわかっているのですから、最適な人材。でも甘やかすわけにはいかない。建民は調理場では鬼でしたが私にだけ甘くてね。私にとっては先輩だらけの調理場で、特別扱いされて困りましたよ。当時はそれで苦労しましたね。店の雰囲気も今ほどよくなかったから、皆が気持ちよく仕事ができるように少しずつ変えていった。そのために仕事もがむしゃらに覚えたものです。

責任ある立場になりプレッシャーは別のものに

建太郎:父のおかげで私もここまでこられて、自分のファンになってくれるお客さまもだんだん増えてきました。私の社長就任パーティーで父に「任せたぞ」と言われたときはうれしかったですね。今もプレッシャーはありますが、中国料理を始めたばかりの頃のプレッシャーとはまた別のものです。これからは「赤坂四川飯店」のスタッフたちとその家族を守っていかなければならない。そのために、ともに働く仲間と同じ姿勢で、楽しみながらいいものを作っていきたいと思っています。

建一:建太郎は仲間をつくる力と、吸収する力が特に優れていると思いますよ。違うジャンルの料理人たちともどんどん仲良くなって、そこからも吸収している。シンガポールに出した店も立派にやっています。私にないものをいっぱい持っていますから、それを存分に発揮してほしいですね。

――将来のビジョンは?

建太郎:この「赤坂四川飯店」をよりよい形にして残していきたいと思っています。シンガポール以外にも、世界中の人に店の味を知ってほしいですね。そのためにも父が示した姿勢を継承していきたい。自分がされて嫌なことはしない。自分がされてうれしいことをする。すべての行動が料理の味につながりますから。「赤坂四川飯店」の姿勢を持つ仲間たちが世界へ羽ばたいて、もっと発展していくようにと思っています。

建一:昔から、建太郎には好きなことをやってほしいと思ってきました。自由奔放であってほしいと。今は責任者ですから、スタッフとその家族を守ることだけは忘れずに。あとは自分の思うままにやっていってほしいですね。

Kenichi Chen
1956年東京都生まれ。日本に四川料理を広めた故・陳建民さんの長男。東京中華学校、玉川大学を卒業後、建民さんがオーナーを務める「赤坂四川飯店」で四川料理の修業を積む。1990年、建民さんの死去に伴い「赤坂四川飯店」のオーナーに就任。『料理の鉄人』『きょうの料理』などのテレビ出演のほか、雑誌、料理学校の講師、著書の出版など幅広く活躍。2011年「公益社団法人 日本中国料理協会」会長に就任。2013年 黄綬褒章を受章。

Kentaro Chen
1979年、建一さんの長男として東京都に生まれる。玉川大学を卒業後、2002年「赤坂四川飯店」に入社。渋谷「スーツァンレストラン陳」にて修業を開始する。2005年から2年半ほど四川大学へ留学し、合わせて四川省成都市「菜根香」にて総料理長の曾国華さんに師事。現在は建一さんから「赤坂四川飯店」の経営を継承する一方、『きょうの料理』『はなまるマーケット』などのテレビ出演や料理教室、イベントなど幅広く活躍中。


河﨑志乃=取材、文 小寺 恵=撮影

本記事は雑誌料理王国2018年2月号の内容を本ウェブサイト用に調整したものです。記載されている内容は2018年2月号発刊当時の情報であり、本日時点での状況と異なる可能性があります。掲載されている商品やサービスは現在は販売されていない、あるいは利用できないことがあります。あらかじめご了承ください。


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