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女性としてできることを考え人生を楽しむ「美虎」五十嵐美幸さん


『料理の鉄人』出演を機に、若手女性料理人として大きな注目を浴びた五十嵐美幸さん。
以来その道を切り拓いてきたが、これまでの料理人人生は決して楽ではなく、過酷だった。それでも料理人をやめず、料理を楽しみ、結婚、出産を経て今生き生きと働く五十嵐さんに、女性としての働き方を伺った。

決して楽ではなかった料理人の道
それでも私の人生から料理は切り離せない

 実家が営む中華料理店でごく自然に料理人へ

1997年、フジテレビ『料理の鉄人』に当時最年少の挑戦者として22歳で出演し、女性シェフとして大きな注目を浴びた五十嵐美幸さん。女性には厳しい料理人の世界だが、五十嵐さんにとってその道に入るのはごく自然なことだったという。

「もともと実家が中華料理店をやっていましたから、自分も料理をするのは当然のことだと思っていました。子供の頃から家の手伝いをするのが当たり前で、小学校から帰ってきたら洗い物をしたり、点心の仕込みを手伝ったりと、料理が生活の一部になっていたんです」

そんな五十嵐さんが本格的な中国料理の料理人を目指すようになったのは高校生の頃、父親と吉祥寺の中国料理店「竹爐山房(ちくろさんぼう)」を訪れたのがきっかけだった。「こんなにおいしくて体も疲れない中国料理があるんだ、と感動して、私もこんな料理を作れる一流の料理人になりたいと思いました」。小さな頃から料理が好きで、目標をしっかり持ちたい、人に必要とされる人間になりたいと考えていた五十嵐さんは、この時料理人になると決心し、実家の店を手伝いながら、休みの日には「竹爐山房」へ修業に通うように。

「私の原点ですね。最初に『料理の作り方ではなく勉強の仕方を教えてあげる』と言われて。食材を知らないと料理は作れないとか、季節の野菜を学びなさいとか、いろいろ教えていただきました。それに感動して、がむしゃらにやっていました」

そして22歳で『料理の鉄人』に出演。当時は珍しい女性シェフとして注目を浴びる一方、厳しい時期でもあった。「女性だから特別扱いされている」「しょせん家庭料理だろう」と言われながら、男性の料理人の上に立つシェフとして体力的に無理を重ね、ドクターストップがかかってもその歩みを緩めることはなかった。「若かったのでまだ尖っていて、絶対に負けられないって意地になって。男性の上に立つからには男性より体力がなければならない。絶対弱みは見せられない。まだそういう時代でしたから、体力的にも精神的にも大変でしたね」。仕事が終わった後にスポーツドクターにも診てもらいながら仕事を続けていたが、体は限界へ。このままでは最高の状態でよい料理は作れないと、ここで初めて「料理人として女性ができることは何だろう」ということを考え始めた。

今でこそさまざまなスタイルの料理が認められているが、当時はまだ「こうでなければ中国料理ではない」と言われた時代。その枠から外れることは許されなかったが、このままでは自分がダメになってしまう。そこで、自分にとって中国料理とは何だろうと考え、紙に書き出しながら、できることを整理し、自身のスタイルを模索していった。

「中国料理は好きだけれど、食べると体が疲れてしまう。でも体が一番ですから、私の料理を食べる人には元気になって帰ってもらいたい。母親の愛情じゃないけれど、ちょっとした優しさや、ほっとする味を中国料理で表現できないかと考えました」

そのために、野菜を中心に馴染みのある日本の食材を使い、食材を調味料のように使って塩や油を減らし、香りをきれいに出す工夫も考えた。瞬発力やスピードが要求される料理の代わりに、仕込みに時間をかけ、手間暇をかけて奥深い味を出す料理を心がけた。そうやって女性シェフ・五十嵐美幸の中国料理のスタイルが確立されていった。

四川料理や広東料理などとも違うその料理に、「お前の料理は何料理だ」と言われることもあったが、『料理の鉄人』で出会った陳建一さんは「美幸の料理は美幸料理だ。彼女のスタイルがあってもいいじゃないか」と背中を押してくれた。そんな声にも支えられ、33歳で独立し幡ヶ谷に「中国料理 美虎(みゆ)」をオープン。

「この時期は料理にしっかり向き合って、料理に楽しさを見出して、お客さまもそれを認めてついてきてくださった時期です。『美虎』のオープンは告知をしていなかったので近所のポスティングから始めて。自分で1から始めて自分の足で歩くのが、楽しくて仕方なかったですね」

