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だから料理人はやめられない。「ホテルオークラ」総料理長中田肇さん


料理人になりたいと思ったのは、高校1年の時。当時豊島園にあった「ピエモンテ」(現在は東京・荻窪に移転)で、皿洗いのアルバイトをしていました。そこで先々代の総料理長の剱持さん(ホテルオークラ東京2代目総料理長・故剱持恒男氏)を紹介していただいて。政財界のお客さまが運転手付きの車で来る店で、学校が終わってから深夜まで、皿や鍋をひたすら洗っていました。

鍋は、料理人にとって大事な大事な道具。ソースを作るにも、肉を焼くにも魚を焼くにも、鍋の使い方ひとつが味を一番左右します。火加減や鍋を置く位置で、味は微妙に変わってくる。焦がしてしまったらおしまいだし。我々の先輩からは、鍋に使われるな、鍋を使え、とよく教わりました。鍋や火を自在に使えるようになることが、料理の腕の「熟練」というわけです。

我々が入社した当時は、新入社員が20人くらいいたので、それは競争社会です。仕事が終わってからが、自分たちの勝負の時間。厨房で先輩たちのいろいろな仕事を手伝って、顔と名前を覚えてもらうのにみんな必死。競争に勝つためには、人がやらないことをやるということです。包丁を持ちたいし、ソースをなめてみたいけど、ひたすら鍋を磨いたり、ゴミの仕分けをしたり。そうすると、必ず誰かがそれを見ているものなのです。

そんな下積みを経て、海外での研修を終え帰国して、責任ある立場を任せてもらうようになりました。2年前に総料理長に任命された時は、自分でいいのかと自問自答しましたよ。ただ、これはひとりでやる仕事ではない。厨房にいる周りのみんなに支えられてやるチームプレイなんだと思うと、自然と背中が押されました。

自分が作った料理で人に喜びや感動を与えたいと思い、18歳でこの道に入って、以来33年間。これからは人をどんどん育てて、昔、小野ムッシュ(初代総料理長・故小野正吉氏)によってオークラの料理が日本一といわれた時代があったように、「料理のオークラ」を名実ともに現実のものにしていきたいと思いますね。

食は、人の口に入る栄養、エネルギーの源。人にとって生きていくうえで一番大事なものです。私の料理に対する情熱の原動力は、昨日できなかったことが今日できた、という自分に対する驚きと、お客さまに「おいしかったよ!」と褒められるうれしさです。料理はやっぱり楽しい。私の天職だと思います。

中田 肇さん

1960年埼玉県生まれ。ホテルオークラ東京 執行役員 洋食調理総料理長。78年ホテルオークラに入社し、82年にはホテルオークラアムステルダムに出向。2004年ホテルオークラ東京「ラ・ベル・エポ ック」料理長などを経て、09年より最年少で現職に就任。洋食調理の総責任者として、レストラン、製菓、宴会部門計約180人の指揮を執る。

田村亮・文 杉田学・写真

本記事は雑誌料理王国2011年3月号の内容を本ウェブサイト用に調整したものです。記載されている内容は 2011年3月号発刊当時の情報であり、本日時点での状況と異なる可能性があります。掲載されている商品やサービスは現在は販売されていない、あるいは利用できないことがあります。あらかじめご了承ください。


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