日本酒業界では、新規参入が厳しく規制されている。需要と供給のバランスを保ち、既存酒蔵の利益を守るため、国は清酒製造免許の新規発行を認めてこなかった。昨年11月に酒税法改正が発表され、輸出向け日本酒の製造に限定して免許の新規発行を許可する方針だが、クラフトビール市場が活性化した規制緩和とは別物。正否の議論は別として、それが実情だ。故に最近では、「その他の醸造酒」の製造免許を取得して濁酒(どぶろく)で勝負するブルワリーパブが話題を集めている。2019年、パリで酒造りをスタートし話題となった「WAKAZE」の三軒茶屋醸造所や、2020年6月に浅草に誕生した「木花之醸造所」などだ。彼らが造っている濁酒は新時代の味わいで、高い技術力を持っているにも関わらず、日本国内では醪を濾過して清酒の製造を行なうことは認められていない。濁酒蔵とは別に新たに日本酒蔵が誕生するケースもあるが、それらは休造蔵の復活かM&Aによる新規参入だ。これまでは―――。
2020年8月3日、「清酒製造免許の新規取得はあり得ない」という定説を覆す出来事が起きた。清酒の製造免許を新規取得した「東京駅酒造場」が、「TRY NEW TOKYO ST.」を標榜するJR東日本東京駅構内の商業施設「グランスタ東京」に誕生したのだ。世界でも例を見ないエキナカの「東京駅酒造場」は、日本酒業界を牽引してきた酒販店「はせがわ酒店」のグランスタ東京店に併設している。つまり国税庁が、小売店の日本酒製造を初めて認めたことになる。申請から1年以上、異例の許可を獲得した背景には、はせがわ酒店の根底に流れる開拓者魂があった。
「『はせがわ酒店グランスタ東京店』では、他の店舗と同様に日本酒や焼酎、和のリキュールやワインをご紹介しながら、日本酒の魅力を多角的かつ直感的に触れていただくことをコンセプトに、テイスティングバーでは山田錦や亀の尾を使った酒米おにぎりのテイクアウト販売も行なっています。『東京駅酒造場』を併設した一番の理由も、並行複発酵という世界でも類を見ない複雑な日本酒の製造法を、世界中の方々が集まる東京駅から発信していきたいという想いがありました。単に日本酒蔵を作りたいということであれば、M&Aによる新規参入を考えるのが妥当だと思います。そのほうが、広大な敷地のある場所で、従来の設備で醸造できますからね。こちらではエキナカという限られたスペースに設置できるコンパクトな醸造設備を特注したので、正直かなりのコストがかかりました。回収できるのか不安もありますが(笑)、自社の利益よりも日本酒業界ヘの貢献を優先すべきだと考えています。今回の新設に際し、全国の酒蔵さんには大変お世話になりました。だからこそ、ここで醸造する濁酒、リキュール、日本酒に『はせがわ酒店』の名前を使うことはなく、『東京駅酒造場』で統一します。ゆくゆくは、酒蔵さんがこの酒造場と共同醸造してテストマーケティングを行なえるような取り組みもできたらと考えています」(はせがわ酒店 広報/後藤みのりさん)。
実際にこちらの酒造設備を見て仰天した。ここでは洗米、蒸米、製麹、上槽、瓶詰め、火入れまでを一気通貫するため、ほとんどの醸造設備がコンパクトなスペースに収まるよう作られた特注品。 258ℓという小さな発酵タンクは今まで見たことがない。立地的に熱源が制限されているため甑は電気式だ。使用する原料米は兵庫山田錦の特等米、「乾燥麹は使いたくなかった」ため、ミニマムな製麹スペースを備え、上槽はスペースの都合で袋吊りという贅沢さ。限られたスペースでも日本酒が醸せることを、ここで証明していく。
現在、「東京駅酒造場」では濁酒とリキュールのみを製造し、それらはテイスティングバーで味わうことができる。気になる日本酒の醸造は、今年秋頃から仕込みを開始する予定。世界で最も小さな日本酒蔵で、果たしてどのような酒が醸されるのか。酒袋から垂れるその一滴が、日本酒業界にとっての恵みの一滴になることを期待したい。
text 馬渕信彦 photo よねくらりょう
本記事は雑誌料理王国2020年10月号の内容を本ウェブサイト用に調整したものです。記載されている内容は 2020年10月号発刊当時の情報であり、本日時点での状況と異なる可能性があります。掲載されている商品やサービスは現在は販売されていない、あるいは利用できないことがあります。あらかじめご了承ください。