「『もっとおいしく、もっと良いものを』という精神が、フランス料理のDNAに宿っているのではないでしょうか」。松本浩之さんは「フランス料理のDNA」とは何か、という問いにこう答えてくれた。
料理の道に進んだばかりの松本さんは、小田原「ステラマリス」で𠮷野建さん、銀座「レ・ザンジェ」で依田輝明さんという、ともにジョエル・ロブション氏のDNAを宿すシェフの元で料理を学んだ。25歳で渡仏し、ソーリュー「ラ・コート・ドール」のベルナール・ロワゾー氏の元などで研鑽を積む。そしてフランスの最後の2年間をフランス南東部、モンブランの麓の村シャモニーの「アルベール・プルミエ」で過ごした。この店で松本さんは、二ツ星昇格の瞬間を体験する。
「我々の世界へようこそ」「こちらで(三ツ星)で待っているよ」。発表の翌朝、国内外から届いた星付きシェフたちからの祝福のファックスでレストランの床はいっぱいになった。
ミシュランの星、特に三ツ星にかける情熱は、ロワゾー氏とともに仕事をしていたときにも強く感じた。ロワゾー氏自身、ロアンヌの「トロワグロ」で修業中、1968年の三ツ星昇格の瞬間を体験している。「『ミシュランの星はそれを願う者の元にしか輝かない』とおっしゃっていました」と松本さんは回想する。「絶対に星を落とさない」という、厨房に張りつめた緊張感。「それはどこの店でも体験したことのないものだった」と、松本さんは振り返る。
2000年にフランスから帰国した松本さんは、05年に銀座の「ベージュ」でアラン・デュカス氏の料理と出会う。「それがなければ今の自分はない」というほどの出会いだった。
ベージュのコースは日本の季節の食材を使ったメニューが並ぶ一方で、アラカルトはパリと同じメニューだった。松本さんは、そのアラカルトに驚いた。どれもが伝統と革新を兼ね備えた皿ばかりで旨い。松本さんは、全てのアラカルトを作れるようになろうと決めた。アラン・シャペル氏の弟子であるデュカス氏の店では、当然明確なルセットはない。「ルセットに沿って仕事をしてきた自分にとって、こんなに自由に料理を作っていいんだ、と衝撃でした」
停滞は終わりを意味する――。
これは、デュカス氏が話していた言葉だ。「常に革新と挑戦をする姿勢を学んだ」と、松本さんは語る。
「びっくりトリュフ」は、トリュフとフォワグラのテリーヌという超王道の組み合わせ。まるで、土の中からのぞいているかのようだ。アルザス「オーベルジュ・ド・リル」のポール・エーベルラン氏のスペシャリテでもある。つまり、松本さんが学んできた師のルセットではない。「若い頃、父の蔵書の中で見たもので、フランス料理の最初の記憶がこの『びっくりトリュフ』です。僕の料理の原点とも言えるこの皿には、僕の経歴が宿っています」と笑う。
例えばトリュフ。まわりの硬い部分は除いて、中心部分だけをスライスして使う。野菜のブイヨンのソースは、乳製品ではなくオリーブオイルでつなぐ。どちらもベージュ時代に得たものだ。トレビスは、ロブション氏がトリュフの付け合せに好む野菜。それを松本さんは、何年も扱い続けることで深化させた。
やや硬めとも思えるところまで煮詰めたソースは、フォワグラとともに口の中に入れた瞬間に溶けだすようなイメージを何度も追及した。ソースの量も何度も変え、「フォワグラとのバランスを考えて」今は、3カ所に置く。極めつけはフォワグラとトリュフを包む飴細工。それは、絹糸のように細く繊細で雲のようだ。「この飴細工も難しいんですよ。飴を振る前に、一度冷ますんです」
このひと手間を見つけられるかどうかが熟練シェフの凄味。飴細工は口に入った瞬間すうっと消えていく。「ここまで来るのに、何度も試して悩んできました」と松本さん。そこには、「もっとよく、もっとおいしく」と料理に向き合ってきた、師たちのDNAが確実に継承されていた。
びっくりトリュフ
「実は、『ロアジス』のルイ・ウーティエさんのスペシャリテなんです。料理業界に勤めていた父の影響もあって、料理人を志した私の大切なDNAなんです」と松本さん。イエローグリーンのブイヨンのソースとグリオットチェリーがリズムよく皿の上を彩っている。
江六前一郎=取材、文 富貴塚悠太=撮影
本記事は雑誌料理王国245号の内容を本ウェブサイト用に調整したものです。記載されている内容は 245号発刊当時の情報であり、本日時点での状況と異なる可能性があります。掲載されている商品やサービスは現在は販売されていない、あるいは利用できないことがあります。あらかじめご了承ください。