難病と出産を乗り越えて料理人の道を貫いた

「中国料理美虎」は瞬く間に人気店となり、3年後には結婚もした。しかし間もなく、頚椎後縦靭帯骨化症という難病を患い、10時間にも及ぶ手術を2度経験。その後のリハビリにも苦労したという。この経験でますます「鍋を振る」という料理から離れ、中華鍋を使わなくても作れる中国料理を考えるようになった。

今回のひと皿「牛バラの煮込みワサビの花風味」も、中華鍋を振る料理ではない。牛バラ肉を下ゆでして2時間程度蒸し、煮込みに3時間半。時間と手間をかけて作り上げる。香辛料と醤油のどこか懐かしい味わいを含ませ、豆豉で中国料理らしい風味を出す。最後に季節のワサビの花をのせ、熱した唐辛子油をかけ爽やかな香りを立たせる。現在の五十嵐さんらしさが凝縮された料理だ。

「美幸、料理はやめるなよ。お前は女性の料理人として立って行かなきゃいけないんだから、俺たちは全面的に応援する」という先輩方や夫に支えられて、何があっても料理人をやめなかった五十嵐さん。2014年に40歳で長男を出産した時も、仕事に追われる毎日だった。

「出産間近の頃にお節料理の準備があったのですが、切迫早産の危険があって入院しなければならなかったんです。ですから電話やメールでスタッフに指示を出し、病院の待合室に持ってきてもらって味のチェックをしました。ですが退院したあと、なかなか生まれなくて、1日の仕事が終わってから毎日夜中に何時間も歩いて、お節料理の販売開始間際で出産をしたんです。よかった、これでお節に間に合うって」

その後も苦労は重なり、夫が仕事を辞めて子育てをしながら五十嵐さんを全面的に支えることに。スタッフにも今後の働き方を相談し、仕事も託すようになったという。

現在は、料理教室の会場やサロンとして使っていた自宅の階に「美虎」を移転。この移転はまだ4歳と幼く母の愛情を必要とする息子のためでもある。息子が生まれた頃にスタートしたタイのプロデュース店「MIYU」も、家族の負担を考え現在は営業を休止している。

「『美虎』の営業中に、すぐ近くの保育園へ息子を迎えに行ったり、上の自宅で息子をお風呂に入れたりすることもあります。お客さまに『ちょっと行ってきます』と言って。子供が元気でなければ私も元気でよい料理が作れないので、お客さまやスタッフにも正直に話して理解してもらい、自然体でやっています。隠して無理をしていたら続きませんから。ありのままで正直に、ですね」

勤務年数5~8年というスタッフたちと。出産前の入院の時などもこのスタッフたちに支えられ、絆は深い。自身は中華鍋を振らなくなった五十嵐さんだが、スタッフを縛ることはなく、自由に料理を作らせている。

周りに支えられ 周りの言葉を聞くことで女性の料理人は活かされる

「大変な時に踏ん張って、乗り越えてきたから、今自信を持って自然体でいられるのかもしれない」と五十嵐さん。22歳で『料理の鉄人』に出た頃の自分の料理はまだ「作業」だったと振り返る現在、44歳になって作る料理には、これまでの厳しいながらもたおやかな料理人人生がにじみ出ているように感じられる。

「今でも女性にとって料理人は厳しい道です。ですが、簡単に手に入れられるものは簡単に崩れてしまう。もがくことも必要なんです。修業もただ作業を覚えるのではなく心や人間を育てるところですから、やっぱり必要。周りの言葉をよく聞いて、学べることは学ぶべきです。そして、楽しくやることが大事ですね。不自然なのもいけない。私も自分の人生から料理は切り離せませんから、どうやって楽しくやっていくか、いつも考えていますよ。疲れたら、『きついです!』と言ってしまっていいと思うんです。周りに理解してもらい支えてもらうこと。女性の料理人にとってはそれが大切なことだと思います」

牛バラの煮込み ワサビの花風味
牛バラ肉を下ゆで、蒸し、煮込みと5~6時間かけて仕上げた一品。強い火力で瞬発的に仕上げるのではなく、時間をかけて優しく奥深い味わいを生み出す。豆豉で中国料理らしい風味を出し、ワサビの花で日本の春を表現。

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河﨑志乃=取材、文 平石順一=撮影

本記事は雑誌料理王国2019年6月号の内容を本ウェブサイト用に調整したものです。記載されている内容は 2019年6月号発刊当時の情報であり、本日時点での状況と異なる可能性があります。掲載されている商品やサービスは現在は販売されていない、あるいは利用できないことがあります。あらかじめご了承ください。


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